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四月になれば

春。新年度。入学。入社。入所。
4月から環境が変わるときの感覚を、私はもうすっかり忘れてしまったらしい。
3月と4月の切り替わりを特別に感じていた時代が随分昔のことになってしまった。

4月になれば…どうなる?

ここ数年の私といえば
その日暮らし。基本予定は未定だし。期待と不安は常につきまとっているし。
ある意味、毎日が4月って感じ。
毎日が4月って感じなのに、ほんとうの4月は全然4月って感じがしない。
毎日がちっちゃい4月。おっきい4月がない。

おっきい4月がちょっとだけ恋しい2023年4月1日。

振り返ると、毎日"昨日よりもグレードアップした日"を目指しすぎた2023年3月は正直苦しかった。
反省している。
生きようと思えば思うほど生きたくなくなった。
その反動で、生きねばと思うようになった。  
日々その繰り返しで負のサイクルを生んでいた。
ここで言う"生きる"は"頑張る"に近いもので、決して生死を彷徨っていたわけではないが。
私にしては珍しく情緒不安定であった。
しかし、全てなるべくしてなったと受け入れてゆっくり元の自分を取り戻していく、そういうポジティブなパワーは失っていなかったようで、幸い大したことにはならなかった。

さて。
突然だがここで、先月聴きまくっていた森山直太朗さんの歌の話を。
精神安定剤的役割を果たしてくれた直太郎さんの歌には、私の心を柔らかくするいくつかの成分とその効能があった。
⚫︎其の壱、嫌味のない声質。
これは完全好みの問題なので人によるとは思うが、声質が好みであることはやはり大前提である。
嫌味のないその声質には、良い意味でサラッと聴き流せる心地よさがある。癒し効果抜群。
⚫︎其の弐、やさしい言葉づかい。
まるで詩集を読んでいるような気分になる、そんな歌たち。音楽を、フレーズを、リズムを、ちゃんと尊重しているのがわかる言葉のチョイスが素敵で。
〇〇みたい、〇〇かな、〇〇だろう、と、押し付けがましくない語尾がとてもまろやかな印象を残す。
やさしい言葉が絶妙な距離感でこちらに寄り添ってくれるので、心が和らぐ。
⚫︎其の参、バラエティに富んだ曲調。
ポップ、カントリー、語りと歌、合唱、などなど、多種多様の世界観があり、心をびゅーんと飛ばして旅をさせてくれる。言わば心のための飛行機である。旅先で得たエッセンスには、キャパを広げる効果がありそう。(実際に広がっているのか、広がったという錯覚に陥っているだけなのか、どちらなのかは不明)

これはもう紛うことなき音楽療法だ。

私の心の恩人となった森山直太朗さんは、名曲『さくら』をリリースした何年か後に『四月になれば』という曲を産んでいらっしゃるのだが、、、
これがまたいい。
繰り返される「四月になれば」という歌詞が、その先にどんな言葉がくるのだろうかと色々想像させるくせに、なんとその先は「四月になるさ」となるのである…!!そうきたかぁ〜!
こんな結末を誰が予想できただろうか…!

四月になれば…四月になるさ。
それはそうか。間違いはない。

よくよく考えれば、4月だからって特別扱いすることもなかったのだ。
4月がなんだ。
「私がスタート地点です」と言わんばかりに毎年アピールしてくるけど、節目なんて人それぞれ。スタート地点なんて人それぞれ。4月にこだわらなくたって良いよね。
この記事の序盤で「おっきい4月がちょっとだけ恋しい」とかなんとか言っていた自分が可笑しく思えてくる。

三月になれば三月になるし、
四月になれば四月になるし。

ただそれだけのことだった。

四月になれば…どうなる?

特別どうにもならない。

それでいい。それがいい。
他の月と平等に、気負いすぎずいこう。

Let's play▶️Shigatsuni Nareba

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