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時計の契約:第2章8時

8時:記憶の迷路

机に向かってえらく分厚い本を静かに読む時翔ときとの背中を時折見ながら、俺はベッドでゲームをしていた。中学一年生になった時翔は背が伸びて、スラっとした手足と母さん譲りの色の白さ、あまり感情を出さないところは父さんにそっくりだ。俺は時翔の部屋でのんびりとゲームに興じていた。時翔は相変わらず分厚い本に集中してたが、ちらっとこっちを見ているように感じた。その視線は何かを窺うようだった。
「兄さん、最近よく眠れないんじゃない?」時翔の声が部屋に響く。
「別に」淡々と答える。
「昨日は兄さん、体調悪そうだったけど、今は大丈夫なの?」心配そうに尋ねてきた。
「そうだったかな」思い返してみるが、昨日のことが不思議と思い出せなかった。

一階から母さんがお昼ご飯が出来たと叫んでいた。ゲームを切って下に降りる。テーブルに並ぶのはカレーだった。「昨日の夜もカレーだったな」とつぶやくと、昨日はお寿司でしょと母さんに笑われた。そうだっけ。少し戸惑いながらテーブルにつく。遅れて時翔もテーブルに加わり、怪奇な目で見てくる。記憶が断片的で心の奥底でモヤモヤが溢れそうだ。
食べ終わった食器を片付けて早々に部屋に戻る。カレーの余韻に浸りながら部屋に入ると、時翔も入ってきた。
「兄さん、話したいことがあるんだけどいいかな」いつものような穏やかな声だが、どこか緊張したようなまなざしに不安しかなかった。

ベッドに二人で座ると時翔が口を開いた。
「兄さん、昨日僕が話したこと覚えている?」静かに問いかける。
「なんだっけ」と思いを巡らせる。
「5歳の誕生日の話」深いまなざしを向けている。5歳の誕生日はまだ時翔が小さくて、その姿を思い返すと遠い記憶が心を包み込むようだった。なんだか自分が自分じゃないふわふわした感覚が霧のように覆ってくるようだ。
『時翔、大きくなったなぁ、兄ちゃん会いたかったんだぞ』俺の目には涙がうっすら目じりに滲んだ。

しかし、時翔の表情は青ざめ、そのまなざしは心を貫くように冷たかった。
「兄さん、いや、お前は誰なんだ」時翔の怒りに満ちた顔に言葉が詰まった。なのに口から出る言葉は
『俺ははるだよ、時翔』あれ、はるって誰だっけ。自分の言葉に、ひどく動揺し目の前がぐわんぐわんと回って俺の意識はここで途切れた。


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