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「悪しき先例」を踏襲する宮内庁──ご負担軽減を名目に、昭和と平成の宮中祭祀簡略化。いまこそ陛下を救出する落下傘部隊が必要だ(2009年02月03日)

(画像は宮中三殿。宮内庁HPから拝借しました。ありがとうございます)

▽1 現実化する祭祀の破壊


 今週のメルマガは「総力取材」と銘打った「文藝春秋」の記事を取り上げようか、それとも「WiLL」の西尾幹二先生の論考について書こうか、と思い悩みましたが、それらは次の機会に譲ることにして、やはり今回は拙著の発売日に明らかにされた宮内庁発表について何点か指摘したいと思います。

 要するに、いままでこのメルマガや新著で申し上げてきた祭祀の破壊が、いよいよ現実になっているということです。

 宮内庁の発表は「今後の御公務および宮中祭祀の進め方について」と題されていますが、いみじくもこのタイトルに、祭祀に関する宮内庁の姿勢がはっきりと現れています。

平成21年1月29日の宮内庁の公表事項「今後の御公務及び宮中祭祀の進め方について」から
〈https://www.kunaicho.go.jp/kunaicho/koho/kohyo/gokomu-h21-0129.html〉

 つまり、御公務と祭祀は別物である、祭祀は天皇の公的なお務めではない、と宮内官僚はお考えのようです。

 歴代天皇が第一のお務めと理解してきた祭祀を、宮内庁はまるで占領軍の理解そのままに、「天皇の私事」と考えているということでしょう。

 本文にもきわめて不適切な文章が続きます。

 たとえば、「両陛下は……数多くの御公務や宮中祭祀をお務めになっていらっしゃいました」とありますが、誤りでしょう。御公務はいざ知らず、少なくとも宮中祭祀の主体は天皇であって、両陛下がお二人で祭祀をお務めになるわけではありません

▽2 昭和の簡素化は「ご高齢」が理由ではない


 最大の誤りは、このメルマガの読者なら先刻ご承知の通り、「昭和時代にも,昭和天皇が70歳になられた頃から,御公務や宮中祭祀の調整・見直しが始まりました」とする歴史理解です。

 あたかも昭和天皇のご高齢に配慮して、ご負担軽減のために、御公務と祭祀の調整が行われたかのような言い方ですが、事実ではありません。

 祭祀嫌いの俗物・入江相政侍従長らによって祭祀が「簡素化」されたのは、「ご高齢」はあくまで口実であって、真因はこれまた誤った、厳格な政教分離政策にありました。

 以前も書いたことですが、宮内庁が何食わぬ顔で、昭和期の悪しき先例を踏襲するのは、前例を盾にした反対封じであり、あってはならない伝統破壊の正当化にほかなりません。

 そして、入江らが昭和40年代に、旬祭の親拝を5月と10月の年2回に削減し、新嘗祭を夕(よい)の儀のみ親祭とした、祭祀の破壊に宮内庁はふたたび手を染めようというのです。まさに暗黒の入江時代への先祖返りです。

 このメルマガで何度申し上げてきたように、国事行為の臨時代行とは直ちに飛躍しないまでも、法的根拠や伝統的裏づけがあるわけでもない御公務のお出ましを削減し、あるいは御名代として皇太子殿下を立てるという方法がなぜ検討されないのでしょうか。

▽3 いまこそ落下傘部隊が必要


 宮内官僚による祭祀破壊の企てに対して、今上陛下は、昨年は「平成の御代が20年を超える来年から」としばしの時間的猶予を仰せになりましたが、今回も、昭和天皇がそうであったように、争わずに受け入れるという至難の帝王学を実践され、たったお一人で、宮中祭祀という皇室の伝統、すなわち日本の多神教的、多宗教的文明の核心を守ろうとされているように私には見えます。

 かつて昭和58年に宮中祭祀の破壊が白日の下にさらされたとき、評論家の福田恆存は「私には冗談としか思えません。……天皇の祭祀は個人のことを祈るわけではなく、国家のことを祈るわけですからね。もしこんなことを宮内庁が続けるとしたら、陛下を宮内庁から救出する落下傘部隊が要りますねえ」(「週刊文春」昭和58年1月20日号)とコメントしたのですが、いまこそ陛下を救う落下傘部隊が必要のようです。

「週刊文春」昭和58年1月20日号「宮内庁を悩ます内廷職員の学会発表」から


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