【ミステリーレビュー】今はもうない/森博嗣(1998)
今はもうない/森博嗣
S&Mシリーズの8作目となる長編ミステリー。
あらすじ
婚約者の伝手で、デザイナー・橋爪氏が所有する別荘に来ていた笹木は、居心地が悪くなり、廃線跡を見に森へ入る。
そこで偶然"西之園家のお嬢様"に出会ったことを契機に話が転がり出し、彼女も別荘に滞在することに。
しかし、その晩、同じく別荘に来ていた美人姉妹が、隣り合わせた密室で1人ずつ死体となって発見された。
嵐により道が封鎖され、電話線も切れたクローズドサークルにおいて、笹木は自分のポリシーに反する不思議な感情に戸惑いながら、密室の謎に挑むことになる。
概要/感想(ネタバレなし)
もともとは「封印再度」までの5部作を想定していたシリーズ作品。
第6作、第7作は、同じ時期に発生したふたつの事件を偶数章と奇数章で書き分けるという実験的な試みを取り入れていたのだが、この「今はもうない」も、これまでとは異なる作風となっていて、なんだか外伝風。
というのも、40歳の公務員、笹木の手記という形で物語が進行。
彼を視点人物として、"西之園嬢"に出会い、不可解な事件に巻き込まれていく過程をなぞっていくスタイルをとっていて、シリーズ内の探偵役・犀川は、幕間に登場するのみ。
2作続けて犀川が脇役に徹する形となったので、彼の推理力やキャラクターに魅力を感じている読者は、やきもきしたのではなかろうか。
同じスピンオフ的な作風でも、ある程度シリーズ全体とのバランスを見て体裁を揃えた「夏のレプリカ」に対して、手記という形で構成そのものをガラっと変え、幕間にてシリーズ全体の主人公である犀川&萌絵が過去の事件を考察する、という形式をとっている。
マンネリ打破を狙い、新鮮さをもたらそうとする意味合いもあったのだと思われるが、徐々にその真意がわかっていくゾクゾク感が面白い。
なるほど、本質はそっちだったか。
総評(ネタバレ注意)
シリーズ中最高傑作という声もあるようで。
読む前は、天才的な推理力を持つ犀川がいない分、凡人がドタバタ真相に迫っていく過程が評価されたのかな、なんて推測していたが、どうもそういうことではなさそうだ。
萌絵が、過去に関わった事件について犀川に話す、という設定であるにも関わらず、視点人物を笹木としたのが、振り返ってみて肝だったな。
最初は、アンフェアをフェアにするための手記だと思っていた。
萌絵が見ていない描写や、笹木の主観が推理における重要な手掛かりになっているのでは、といった具合いに。
読み進めていくと、どうもこれ、萌絵が犀川に話す内容としては不適切では、という出来事が描かれる。
そこで、あぁ、このためだったか、と勝手に辻褄を合わせてしまうのだ。
それでも幕間でのやりとりから感じる違和感で、大ネタについても、うすうす勘付いていくことにはなるものの、ふたつの密室という魅力的な事件を、まさか撒き餌にするとは思わないじゃない。
シリーズものだからこその先入観を逆手にとった、見事なトリック。
わかった、わからなかったはともかくとして、これをシリーズの中に持って来たアイディアやセンスに脱帽である。
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