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昔好きだった人を超える人は、見つかるはずがない。

19歳のとき、東京で、大恋愛というものを経験した。

当時は”これが大恋愛だ”なんて、気づくはずもなく、感じたことのない恋心と、ただ必死に戦っていたに過ぎない。

連絡を待ってしまったり、直接会うとうまく話せなかったり、人前で抱きしめられて「やめてよ」と突き放したり。
好きな人に「このあと2人になってもいい?」と聞かれたら「別にダメじゃないけど」なんて、興味のない冷めた風の反応をするような、かわいさのかけらもない女だった。

今思えば「ピュアすぎんだろ私」とツッコミを入れたくなるほど、クソ真面目あまのじゃくガールだったのだ。自分の気持ちに、自分が追いつけず、気持ちとは裏腹の行動を起こしてしまう。完全なる恋の病だ。

時間が経ってから「あのときは自分を見失うほど、あの人に惚れていたなぁ」という事実に気づき、それを自分の中の大恋愛と定義した。


■ 大恋愛で学んだこと


恋が過ぎ去ってから、気づくことは多い。気づいたからには、次は少しでも改善しようと取り組むしかないのだ。(元運動部の精神)

大恋愛していたときの気づき
・自分を見失う
・彼と一緒にいるときの、素直じゃない自分が嫌い
・どれが自分の本心なのか、わからなくなる
・好きだけど辛い気持ちがイヤ
・うまくいかないのは、自分のせいと思い込む

完全なる、自己否定癖だ。元運動部で、何事にも負けてはいけない!という呪縛に囚われていた、若いころの私。
ストイックといえば聞こえはいいかもしれないが、自分に厳しすぎて、自分を見失うのは本末転倒。

次、誰かを好きになるときは、自分のことを大事にしてあげないと…と頭では理解した。


■ あの人を超える人には、一生出会えないと思った時

大恋愛のあと数年は、誰かを本気で好きになれることはなかった。

どうしても、彼を好きだった時の気持ちと比べてしまうのだ。

デートをしても「あの人だったら、こういうことを言うだろうな」「あの人なら、おいしいお店に連れてってくれるのに」と、完全に比較してしまう。

あの人以上の人なんていない。
誰も好きになれないや。

それでも、絶対に素敵な人を見つけてやる!と、謎の上昇志向だった私は、一応デートを定期的にするのであった。
(1回会って、手すら触れずに「だめだ、つまらん」の繰り返し←当時のストライクゾーン狭すぎんか)


■ 考え方を改めた25歳


きっかけは、表参道での友人の結婚式。
安心した笑顔の友人を見て、素敵だなぁと思ったし、私まで幸せになった。

私をそういう表情にしてくれるような、安心できる相手を探さないとなのか、と気づく。

自分を見失うのは、もう懲り懲り。
自分らしくいても、お互い何にも気にしない人と、一緒にいたいと思った。

でも、ドキドキしたいし、おしゃれな人がいいし、人間として賢い人がいいし、落ち着いているのに面白い人がいいし、歌が上手い人がいいし・・・なんて理想を考えたらキリがない。

「まだ、出会ってないだけか」と自分を納得させ、友人の結婚式の2次会でも、やっぱり出会わなかった。(そう簡単に出会わない)



■ 「一緒にいるときの自分が好きかも」と思える人

自分が素直でいても、笑い飛ばしてくれたり。
好きの比重が同じか、それ以上の愛情をくれるひと。
本音を言い合っても、わかり合うことができる人。

そういう人と一緒にいたいなと、友人の結婚式以降に考えた。
あのときのように、自分を見失う恋愛はしたくない。(後悔は全くないし、最高で最低な思い出だけど)

そんな考えのなか、彼(元彼)に出会った。

第一印象はあまりよくなく「もう会わないだろうな」と思っていた矢先、メンタルがやられた瞬間に「会いたい」と思ったのが彼だった。

元気のない私にも、何にも気にせずに接してくれる彼は、当時、私の癒しだった。

自分らしくいても、嫌われないことを知った経験である。

そんな平穏な日常を送り、付き合って1年ほど経った時、偶然にも大恋愛したときの彼に出会ってしまう。



■ 「彼氏いるんだ…彼氏、どうせすごい人なんでしょ?」

ニヤッとしながら、そう言われた覚えがある。
大恋愛をした彼は、私の中ではすごい人だった。
しかし、今お付き合いをしている彼に対して「すごい人」と思ったことがなかった。(申し訳ない)

「彼氏はどんなひとなの?」
「某メーカーの◯◯を作ったりしてる人かな」
「やっぱりすごい人だ。ふーん。彼氏のこと好きなの?」

たぶん、彼なりに、すこし寂しい気持ちになったのかもしれない。(知らんけど)
離れていった女に、男性は多少なりとも未練はある生き物だ。(と思いたい)

「すずは、すごい人に惚れるから」という彼の発言は、
「彼氏より、あなたのほうがすごい人だよ」と言って欲しかったのかもしれない。(強がりで真面目な人なので)

そういえば、大恋愛しているとき、いつも彼のことを褒めていた気がする。心の底から「すごい」を何度言ったか、わからない。

もしかしたら、私の存在で、彼が救われていたこともあるのかもしれない(あればいいな)
褒めてくれて、受け止めてくれる存在がほしかったのかもしれない。当時、少しでも彼の気持ちを救えていれば、いいなと思った。

そして、過去にどうしようもなく惚れた男は、過去の私に対して罪悪感があったのか
「夜だし、帰り気をつけてね。タクシー使いなさい。」と、私の手に紙を押し込んできた。

偶然出会った道端で、1万円を貰った、謎の経験。
きっと、これも一生忘れないだろう。


■ 比べる必要なんてなかった

相手を比べても、違う人間なので、全然違う感情が生まれるのはあたりまえ。

本当に比べる必要があったのは、あのとき上手くいかなかった自分と、今の自分を比べてあげることだった。

あのときコントロールできなかった恋心、いまでは多少コントロールできるようになったかもしれない。

あのとき素直になれなかった自分、今の彼と一緒にいるときは、わりと素直になれている気がする。
あのとき気持ちを伝えられなかった自分、今はきちんと「好き」が言えるようになった。

相手を比較するのではなく、過去の自分と今の自分を比較して、成長できてるかな?を見てあげると「こんな私もいいじゃん」と思えるようになった。



■ さいごに

大恋愛の経験がある人は、それもそれで経験値。
自分を探す冒険(人生)では、自分を見失うことだってある。

大恋愛は思い出として、美化されている部分も多いだろう。でもきっと、信じられないほど自分を追い詰めたり、不本意なことを相手に言われても、我慢して飲み込んできたのではないだろうか。

そんな苦しい思いを、またしたいとは思わない。
(でも何にも変え難い、すごくいい思い出)

「あんな苦しい思いをしたくないから、恋愛したくない」という思考に、たどり着くこともあるかもしれない。
でも、同じ人はいないし、過去の自分と今の考え方とは違うので、同じ思いを繰り返さないように、気をつけることができる。

似たようなひとに惚れて、傷つくのであれば、それは今の自分に合っていない人を、選んでしまっているだけ。
まずは、今の自分をきちんと見てあげたいものだ。

恋に出会うたびに、気づけることは「自分らしさってなんだろう」を、相手を通して知れる、学びなのかもしれない。

夫に出会ってから6年が経つが、日々学びがあり、結婚して良かったなと心底思っている。

ステキな人は、世の中にたくさんいるけれど、夫と生きる人生が、今の私には合っている。

あのときの、しんどかった恋愛が、今の人生に活きていると思うと、なんだか尊い思い出。

いつかまた、道端で出会えたら、それを運命と呼ぼう。
(何年も前に、スマホぶっ壊して連絡先消えたので、どこにいるかもわからない)

あなたには、大恋愛の経験がありますか?



最後の婚活のはじめかた アラサーすず

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