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咲ママ / 傑作集

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咲ママの代表作を集めました。 まずこれを読んで頂きたいと思う作品から、たった一人でも読んで頂けたらうれしいなと思って書いた作品まで、大切にしている咲ママの記事たちです。
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#家族

雨上がりの七月, 出逢って十年

十年前の 7 月、夫と出逢った。 あの日の朝、そんなこと、これっぽっちも知らずに。 ♢ 大学の研究所の夏祭りだった。 朝からしとしと雨が降っていて、大学院生だった私と、その他いくつかの研究室のメンバーは、一大イベントの幹事にあたっていた。 ビアガーデンのような夏祭り。 会場は毎年、研究所の食堂と、隣接する中庭。中庭の芝生にはビールサーバー車もやってくる。 その日はあいにく朝から雨で、絶え間なく雨粒が会場の芝生を濡らしていた。 当時いろいろと行き詰っていた私は、しばら

お宝ノートの軌跡 ~小学生から京大までのノートたち~

小さい頃からノートに書くのが好きだった。 いまはタブレットとか、はやっているみたいだけれど、私は自分の子どもたちには、紙に自分の手で書く大切さを伝えたい。 好きだったし、いまも好きだ。 * お正月に、実家で私の色々を整理していると、たくさんのノートが発掘された。 あぁ、懐しい。あれも、これも。 そのまんま覚えている。記憶どおりのノートだった。 ずっと、がんばってきたんだなぁと、少し色あせた実際のノートを手にしながら、ただただ、うれしくなった。 そんなコレクション。

娘がサンタに“渡した”クリスマス

冬になり、ちらほらと街がクリスマス模様になってきた。 今年、長女は 3 歳で迎えるクリスマス。 今年は 3 歳だから、そろそろなにか、欲しいものを言えるかな〜、と思って、長女に聞いてみた。 * もうすぐ、クリスマスだね。サンタさんに、なに、もらうの? (私の予想:なんだろう、トーマスかな?プリンセスかな?) 「サンタさんに  あげるの」 えっ、もらうんじゃなくて、あげるの……? サンタさんに、〇〇 が、あげるの? 「うん  あげるの♡」 (…なんと。もらうんじゃ

母になって、できるようになったこと

母になって 3 年になった。今月、長女が 3 歳になった。 この 3 年で、自分の内面がすごく幸せになったなと思う。 あたりまえのごく小さなことが、とても幸せに感じられるようになった。 子どもたちがはじめて見る草花は、私にとっても目新しい草花になって、 子どもたちと体験する夏は、私にとっても新鮮な夏のはじまりとなった。 自分の幸せを感じる “繊毛” のようなものが、あらゆる触れるものを、幸せとして捉えるようになってくれた。 子どもたちが生まれるまで、家でごはんを食べる

なにもしていなかった娘のお遊戯会から、見せてもらった世界

「うちの子、固まってて、な〜んもしてへんかったわぁー!」 そんなだれかのお母さんの声が、聞こえてきた。 わかる、わかる!私の娘 (3 歳) も、前回の保育園のお遊戯会で、な〜〜んにもしてなかった。ただ座っているだけだった。こんなお顔で。 (・o・)  * その日は保育園の発表会だった。 昨今の状況下なので、クラスごとの入れ替え制のお遊戯会。 発表会場に入ることのできる人数も制限されていて、発表会を見終わったある園児のお母さんが、会場の外で待機していたお父さんに、子ど

代わりになる存在と代わりにならない存在

仕事復帰をして、3 ヶ月がたった。 仕事復帰は、2 度目だ。 前回は長女、今回は次女の出産からの復帰。 この 2 回で、私の働き方は、ずいぶん私らしくなった。 「無理をしないはたらき方」を自分でアレンジすることができるようになったからのように思う。 家庭を一番にしながら仕事を楽しむ、時間と心の余裕のつくり方が、すこしずつ、わかってきた。 代わりになる存在と、代わりにならない存在を 自分のなかでうまく共存させる それが、心地よい働き方の源のように感じている。  *

自分とほかの境目

自分とほかの境目がわからなくなることがある。 ゆらゆらと海中を漂うくらげが、自分と海との境目を分かってなさそうだったり、 たんぽぽの綿毛がふわふわと青空を飛ぶとき、綿毛は、自身と風とのあいだに境目を感じていなさそうなように。 * 子どもたちが生まれるまで、子どもを守るために危険な場面に飛び込んでいく親たちの姿を、ニュースなどで目にしても、その気持ちがあまりわからなかった。 子どもたちが大切なのは、とてもわかる、でも…  やっぱり、こわいでしょう、と思っていた。 でも

仕事と家庭のはざまで、育休 1 年がくれたもの

陽だまりのようだった育休 1 年。 この 1 年が、私の人生にあった意味が、ようやくわかったかもしれない。 この 1 年、育休という日々を過ごしてきて、そして、これから仕事復帰というはざまに立って。  心を豊かにするために、生きているのかもしれない という気付きが、ふと、舞い降りた。 * この 1 年、いつもは素通りする心や感情を、丁寧に拾い、言葉にしてきた。 やらなければならない仕事に追われていた日々の、せわしさから、ふっと、切り取られたような、この 1 年は、

最後と思わないまま経験する最後

9 ヶ月の次女が、先日、卒乳した。 長女も 8 ヶ月で卒乳(断乳)したので、次女も 9 ヶ月のうちには、というのがわが家の方針だった。けれど、先日、ふと授乳なしに寝た日を機に、 『そうだ、今日でもう卒乳にしてしまおう!』 と思い立ち、実行する事にしたのだ。 だから、最後に授乳をしたのは、実はその前の日の晩だったので、『それが最後』、と思わないまま、人生最後の授乳を終えていた。 授乳というものをあまり知らない人にとっては、ちょっと理解し難いかもしれないのだけれど、生まれた

小さなにんじんから知った、うれしい褒め方

次女の初節句だった。 先日、わが家は年中にんじん料理を作る、というお話をさせてもらったが、やっぱり雛祭りの日も、にんじんが登場した。 メインは手巻き寿司パーティーなので、今日作ったのは、お吸い物と、にんじんの小鉢のみ。ちょっと、心を込めた。 食卓をのぞきこんだ、長女。 『わー ! かわいい〜!♡♡  きれ〜い♡♡ おいしそ〜う!!たのしい!!!』 歓喜の声で、くしゃっくしゃの笑顔になって、拍手をしながら、褒めてくれる 2 歳の長女。 『おかーさん、かわいい!す

記念日にふりかえって、変わらないことを、想う

5 年前の今日、結婚した。その日、手の届くところがないような、上という上がないほどの、つきぬける青空だった。今日の青空も、そのときのように、広く、心地よく、澄み渡っている。 5 年前には、今日、いまどんな暮らしをしているかなんて想像もしなかったけれど、あのとき青空を見上げながら、この先絶対に大丈夫、と根拠のなく持った確信は、守られ続けてきたと感じる。 結婚した当日のことも、8 年半前に夫とはじめて出会った日のことも、すごくよく覚えている。 夫と出会った、ということがなけ

育休 1 年を懸けて最適化した、にんじん料理

365日、にんじんにんじんって、こんなに美味しくて、こんなに、なんの料理でも合うものだったんだ・・・ と感銘を受けたのは、生まれて 30 年が過ぎたころ、にんじんだいすき長女が誕生してからだった。 『今日の晩ごはん、なにがいい?』と 100 回聞くと、100 回とも『にんじん!』とこたえる娘(2 歳)のおかげで、気づけば私は 365日、にんじん料理を作ることになっていた。 毎日料理をしてはいるものの、その料理は、単に自分と家族のためだけのものなので、インスタ映えオシャレ料

おむつダンボール箱の芸術的リメイク

赤ちゃんが生まれて間もない頃、たどたどしくオムツ交換をしていた私を見た助産師さんが、 「これから 5000 枚ぐらい替えるから、大丈夫よ」 と励まして下さったことを思い出す。 その言葉どおり、今ではオムツを箱買いすることもあり、そのダンボール箱が積み重なってゆく。 そんなおむつダンボール箱を使って、昨日、おままごとのキッチンを作った。 材料は、おむつダンボール箱 2 つ、お菓子の空き箱 1 つ、トイレットペーパーの芯のみ。制作時間は 20 分ほど、制作費は 0 円だ。