自分とほかの境目
自分とほかの境目がわからなくなることがある。
ゆらゆらと海中を漂うくらげが、自分と海との境目を分かってなさそうだったり、
たんぽぽの綿毛がふわふわと青空を飛ぶとき、綿毛は、自身と風とのあいだに境目を感じていなさそうなように。
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子どもたちが生まれるまで、子どもを守るために危険な場面に飛び込んでいく親たちの姿を、ニュースなどで目にしても、その気持ちがあまりわからなかった。
子どもたちが大切なのは、とてもわかる、でも… やっぱり、こわいでしょう、と思っていた。
でも、いまならわかる。私も迷いなく飛び込んでいく。
なんというか、自分が飛び込んでいった方が、たぶん、痛くないのだ。傍で、危険な目にさられている子どもたちを見ている方が、よっぽど苦しくて、痛くて。
子どもたちの感覚は、ときに、自分の感覚だったりする。
そのとき、自分と子どもたちの境目は、そこに、ない。
子どもたちが苦しかったりいたかったりすることは、私自身が苦しかったりいたかったりする事そのもので、自分がその苦しさを経験するよりも、見ている方がもっとつらいことなのだ。
きっと私は「子どもたちのために」飛び込むというよりも、「自分のために」飛び込む。自分を守るかのごとく、無意識に、飛び込んでしまう。
母になって、そう感じるようになって、飛び込んでいく親の気持ちが、すこしわかるようになった。
私の人生には子どもたちがいて、子どもたちが、万が一にもどうにかなってしまうなら、それは、私のこれまでの人生自体も、そして、これからの自分も、失われたり傷められてしまうこと。
自分の最も大切な部分に、子どもたちの存在がある。
そこでは、自分と子どもたちの境目が、とけこんでいる。
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私が夫とまだ結婚する前、同じく研究者だった夫 (当時たがいに大学院生) は、院生ならだれもが憧れとする学振という研究資金を獲得した。私も応募していたのだけれど、そのとき、私はダメだった (獲得できたのは翌年だった)。
私は自分の結果と同時に夫の朗報を知ったとき、
わぁ…うれしい!やったぁ!わぁ、
と、心の底から嬉しくなった。
いいな、とか、うらやましいな、とか、まったく思わなくて。
ただただ、嬉しかった。それに、すごいな、とも思わなかったのだ。すごいな、というのは、ある意味、他人ごとだから。
完全に自分のことのように嬉しくて、そんなふうに喜んでいる自分に驚いた。
このとき、私と夫の境目はなかった。
そして「私はこの人の生涯の伴侶になるんだ」と思った。
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最近、次女が 1 歳になり、長女 (2 歳) との個性のちがいが明らかになってきた。
全然ちがう。おもしろい。
長女は天真爛漫に明るくて、次女はチャレンジャーなのにどこか落ち着いている。
ふたりとも、とても素敵だ。
長女は次女にはなれないし、次女は長女にはなれない。
なってほしくない。それぞれが、そのままでいてほしい。
そう思うのに、自分のことになると、つい見失いがちになる。
たとえば「誰々みたいになりたいな」なんて漠然と思ったり。
もちろん、人の良い所を取り入れることは、すごく良いと思っている。
けれど、それは、あくまで他人の良い所を「自分に」取り込むのであって、自分が「その人のようになりたい」と思うのとは全然違うことで。
ベクトル (矢印) の方向が、まったく逆なのだ。
「誰かになりたい」というのは、自分からだれかに向かって矢印→が向いていているのだけれど、「良いものを自分に取り込みたい」というのは、自分側に矢印←が向いている。自分を、大切に、丁寧に、磨いていくこと。
だから、矢印はつねに、自分向き←にもっていたいな、と思っている。それが、自分と他人の、本来の境目の在り方のように感じている。
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私は研究者をしている。
よく「分野横断型」の研究が進められたりする。
分野横断型というのは、自分の専門分野と、そのほかの分野の「境目」のような研究をすること。汽水域のような研究。
そんな研究をするとき、「他の分野に踏み出す」と思っていると、どうも難しいように感じてしまう。なぜなら、その踏み出そうとしている分野の先には、既に、その分野のスペシャリストがいるから。
だから、「他の分野に踏み出す」のではなくて、自分の専門分野に他の分野を「取り込む」みたいな、自分向きの内向きの矢印←で取り組むと、捉えやすくなるように思う。
ベクトルは、いつも、自分向きに。
いろんな境目で、そう思う。
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そんなことを思いながら、子どもたちのことを思い返す。
子どもたちは、まちがいなく自分の人生の一部なのだけれど、子どもたちの人生に、私は土足で入っていかない。
自分のなかに、子どもたちの大切なことを、そっと取り込み、子どもたちの所には、むやみに入っていかず、見守る。
境目は、内向きに。
自分のなかで、大切にする。
そんな感じ方が、心地よく、自分とほかの境目をつくる、境目のつくり方な気がしている。
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