未遂の今

バスタブに浸かる。
バスボムを入れたぬるま湯は足に絡んでとろりと落ちてゆく。
鼻だけが水面から上にいる。
うるさいけれど、とてもしずか。
私が身体を委ねるこの箱が、湯船か棺かなんてこの際どうでもいい。
どうでもいいのだ。
だから1つ、話をしよう。

滑稽で憐れで、惨めな女の話をしよう。

「自殺未遂」

死にたかったのだ。
死にたかったのだと、今ではそう思う。
そう思っている、ことにしたい。
とにかく、私はこの平凡でしごく退屈極まりない現状からどうにか逸脱したくてたまらなかったのだ。
日常を非日常に変化させるのは簡単に思えてそうとはいかない。
どんなに刺激的な非日常も、3日もすれば日常だ。
だから私は、私の出来る範囲で日常から脱出しようと試みた。

いくつも、いくつも、いくつも。

タバコは嫌いだ。
ただの格好つけなのに、高くつく。
私は、退屈にじわじわと首を絞められていた。

日常から逸脱して非日常に出会うためにした数多あるいくつかのことのうちの1つ。

平々凡々極まりないが、1番手軽な逸脱法、

リストカット。

最初は興味本位だった。

死にたくないから。
生きたくないから死のうとするのでない。
死にたくないけど生きたいか分からなくなったから死のうとするのだ。

ここで私は少しだけ迷った

切るか切らないかではない。
縦に切るか横に切るか、だ。

よく見かけるリストカットの傷跡は大抵が横向きで、浅いものが多い
浅くなるのも仕方ない。骨が邪魔をするから

だから縦に切った方が深く、そして沢山の血を流すことが出来るだろうと。

でも思った、私は別に死にたくはないのだ。
ただ自分を傷つけた先に見える景色が見たいのだ死にかけじゃないと見えない景色だ。

血が足りなくなって霞んだ眼から見たあの東京タワーの赤と、私の手首から昏々と流れるあかはどう違うのだろうか。

私の生きている意味など、存在意義などこんな愚かな行為に見いだせるわけもないことを私は知っていた。
けれど私の興味本位は好奇心に変り、それは私の心の内の猫を、殺した。

端的にいうと、失敗した。
思った以上に痛かった。
睡眠薬やら精神安定剤やらなどとはご縁がないため気づかなかったが、
きっとこれは大量に飲んで意識が朦朧とした状態でやるべきだった。

最初はすうっと、こぼれ落ちる赤が美しかった。けれど、止まらない。止まらないまま溢れ続ける、赤くて黒い液体。
ただ眺めていた。なんとなく。眺めていた。

痛みが全身を駆け回り私は泣き叫びながら、だらだらと血を垂れ流す傷口を抑えて喚く。

いやだいやだいやだいやだ!こわいこわいこわいこわい!死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない、死にたくない!!!!

わかっていた。
わかっていたさ、結果なんて。

この世に「自殺」など存在しない。
繰り返した自殺未遂が、たまたま完遂された。
それだけの事だ。
未遂で終わらせるつもりが、終わらなかった。
ただ、それだけ。

私が生きているか死んでいるか?
逸脱した非日常から、抜け出す方法は2種類しかない。
そのまま死ぬか、惨めに助かるか。

私は惨めな方がよかったのか。
分からない。分かれない。分かりたくない。

惨めに生きる、それしか方法がないことを、傷口から滲み出る赤い液体を見つめ続けて夜が明けた。

私は今日も、完遂されない今を生きる。

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