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小説まとめ

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【ショートショート】海と人間

「ねぇ、海ってなんで海なんだろうね」  まだ朝日が昇りきらず薄暗い早朝。緩やかな潮風。穏やかな波が寄せては返す砂浜。ダイエットの為にと彼女が始めたランニングに、僕は今日も付き合う。穏やかな終着点の海に、彼女の突拍子もない呟きが響いた。彼女の声が波の音に消えてしまわぬように、僕は耳を澄ませる。思考を澄ませる。海は何故海なのか。  だがその突拍子のない問いに僕は、「海水だから」としか導き出せなかった。そしてその解は彼女の求むものではなかったらしい。ぷくっと頬を膨らませた彼女は僕

【ショートショート】雪が積もったら何する?

「うわ~! 雪降ってる~!」  能天気で底抜けに楽しげな声が耳に届いた。キッチンでぐつぐつと煮込まれている豚汁の音など、彼女の声に掻き消されんとする勢いで。「見て見て!」と急かす彼女の声に小さく息を吐きつつ、お玉を鍋の蓋の上に置きリビングへ。カーテンが全開にされた窓の向こうは、見るだけで震えそうな程、雪が風に舞っていた。 「ヤバない? 吹雪いてるで!」 「おー、ほんまやな。めっちゃ吹雪いてるやん」  通りで寒い訳だ。そう言葉を付け足してキッチンに戻る。鍋の蓋を開けてみる

【ショートショート】だってキャンプが始まったから

 特に意味なんてなかった。  強いて言うなら、ああそうだ。プロ野球で春季キャンプが始まったから。 「うへぇ~……マーーージでくっさいんですけどぉ~」 「殺しの臭いは消せないって、案外ガチなのかもね」 「えっ、何それカッコいい!」  安物で洗っても取る事が出来ない程、薄汚れたシャツが物干し竿に揺れるベランダ。そこに続く窓ではエアコンの風でカーテンが揺れていた。購入から一度も洗濯された事がないであろう、薄汚れたカーテン。カーテンの隙間から見える空は、黒とオレンジが混ざり合う夕

【ショートショート】Q.感情の消し方

 自分の中に仄暗い感情が湧いた瞬間、人間は初めて人間になるのだと私は思う。  怒り、憎しみ、怨念、殺意。決して他人に向けて言葉を形にする事が良しとはされない仄暗い感情。湧いた瞬間から決して消える事のないそれは、消えたと思っていても何かの瞬間にふと顔を覗かせる。グラスの縁からぽたぽたとこぼれ落ちる水のように。止まる事のない清廉な湧き水のように。火にかけぐつぐつと煮え滾るお湯のように。  こんな感情は持っていても良い事などない。そう自分に言い聞かせても、一度覚えた感情は二度と消

【シロクマ文芸部】寒空と言う極上スパイス

お題:寒い日に  寒い日には特別おいしくなるものがある。  陽も沈み、真っ黒な空と相対して、電飾の眩しい繁華街の地上。酒で上機嫌な人が行き交う夜の街で、寒い日に特別おいしくなるものと言えばひとつしかない。そう、屋台のラーメンである。 「大将、とんこつラーメン二つ!」 「あいよ!」  風よけのシートを潜りながら、外気温との差で曇る眼鏡を外しつつ隣の彼と二人で空いている椅子に座る。そして至極単純な注文をひとつ。それが耳に届くや否や屋台の大将は笑顔の掛け声と共に、すぐさま麺を

【毎週ショートショートnote】月夜の寝ぐせ

お題:月夜の寝ぐせ  ふーっと吐き出された煙で咽る。せっかく浴びたシャワーを台無しにするような濃い煙草の匂い。ホテルに備え付けの高価なシャンプーもボディーソープも、煙草の前には無意味だった。 「ねぇ」 「ん?」 「たまにはさ……ううん、なんでもない」 「そ」  たまには昼にも会ってよ。思わず溢れそうになった言葉を寸でで呑み込んだ。彼には夜しか会えない。そう言う関係だから。私が彼をどれだけ想おうとも、それは変わらない。都合の良い女。それ以上でも以下でもない。  いや、以下

【ショートショート】まっしろ海にダイブ

 朝目覚めてすぐ。まだ暖房器具が眠っている古家は、屋内だと言うのに底冷えする。はーっと吐いた息が薄っすら白い。毛玉だらけの毛布を肩にかけ、これまた毛玉だらけのもこもこのルームシューズを履いて、ガスヒーターを起こした。冷えが一瞬で霧散するような温風で、ただちに温まり始める室内にほっと一息。  取り急ぎ熱々のコーヒーをマグカップに作り、猫のようにヒーターの前を陣取る。安物のクッションに座ってコーヒーを喉に流し込めば、胃の奥に湯気が広がる感覚。そしてコーヒーの香ばしい香りが鼻と口い

【ショートショート】血溜まり、行き止まり

 好きな人を殺した。  約束だったから。別れる時は死ぬ時だと言う約束だったから。他に好きな人が出来ただなんて、受け入れる義理などないから。 「はあー……やっぱこの煙草きっつ……」  転がる肉塊のポケットから、いつも彼が吸っていた煙草を拾い上げる。一緒に入っていた安物のライターでかちっと火を点け、一吸いですぐに咳が溢れ出た。新鮮で濃い鉄の匂いと、タール数の重い煙草の匂いが鼻の奥に残ってこびり付く。  彼が死ぬのは酷く簡単だった。包丁で胸を一刺し。たったそれだけ。まさか殺され

【毎週ショートショートnote】もじもじ社

お題:もじもじ社  ――もう失敗したくないそこの貴方。もじもじ社にお任せを。  そんな謳い文句が躍るHPから、勇気を振り絞って申し込みした。一向に終わらない就活。その原因は自分自身がよく分かっている。もう何社も落ちた面接。「はっきり喋れよ」の言葉がありありと面接官の顔に浮かんでいた面接。  人前だとどうしても緊張して上手く話す事が出来ない僕に、友人の友人から届いた風の噂。もじもじした気持ちを吸い取ってくれる。そんな会社があると言う、荒唐無稽な噂話。もう落ちたくないと、藁に

【ショートショート】一年の長短について

 ふわふわと煙草の煙が天井に向かって伸びては消えていく。無為な時間を過ごしていると知らしめるように、伸びては消えていく。 「もう今年もあと3日だってさ」 「早いなあ」  もうすぐ今年が終わる事への実感のなさに、二人で笑いがこぼれた。  子供の頃は季節の長期休みやイベントを楽しみ、時間の流れを強く感じられていた。楽しい時間はあっという間に過ぎると言うのに、一年と言う単位をとても長いものに感じていた。  それが大人になればなる程、楽しい時間などないのに一年と言う単位がとても短

【毎週ショートショートnote】ジンジャークッキーイブ

お題:ジンジャークッキーイブ 「いや、お洒落なクリスマスどこ行ってん」 「遥か彼方へ消えました」  鼻を掠めるほのかな生姜の匂いと、香ばしいほうじ茶の匂い。ぽりぽり、ぽりぽりと彼女が食べているお菓子の袋にはでかでかと、「生姜煎餅」と書かれていた。  今年のクリスマスイブは絶対お洒落にする。彼女はそう意気込んで、ジンジャークッキーを作ろうとしていたはず。もしかして俺の記憶がおかしいのか?  とにもかくにも、コンビニ帰りの冷えた体を温めようと、彼女の隣へ腰を下ろす。肩まで炬燵

【ショートショート】漫才と鍋ときみと

 リビングテーブルの上。ぐつぐつとガスコンロに乗って、旨辛い匂いを届けるキムチ鍋。その先にある、同棲を決めた際に二人で奮発して買った大きなテレビは、年に一度の漫才賞レースの真っ最中だ。  お笑い好きの彼女と毎年、この賞レースを見ながら鍋を食べる習慣も、もう同棲前からずっと続いている。この日を迎えると、本格的な冬を感じるようになった。 「いや~、冬ですなぁ~」 「冬だねぇ~」  熱々のキムチ鍋から豚肉ともやしを取り皿に取る。ほんのり赤く染まった見た目と、鼻の奥を通って腹を刺

【毎週ショートショートnote】忘年怪異

お題:忘年怪異  冬も十二月。酒好きはクリスマスには目もくれず、忘年会を楽しむ。忘れる程の年もないのに、忘年会にかこつけて酒を飲む。昨日はあちらのグループで浴びるように酒を飲んでいたのに、今日は別のグループでまた浴びるように酒を飲む。それが彼の十二月スタイルだ。 「おうおう!飲め飲め!今年も忘年会シーズンやで~!」 「別にあんたいつでも酒飲んでるだろ」 「そもそもなんで人間の風習に倣ってんだよ」  ぐつぐつ、ぐつぐつと大釜が茹でられる。その中に箸を突っ込んだ彼は、程よく

【ショートショート】吸い寄せラーメン

「ごちそうさまでした~」  馴染みの店主に退店の挨拶をし、暖簾を潜る。店内の暖房と酒で温まった体が夜風にぶるりと震えた。寒いと感想を呟いた瞬間、隣の彼も同じ感想を呟く。見事に一致したハモリに顔を見て笑い合った。  寒さをしのぐ為かただの気分転換か。お互いにポケットから取り出した煙草に火を点ける。ふわっと火の点いた煙草の先は、見ていると少しだけ温かく感じた。肺に吸い込んだ煙をふーっと吐き出して、一歩歩き出す。 「二軒目行く?」 「あー、悪くないかもなぁ。さっき焼きおにぎり食