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笑ってないとダメですか?

なんで「喜怒哀楽」って四字熟語があるの?

私は幼少期、嫌なことがあったりイラっとすることがあるとよく泣いた。
でもその度に母親から、
「泣いたってしょうがないでしょ!」
「怒ったって意味がないんだから」
と、泣くな怒るなと言われたものだ。

ただいつも心の底から疑問に思っていたことがあった。

じゃあ何で「喜怒哀楽」って言葉があるのか?
「怒」と「哀」はなぜ存在しているのか?
四字熟語って中国何千年みたいな歴史があって存在しているはずだよね?
必要なければ「喜楽」で良いじゃないか。

そんなことを考える小学生だった。
今思えば、昔から哲学が好きだったのだ。

ただ、当時この質問を親に投げかけても答えは返ってこなかった。

まぁ、戦後の高度経済成長期最盛期を生きてきた親にとっては疑問なんかなく、「そう生きてきたから」だったんだろう。
時代背景的にはたぶん間違っていないとは思う。

(※母ととても仲良しです。)

笑顔が良いね

それにプラスして、親戚から
「笑顔が良いね!」「笑顔が強い!」
とよーく褒めてもらえた。

10歳そこらの少女な私には純粋に凄く嬉しかった。だからこそ、
・笑顔でいれば褒めてもらえる
・笑顔でいれば好かれる
・笑顔でいれば認めてもらえる
そんなインプットがなされていた。

やっと気づいた大きな思い込み

先日、ある方とお話をしている時だった。

この時私は心底悩んでおり、これまで築いてきた自分のアイデンティティや自信は完全に喪失していたタイミングだった。
悩んでいたというか、時代変化に伴う自分自身のアップデートをかけていたという方がしっくりくる。

だから内心、
自分を信じられない…だから人も信じられない…
外側に意識を向けるほどの余裕なんてない…
1人で考えさせてほしい…
だった。

でも、お話をしている時は、
頑張って、踏ん張って、笑顔で話す自分がいた。

そんな時だ。こんな言葉をもらったのだ。

「やっぱりあなたは笑っているのが良い」
「笑顔が素敵な人だから」

このタイミングでのこの言葉。
私にはガツンと心に刺さってしまった。

普通だったらとても嬉しい言葉なはず。
でも、苦し紛れの笑顔でしかない今。
自分にも他人にも表情は嘘をついている…
だから純粋に喜べなかった。

そして単純に思った。

笑顔でいないとダメなの?

これは相手に対して思ったんじゃない。
「笑顔でいないと愛されないって前提条件設定してない?」
って自分に問いかけたのだ。

この時やっと自分の思い込みに気づいた。

怒ることや泣くこと、不機嫌でいる事 = NG!嫌われる、否定される。
笑顔で愛想がいい = OK!好かれる、愛される。

という設定になっていることに。

人見知りだけど笑顔でなんとかしてた過去

過去を振り返ってみるとそれは明確だった。

私は本来人見知りだ。(そんな風に思われることはほぼないが。)

初対面の人や緊張している場面では必死に笑顔を作っていた。
もちろん、コミュニケーション能力の1つとして笑顔は大切なことだ。
だから「笑顔で話しやすい」と言ってもらえてたし、営業職も担当できた。

笑顔は嫌われないための自己防衛だった

でも、無理する必要はあるのか?
笑わなくても良い場面でも頑張って笑顔を作る必要はあるのか?
自分に嘘をついてまで良く思われる必要があるのか?(これは結果的に本心で付き合えない関係になる)

表情の幅はある意味魅力だし、笑っているだけが好かれる一因じゃない。シビアな表情、ストイックな顔つきだって信頼に繋がることだってある。

そもそも冒頭の四字熟語に立ち返ると、
陽の感情があれば陰の感情だってもちろんある。
太陽は登るけど月はない、とか、男性は強くて女性は弱いとかじゃない。
必ず陰陽の感情が存在して自然体。
10歳そこらで「泣くな!」と言われて「じゃあなぜ喜怒哀楽という四字熟語が存在しているか?」と考え出すような個性だ。根っから太陽みたいに笑顔が眩しい明るい個性でもない(笑)

そう考えると、私にとって時に笑顔は嫌われないための自己防衛の1つだったのだ。

笑ってたって、しかめっ面だって良い。どちらの表情も大切な私の感情表現だ。
そう思うと、必要以上に無理したり自分に嘘をついたりして笑顔でいなくていいと感じられる。
その方が結果的には深い信頼に繋がるのかもしれない。

無邪気に笑う人は無邪気に泣いている人


「陰陽」という観点から言えば、
本気で笑う人は本気で泣いている人だ。

泣くのを我慢する必要なんてどこにもない。
むしろ我慢すれば笑うことも中途半端になる。

私たちは思いっきり笑いたくて(幸せになるために)生きている。
だったら泣きたいときには思いっきり泣けばいい。

「無邪気に笑う」という言葉があるが、無邪気に笑いたければ、辛い時には「無邪気に泣けばいい」と思う。

それに気づいた私は悩みの渦中にいる時思いっきり泣いた。
それでいいと思った。これも私だと。
きっとこれまで以上に、私は思いっきり笑える人になるだろう。
そう思った。

いらない思い込みは手放そう

ある人にとったら至極当然のことだったかもしれない。
でも、そんな当たり前のことが、思い込みによって自分らしさや感情を自分で殺している場合もある。

みんなそれぞれに育ってきた環境の中で身についている固定概念や思い込みってあるはず。
それもその人だけのものなんだけど、もうこれからの時代を生きる時に、自分を閉じ込めてしまう鎧や檻になる思い込みはいらないかなって思う。

時代の変遷期。
風の時代の完全移行までの大浄化。
また少しだけ、軽くなれた。

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