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天皇の祭りの「米と粟」

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神嘉殿で行われる宮中新嘗祭、大嘗宮で行われる大嘗祭で、もっとも重要な神饌は「米と粟」の御飯(おんいい)です。なぜ「米と粟」なのか、なぜ「粟」なのか?
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#宮中祭祀

大嘗祭は「米と粟」の複合儀礼──あらためて研究資料を読み直す(2011年12月18日)

大嘗祭は「米と粟」の複合儀礼──あらためて研究資料を読み直す(2011年12月18日)

 先月、政教関係を正す会のシンポジウムで、大嘗祭が稲と粟の複合儀礼であることについてお話ししたところ、旧知の神道学者から「新嘗祭と異なり、大嘗祭には粟は登場しないのではないか」というご指摘をいただきました。

 著名な研究者からの指摘ですから、無視することはできません。まして、「大嘗祭は稲と粟の複合儀礼ではない」ということだとすると、私の年来の主張はもう一度組み立て直さないといけなくなります。

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天皇はなぜ「米と粟」を捧げるのか?──涙骨賞落選論文「天皇とは何だったのか」4(2019年7月21日)

天皇はなぜ「米と粟」を捧げるのか?──涙骨賞落選論文「天皇とは何だったのか」4(2019年7月21日)

日本の稲は栽培種であり、帰化植物である。日本列島に自生する稲はない。粟がエノコログサを原種とする穀物であるのとは異なる。

 植物遺伝学者・佐藤洋一郎氏の「日本稲の南北2元説」によれば、日本の稲には遺伝学的に2つの源流があるという。ひとつは東南アジアの島々から伝わってきた陸稲的な熱帯ジャポニカで、そのあと、もう一つの中国・揚子江流域を起源とする水稲的な温帯ジャポニカが伝来した、と説明されている。

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粟餅を食べたら、ふたたび疑問が湧いてきた──粟の御飯の調理法(令和4年12月26日、月曜日)

粟餅を食べたら、ふたたび疑問が湧いてきた──粟の御飯の調理法(令和4年12月26日、月曜日)

年内最後の実験を試みた。

国産のもち粟を使用し、12時間吸水させたのち、今回はお茶の粉末を入れ、よくかき混ぜて、炊飯器の白米おこわモードで炊いた。炊き上がったら、すりこぎで餅につき、半分はそのまま丸め、残りは粒あんをつき入れてから丸めた。

画像の手前が前者で、奥が後者である。粒あんをつき入れたのは、神武東征のおりに作られたという「つき入れ餅」の故事を思い出したからである。にわかに船出することに

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宮中新嘗祭が「米と粟の祭り」である理由──台湾パイワン族の祭祀から考える(令和4年11月20日、日曜日)

宮中新嘗祭が「米と粟の祭り」である理由──台湾パイワン族の祭祀から考える(令和4年11月20日、日曜日)

台湾総督府のパイワン族リポートを読んで、もっとも衝撃的で、なおかつ得心したのは、粟を神聖視するパイワン族が稲作を禁忌していることだった。首狩の習俗を持つ台湾先住民にとって、米は文字通り、敵対する敵の作物なのである。

そのことはいまの日本人には理解が難しい。農家が田んぼも畑も作るのがふつうだと考えるからである。けれども、かつてはそうではなかっただろう。ヤマとサトは別の文化圏であり、粟と米はそれぞれ

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台湾総督府が記録する台湾先住民パイワン族の粟の祭祀──禁忌された稲作(令和4年11月18日、金曜日)

台湾総督府が記録する台湾先住民パイワン族の粟の祭祀──禁忌された稲作(令和4年11月18日、金曜日)

台湾の先住民が粟を食べ、粟の祭祀を行っているというリポートがある。大正期に台湾総督府蕃族調査会が取りまとめた『蕃族(番族)調査報告書』シリーズで、第5巻にパイワン族のことが書かれている。宗教的分野でもっとも進んでいる先住民と説明されている。

国会図書館のデジタルコレクションで、誰でも、好きなときに読むことができるので、一読をお勧めしたい。

リポートによると、パイワン族の食生活は、主食物は芋やサ

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もち粟とうるち粟を合わせ炊いてみた──宮中新嘗祭「粟の御飯」を再現する(令和4年11月9日、水曜日)

もち粟とうるち粟を合わせ炊いてみた──宮中新嘗祭「粟の御飯」を再現する(令和4年11月9日、水曜日)

宮中新嘗祭の粟の御飯(おんいい)を再現する実験を続けている。

これまではもち粟ともち米を合わせ、炊飯器のおこわモードで炊くという方法を採ってきた。古代人はもち粟を甑で蒸したのだろうと想定したものの、もち粟100%で試みる自信がなかったからである。

宮内庁掌典職OBの話を聞いて「12時間以上吸水させる」ことも分かった。同時に、もち粟とうるち粟と混ぜるという事実も知ることとなった。

それでいよい

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