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嵯峨“がまを”亜希子
2021年12月2日 10:15
たまたま見ていたテレビにピカソの「ゲルニカ」が出てきて、ボーッと眺めていた。右上から灯りを持ってニュ~っと入ってくる女性の顔が、「ゼフュロスの吹く息」に思える。いちどそう思い始めると、もうそうとしか思えない。つまり「ゲルニカ」全体がボッティチェッリ「春(プリマヴェーラ)」の参照であると……。その女性が持つ灯りが希望の象徴とか、倒れる人の手もとの花が希望の象徴とか聞いたけれど、ゲルニ
2021年12月7日 11:36
ぼんやりと疑問に思うことがありまして、端的に言うと、50年後100年後に秋田に住んでいる人や秋田に来た人が、90年代以降の秋田の美術をどこに行ったら観られますか?ということなんです。現代美術の醍醐味は、当たり前のことですが、同時代に作品が生み出されるさまを、作家の有りようを、まのあたりにできることですし、また今の時代は、鑑賞者個々人の多様なスタイルでもって、解釈も関わりもできる
前回の続きです。では「秋田の美術」とは何でしょうね、、、正解はないのかもしれませんけれど。作家が秋田に住んでいる、秋田出身である、ということにとどまらず、秋田に暮らす私たちの価値観の発見とか、その変容体験が、秋田で展開された時、そういったものが「秋田の美術」といえる、と私はイメージしています。今、価値観が大きく変容していく時代のただ中にいます。そんな中で、2005年にはココラボラト
2021年12月9日 10:02
3年くらい前でしょうか、私は会う人たちに「アートって何ですか」としきりに聞いていました。ちょっと悩んでいて (ま、今も悩んでいる最中だし、たぶん今後も悩むのでしょうけど) 、えーい、いっそインタビューだ、という気持ちでした。答えてくれた人たちの表現する「アートとは」は、予想以上に多様なものでした。そのひとつひとつの言葉は大切な私の財産としてずっと胸に抱いています。…照れくさいことを言います