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「自主的ブラック」のすゝめ。伸びる人の多くがやってること。


もはや自分たちを老害だと認めねばならない

昨年4月に、前任者から引き継いだ「ネットショップ担当者フォーラム」の「新・ネットショップ担当者が知っておくべきニュースのまとめ
現在は、ECMJの石田さん、Designequationの中林さんと共に、3人で交代しながら執筆しています。

3人で引き継ぐ際に、それぞれに自己紹介をして経歴やECの思い出話をしていたのですが、自分たちがECに触れはじめた頃は、やればやるほど数字も着いてきて、やることなすこと開拓でもありましたから、みんなサラリーマンなのに夜中でもアナリティクスみたりメルマガ書いたり広告調整したりしていたねと・・・。

ふとそこで、これは「ワシらの若い頃はなぁ」という、自分たちも聞かされて辟易してきた武勇伝や昔話になってしまっているのではとハッとさせられました。

執筆者3人のEC歴が合わせて50年超えしてることに驚き、もはや自分たちを老害だと認めねばならないという話がでました。

伸びる人の多くが「自主的ブラック」というジレンマ

今でもオーナー店長さんや役員クラスのEC従事者の方には、昼夜休日問わず、ゴリゴリしている方も多いですが、そもそも店舗運営やECの作業がライフワークなどの自分ごとになっている方も多く。

今や上場したり、年商二桁億を数え、多くの従業員を抱えるECオーナーも、かつては家業を継承したり、起業したりの中でがむしゃらにやってきたんですよね。

けれど、働き方改革も進み、人材確保も難しい中で「業務時間外でも仕事の勉強をしろ。スキルを磨け」とは言えないこんな世の中じゃ、ポイズン!と今のご時世に嘆き悩む経営層も多く。

そんな中でも、やはり伸びている会社さんやスタッフさんには、自主的に横のつながりを作ったり、勉強会に参加されたり、休日に実験や作業したりしている方が多く、いわば「自主的ブラックに頑張っている人たち」なんですよね。

もちろん会社としてそうした研鑽を奨励し、資格試験や講座に関して申請すれば受講費を支給する、資格取得によって手当をつけたり、会社の中でやる分には残業代などの手当も出すというところも増えてきましたが、そうした余白を捻出できない中小零細が多いのもまた、このご時世です。

こんなことを個人のFacebookに投稿したところ、経営者の仲間からは
「それ、普通じゃね?ヤル気の無いヤツがその言葉を使うんよ。知らんけど。」といったコメントを頂いたりしました。

その中で、グッとくる言葉がありました。遠方からも新卒や若い方が門を叩く企業の経営者の言葉です。

成長したいやつか、そのままでいいやつか、かなあと。
どっちが大変かというと、当然成長よね。生半可じゃ無理やわ。吐くわ。
そらブラックやわな。

ほいで、それを選ぶ若い子はおるんかなぁ?うちはぼちぼちおるけど。
おるんよ。

おるから、そいつらの場を作らなあかんねん。
ほいでそいつらが居やすいように、ルールとか変えるんよ。たぶん。
その過程には、僕はおらんわけよ。

若い奴らでやるわけよ。
いや、若い奴らいうたら怒られるわ。こっちはもう、時代遅れのオジサンやから。

若い奴らは、会社を改革できる奴らよ。
若いから、なんかできるんよ。たぶん。しらんけど。
少なくとも、我々オジサンより先に味わいぶかくなるやろうと。

Facebookに頂いた経営者のコメント

自主的に頑張りたい成長したい意欲を持つ子たちもいるのだから、その子達が居やすいように、会社がその子たちの居場所を作りルールを変える。

これは刺さりました。その居場所づくりやルールづくりができるかというのもまた一朝一夕ではいかないものでしょうが、そこにコストもリソースも割くからこそ、県外からも志望者が多く集まり元気な企業になっているのかもしれません。

あるいはこんなコメントもいただきました。

ただ、何に時間をかけて自主的ブラックやるか?のセンスは問われる時代にはなった気がする。

(業務上、見直しが必要な資料のまとめ)昔のオレなら休み潰して夜中寝ないで作業してただろうが、今ならAIで一瞬だ。

ここは時間かけるべきでは無い作業なのだろう。

Facebookに頂いた経営者のコメント

たしかにコレも然り。
AIで賄えること、それによって自分のリソースを空けて自分がやりたいこと、自分しかできないことをやるために、ですよね。

でも、それが好きというなら無理に取り上げなくてもいいでしょう。
それから手離れをすることによって先に進めることができるか、進みたいかもありますよね。

今の自分が時間をかけるべきかどうか、自分の時間が縦ロールしないようにすることが大事ですね。

「すきなものは、すき。」から発想する

飲み会でも、経営者同志で上記のようなことを話す機会も増えてきたのですが、そこでこんな言葉が出てきました。

今の時代、業務時間外でも勉強しろとは言えない。
でも、自分の好きなものなら時間を忘れて見たり触れたりしてるよね?
それ、なんでなん?!

自分の好きなものを延々と見続けられることこそが、マーケティングの仕組みに自分がハマってる証拠やないか。

そういう自分の好きなものから、なんで自分はコレにハマっているんやろう?そのきっかけは?何が好きなんやろう?と発想したらマーケティングの一歩にならん?!

そういう風に仮説を立てたら、そこからマーケティングも始まらへん?!
なんでも教えてもらえるって思うなよ。

会食での経営者の言葉

まさに、その通りですよね。現にさきほどの仲間内のミーティングで協業パートナーが一生懸命話している間、僕はずっと大好きなフリーレンを描いてましたからね。

年上のお姉さんフリーレンみたいな秘書が欲しい

最近の漫画では唇など口元も緻密に描き込まれる作家さんが多い中にあって、フリーレンの口って、たった1本の線で描かれていることが多いんですけど、だんだんと人間を理解して、感情がにじみ出るようになっていくのがこの緩やかな弧だけで描かれているのが、とてもいいんですよね。

え、これなんの話。いや、お前(自分)ちゃんと仕事しろよ。

そう、自分の仕事がそれぐらい好きになれないなら、道を変えるのもまた一つ。(そういうお前はミーティングに集中してないやないか)

0.9と1.1の差

ウサギとカメ、アリとキリギリスのようなお話も昔からありますし、0.9と1.1の話もよくされましたが、1日の努力量の積み重ねた差って本当にバカにならないですよね。

1日の努力量✕1年240日働いたとして、
0.9✕240=216
1.1✕240=264
さらに後者の努力する人だけが、1の力で年間50日の休日を自己研鑽に充てたとしたら314。

もう1年で100の差が開いてしまいます。

僕は高校受験も楽をして、大学受験からは逃げました。
なんのスキルも身につかなかったお遊びみたいなイラストやアニメ、ゲームの技術を学ぶ専門学校に行き、その道には進めずに3桁の学費を親に遣わせてしまいました。

結果、職を転々とし、まともに就職できたのは27歳の時でした。
大学新卒よりも学力もコミュニティもなく、4~5年のロス。

これを社会で取り返すには10年かかったと思っています。
そこから5年後に今の会社を設立しました。

もちろん、その間の経験は無駄ではないですし、今にも活きていますから、仮に大学受験を頑張っていたらどうなったかというタラレバはわかりません。

ただ、一つ言えることはやめたらそこまでの努力が「無駄」になります。やめなければそこまでの努力が「経験」になります。

「努力は報われる」と「報われない努力もある」はいつも背中合わせという感じもしますが、継続していくことが経験の積み上げになっていくのは間違いないですよね。

学びや経験が縦ロールしない人生にしたいものです。
さ、フリーレン描こう・・・。

縦ロールのフリーレンもかわいい

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