連ちゃんパパの闇

https://www.mangaz.com/book/detail/202371

Twitterで話題になっていたので気軽に見てみたら想像以上の内容で、あまりのことに読後に苛立ち、胸焼け、不快感、心の闇の発露などが発生した。読み終わってからもじわじわと遅効性の毒を受け続けるなど今までにない。
トラウマとして意識から遠ざけるよりも「なぜ自分はこのマンガを読んでここまで精神的ダメージを負ったのか?」を考えてみたくなった。
というか、一度文章という形にして吐き出しておかなければ気が晴れないという妙な確信がある。
いつもながら好きに書いた散文なので、なんでも読める方のみお楽しみいただきたい。

まずこの「連ちゃんパパ」、絵柄が釣りバカ日誌やコボちゃんなど暖かみのある昭和の空気をまとっていて「とっつきやすい」印象を与える。
それでいて背景は描き込まれていてリアリティがあり「このマンガは現実世界を描写している」と視覚的に理解できる。
さらにマンガとしての構成が非常にしっかりとしていて冗長や停滞がみられず、43話完結なので読もうと思えばサラサラと読めてしまう。
マンガのどの要素を切り取っても妥協がなく、説得力に満ちている。

問題は、この丁寧に築かれた世界の登場人物(主要キャラ)ほぼ全員が共感性のない精神病質者(サイコパス)気質であることだ。

主人公・日之本 進がパチンコにハマる前、教師時代に教え導いた卒業生たちに事情を知られる回がある。
進は彼らから「真っ当な道に戻ってきてほしい」という言葉と、再起のための資金をもらう。涙ながらに受け取り、その場ではパチンコを断つと宣言する。
しかし翌日には教え子たちの思いを踏みにじりカンパされた金をパチンコに全て注ぎ込み「次は他の卒業生にたかろう」と大笑いする。

パチンコ漬けの親のもとで半ば放置されている進の息子・浩司を担任の女性教師が哀れみ、自宅に連れ帰る回もインパクトが強い。
進は親らしい対応を求める彼女の説教を耳に入れず「同じ顔を見たくないと思わせて息子を取り戻し」「あわよくば先生の家に転がり込む」ために強姦という手を使う。
息子を取り戻せず先生に家から追い出され、すべての目論見が失敗に終わっても何一つ反省せず次の機会を狙うだけ。

などなど、主人公一人の行動を書き出すだけでもキリがない。
「何が起ころうと絶対にこいつのようになってはいけない」という反面教師として道徳の本に掲載されてもおかしくないレベルの罪を次々と重ねていくのだ。
漫然と見ているだけで
「次に何を始めるか、何に悪影響をもたらすか分からない」
「悪い意味で行動の予測が出来ない」
「楽しく笑いあった数秒後にこいつに刺されているかもしれない」
といった生物としての本質的な恐怖を駆り立てられる。
(29〜33話の表紙は「進がカメラ目線でこちらに拳を向けている絵」なのだが、ストーリーを理解した上で見ると「加害者の絵」に見えなくもなく、個人的に再読の妨げになっている)

読んでいる間の感情の揺らぎは「寄生獣」の最序盤、名もなき夫婦の妻がパラサイトに侵されクリオネのように顔が裂けて夫を喰い殺す場面や
主人公の母親がパラサイトに殺され、すげかわった場面に近い。
「寄生獣」はその後、パニックホラー路線から主人公に寄生するパラサイト・ミギーをはじめとする「知性が高く、対話能力を持つパラサイト」との生存競争へと切り替わっていき、理不尽な不気味さや理解不能な要素は薄れていく。
だが「連ちゃんパパ」のキャラクターたちは人間でありながら、パチンコにハマった後ラストシーンまで思考回路を汲み取れないままであり続ける。
嫌な気持ちになると分かっているなら読むのをやめてしまえばいいのだが「次はどんな外道を起こすのか?」「どのように裏切られるのか?」が気になってしまい、彼らの行く先をつい見届けてしまう。
その中毒性は驚異的であり、怖いもの見たさという言葉の意味やジェットコースター、お化け屋敷がなくならない理由の一つを実感させられた。

このマンガの数多の感想のひとつに「大切な人には見せたくない」というものがあったが、読んでみないとその真意が掴めないのがにくいところだ。
私も人には勧めたくないが、もしどうしても興味を持った場合には
口直しに自分の好きな漫画やアニメや小説を用意したり、抱えた感情を発露できる場を用意したりした方が良いと思う。