違和感の放置、違和感の共有
こんにちは!彩季です。
高校〜社会人3年目までの10年間に、拒食症と非嘔吐過食症を経験し、現在は仕事の傍ら「非嘔吐過食症に特化して」サポート活動を行なっています。
(発症〜克服までの経緯は、電子書籍『吐かない過食の治し方〜5つの小さな習慣で思考改革と食事改善を同時に叶える〜』(Amazon)に詳しく記載しておりますので、よければご覧くださいませ。)
皆さんは日頃、違和感を感じることはありますか?
それをそのまま放置していませんか?
実は私自身、小さい頃から違和感を感じることが多く、それを放置したために苦しい思いをしてきました。
でも、同時に学び得たこともありました。
なので今回は
「あなたのその違和感、自分の中にしまい込まずに共有していった方が、相手にも自分にも良いかもしれない」
といったお話をしようと思います。
世の中違和感だらけ
違和感ってどういう感覚かというと
・すんなり納得していない自分いる
・なんで?と感じる
この2点が大きいかなと思います。
例えば。(全部私の経験です)
小学校の国語の授業で、挙手して自分の意見を言ったら、なんだか先生も周りのクラスメートも微妙な表情。
少し戸惑った様子で「あ、うん、そういう意見もあるよね」と言ってすぐに違う生徒を当てる先生。
あれ、何でみんなそんな顔してるんだろう?
先生の反応がなんか変…?
自分は何かおかしなことを言ったんだろうか…?
理由も分からず、しかも思いもしない反応をされたことがショックで動揺しました。
当時感じた気持ちは今でも覚えています。
もう一つ。
20代半ばになると、友人や職場の同僚に結婚する人がちらほら出てきたりしますよね。
そうするとまだ結婚していない私は、知り合いや身内からこんなことを言われるようになる訳です。
”誰かいい人いないの?”
”(男性と会う時)男?彼氏?”
”(親と他人との会話)いい人いたらこの子に紹介してやってください笑”
3つ目なんて、自分がいないところで話されたりします。
もちろん日常会話のうちだと理解していますし、紹介で結婚する場合も往々にしてあることですから笑ってやり過ごしているんですが、正直かなり違和感。
なんでそんなに結婚を求められるんだろう?
好きな異性がいないといけないの?
無理やり好きになった方が良いの?
探してもないのに、なぜ紹介されないといけないの…?
結婚して子供産まない女性は異常なのか…?
言う方には悪気は一切なくて、特に両親の場合はむしろ心配してくれているのだと思います。
彼らの生きてきた時代背景もありますから、責めるつもりは全くありません。
ただ、「誰かいい人紹介して」なんて言われた方もどう反応したら良いか分からなくて変な空気になりますし、私じゃなくても彼らのような言葉を聞いて「早く結婚しなきゃ」って焦る方がいるのは事実。
また、異性が恋愛対象ではない場合もありますから、それで悩んでいる方もいらっしゃいます。
違和感の放置は思考を歪ませる
日常生活で感じる違和感、それが少数派であればあるほど「自分が悪い」「自分がおかしい」って感じて抑え込んでしまう人が多いのではないでしょうか。
親、親戚、友人、パートナー、先生、同僚、上司…
沢山の人間関係があるからこそ違和感は多く、そして避けられない。
この「違和感の放置」は、摂食障害にも関係しているのではないかと私は考えています。
自分はおかしいと思っていたけれど誰にも話せなかった、皆の意見に合わせてきた、それが長期間かけて積み重なって、大きなストレスの一つになっているのではないかと思います。
違和感の共有
違和感を感じることは全く悪いことではありません。かといって、その意見を相手に押し付けるのは違いますよね。
大事なのは、違和感を共有することです。
私は以下のポイントを意識しています。
・相手を否定しない
・どこに違和感を感じたかを伝える
・なぜ違和感を感じるのかを伝える
場合によっては相手が「それはやっぱりおかしいんじゃない?」となることもあるでしょうし、「確かにそうかも。今度からこうするね」と寄り添ってくれることもあります。
寄り添ってくれた時は「こうして欲しい」と、何をしたら良いのかを明確に伝えてください。それが相手にとって安心に繋がるはずです。
尚、違和感の共有は相手が良い返事をしてくれることを期待するものではない、ということを心に置いておいてください。
良い結果をすぐに求めるのではなく、どちらが良い悪いでもなく、ただ「こう感じる人がいる」ということを共有するんです。
中には違和感を伝えることが怖い…という方もいるでしょう。
確かにあなたが違和感を伝えなければ、相手の反応にビクビクしなくて済みます。
でもそれだとあなたの違和感はずっと心に残り続け、相手もあなたの違和感を知ることはありません。
つまり、何も解決に向かわず、少しも前に進まないということです。
私たちが誰かと分かり合いたい、もっと生きやすくなりたいと思うのであれば、親や友人や上司と、時には衝突(意見のぶつかり合い)をする必要があるのではないかと思っています。
「察する」ではなく、ちゃんと言葉にしないと伝わらないことは沢山あります。
あなたの違和感、私の違和感、皆の違和感。ぜひ共有していきましょう😊