千早茜『透明な夜の香り』を読んだ
そういえば最近はSFやファンタジー以外のエンタメ作品を読んでいなかったなと思って、昔読んで面白かった千早茜の小説すばる新人賞受賞作『魚神』を思い出し、千早茜を中心に読んでいくかと電子書籍を買ってみた。
実は小説すばる新人賞に作品を応募しようと思っていて、小説すばる新人賞の研究やその後のシミュレーションも兼ねて、関連作品を読むことにしたのだ。
『魚神』はファンタジー的な雰囲気を感じる、今現在も遊郭があるという設定の世界を描いた作品で、姉弟のインモラルな関係を主軸にしている。遊女の姉と、それに強く執着する弟。そこに現れる反社会的人物の蓮沼。この蓮沼がとても印象に残り、倫理観のなさによる危うさやこちらに与える不安感、不思議と感じる魅力がとてもよかった。
実は主人公の白亜も、それに執着する弟スケキヨも、読後あまり印象に残っていない。蓮沼の倫理観のなさと反社会的行為と妙な魅力がこの作品を面白いものにしていると思う。
と、『魚神』を読んだ経験をベースとして、私は同作者の人気作『透明な夜の香り』を読むことになった。
『透明な夜の香り』はある経験から仕事を辞めて引きこもるように過ごしていた女性・一香が、久しぶりに来たスーパーで見つけた求人チラシを見て応募することから始まる。
履歴書を送り、面接の知らせの電話が夜中かかってくる。その落ち着いた静かな声は、主人公によって「紺色の声」と形容される。紺色の声の持ち主は、一香の前に面接を受けた香水の匂いが強い女性が追い返したあと、余計な香りをまとっていないシンプルな香りの一香を家政婦兼事務員として雇うことにする。男は調香師だ。
調香師の男・朔は異常なまでの嗅覚を持ち、何でもわかってしまう。汗や尿の香りで体調や気分がわかるし、何より嘘の香りがわかり、嘘をひどく嫌う。一香は嘘をつかず、香りもシンプルだったこともあり雇われることになったのだ。
その後は一香は朔の住居兼仕事場の洋館で穏やかに過ごす。求められた料理をし、デザートを作り、朔に頼まれると依頼人のいる応接間で控えて待つ。そのように働きながら、一香は段々と健康な心を取り戻していく。
この作品、やっていることは最近流行りの丁寧な暮らしものに近いのだが、雰囲気があまりにも緊張感があり、妖しさが漂っている。食べ物がとてもおいしそうに見えるのに対し、その空間に漂うピリッとした空気が印象的なのだ。
おまけに調香師・朔が主人公・一香に持つ感情が、執着なのか他の何かなのかわからない感じが、緊張感を帯びている。倫理観のない朔は素直すぎる一香に対し、強い所有欲を感じているようなのだ。
甘やかな恋に見えたり、所有欲に見えたり、ひらひらと目まぐるしく印象を変えながら、ラストが近づく。結末は、驚いた。ネタバレは極力避けようと思うので書かないが、好ましいラストだったと思う。
私はこの作品に出てくる主人公・一香と調香師・朔に、『魚神』の白亜とスケキヨを見出したのだが、どうだろう。インモラルさがちらつく姉と弟の関係は、ここまで続いているのか? おまけに『透明な夜の香り』には新城という探偵が登場し、それが『魚神』の蓮沼のような印象を受けるのだ。ただ、蓮沼の倫理観のなさや魅力は、朔と新城で分け合っている感じはある。
初期の作品での創作の癖や好みは、なかなか変化しないものなのかもしれないな、と思ったりした。千早茜はキャラクター造形がとても魅力的なので、そう印象付けられやすいだけなのかもしれないが。
正直言って、衝撃を受けた。私が読んできた作品とは全く性格の異なる、人間が印象的な作品だ。もちろんキャラクター造形が魅力的な作品はSFや幻想文学、純文学にもある。でも、エンタメの人物や人間関係が中心の作品は、私はあんまり読んできていなかった。ここまで濃厚に書けるのはすごい、と素直に思った。電子書籍で買ったが、紙の単行本と続編を注文してしまった。
実は途中まで小説すばる新人賞に向けた作品を書いていたのだが、全部ボツにした。カテゴリーエラーではないが、方向性として違うなと思ったのだ。だからまた作品を練り直している。
こういう挑戦は面白いと思う。相手の得意とするものを得意にして挑む。一回り成長できそうな気がしてならない。