靴を買ってあげる。だから私に会いに来て。ー私と義母ちよこさんの交流
義母のちよこさんには,今から1年半ほど前に,私の自宅から歩いて10分くらいのところにある老人ホームに入ってもらった。
老人ホームの生活は,体が元気なちよこさんには不自由だ。
中軽度の認知症のちよこさんが外出することを,ホームは当初,スタッフが付き添うときのみに制限した。入居の数か月後から,決まったコースへの一人での外出が許されたが,ちよこさんには最初に制限された印象が強く残ってしまい,遠慮しながら散歩や買い物に出かけていた。
地元にいた時はお茶を飲んでおしゃべりする仲間がたくさんいたが,ホームでは気安く話せる仲間はできない様子で,ホームのレクリエーションにも積極的には参加したがらない。
電話ではいつも「大丈夫,もう慣れたから」と言っていたが,会えば寂しさや退屈さを訴えていた。その都度,私や息子たち(私の夫や義弟)が慰めていた。
しばらくすると,うちの家族はちよこさんの日常的な用事をしたり、毎週会いに行くこと,義弟は月に1回程度車で遠くへ遊びに連れて行くこと,という暗黙の分担ができあがり,ちよこさんにとっては満足ではないにしろ,それなりの形ができてきた。
夫は週に一度、平日の仕事帰りにホームに訪問していたが、息子というのはいつまでも母親が煙たいものなのか、たった10分くらいで帰ってきた。私は日曜日ごとにちよこさんの部屋を訪れ、1時間ほどお茶を飲みながらおしゃべりするようになった。
買い物だけが楽しみになったちよこさんは、常に果物やお菓子で棚をいっぱいにしていて、私が部屋を訪れるとそれを出してくれる。ひとしきり話して帰ろうとすると、「一人では食べきれないから」と袋に詰めて持たせてくれた。
いつしか、私の中でこのお茶の時間が習慣になり、義務感よりは自発的な気持ちで訪れるようになった。ちよこさんも心待ちにしてくれていた。
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ところが、そんな安定した期間は長くはなかった。
ちよこさんがホームに入って半年後、義弟に病気が見つかった。
それは予後の悪い病気だった。
治療が始まり,ホームを訪れることはできなくなってしまった。
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一方で,夫は元気なうちに人生を楽しみたいと,早期退職をすることを決めた。退職後は趣味を楽しみながら,母のところにもしばしば会いに行ける,そうすれば母の気がまぎれるだろう,と目論んでいた。
私たちは、義弟の病院へ医師の話を聞きに行ったり生活の相談を受ける一方で、弟の来られない分も埋めようと週末ごとにちよこさんの元へ通ったり、食事に連れ出したりした。
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ところが,義弟の病気が見つかったさらに半年後後、退職まで数か月を残した時期に,夫にも病気が見つかった。
あろうことか,それは義弟と同じ病気だった。
もちろん,ちよこさんには二人の病気がほぼ完治しないものだということは伝えていない。
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夫の入院が長引き,私は病院へ通うのに忙しく,ちよこさんのところへ行く回数は減った。夫が退院後は,不自由になった体に合った生活環境を整えることに精一杯で,さらに仕事の繁忙期も重なり,会うことができなくなった。
そこへ,コロナウイルスの流行である。全国の高齢者施設では感染予防のための措置を取られ,それはちよこさんのホームでも例外ではなかった。
外出は禁止され,家族の面会もできなくなった。ちよこさんは,ホームに閉じ込められた状態が約3か月続いた。
ちよこさんから,「家に帰りたい」という電話がしばしば夫や義弟にかかるようになった。それはたいてい導眠剤が効いてきた夜9時過ぎ。声の調子が昼間とは別人のように低い。ときには夫と激しいやり取りになった。しかし,翌日には何を言い争ったかは忘れてしまい,それが夫の徒労感をさらに増幅させた。
コロナウイルスの流行という100年に一度の危機は,80歳を過ぎたちよこさんの経験に照らしても理解を越えていた。緊急事態宣言の最中で日本中が外出することに神経をとがらせている間も,まるで自分に言い聞かせるように「きっと3日程度で出かけられるようになるでしょう」と言っていた。いつ外出ができるか私たちにもわからない中でどう答えていいのか困り,「そうだね」と合わせてみたり,事実を伝えなければいけないと「もっと長い期間外出できない」と言ってみたりしたが,どこまでちよこさんが理解していたかはわからない。
一方,夫は退職したものの,治療の影響でホームへ行く体力はなくなってしまった。それ以上に,衰えた姿を母親には見せたがらなかった。
面会や外出は禁止されたが、差し入れは許されたので、私や子どもたちが、ちよこさんの好物の漬物や果物、菓子などを買って行き、ホームの玄関で少しだけ言葉を交わした。
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6月に入り,ようやくスタッフが付き添っての外出が再開され,家族の面会も,時間や回数の制限付きで可能になった。
再び日曜日になると、私は差し入れを持ってちよこさんの部屋に行き,短い時間おしゃべりをした。ちよこさんにもまた元の穏やかな表情が戻り,夜の不穏な電話はかからなくなった。
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あるとき,ちよこさんは夫に,預けている自分のお金で私に靴を買ってやってほしいと言った。休日にホームへ会いに行く私が,いつも忙しく走り回っているから,足に合った動きやすい靴をプレゼントしたい,というのだ。
ちよこさんと私は気安い仲ではあっても,折々にはやはり夫や義弟,孫が優先されることを感じ,それはその世代の人にとっては私は嫁にすぎないから仕方ないことと気にとめてもいなかった。
ちよこさんが私に何かを買ってくれるというのは,新婚の時以来。改めてそんな申し出をされたことに戸惑いも感じ,あまり本気では受け止めず、忘れかけていた。
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近頃のちよこさんの定番は,就寝前の電話のおやすみの電話だ。
今晩は私が出た。
今日もつつがなく過ごせたという報告の後,
「この間,〇〇(夫)には言ったのだけど,冴子さん,私のお金で靴を買ってください。歩きやすい靴を。あなたはいつも忙しいから動きやすい靴がいいと思うの。」
そして
「それを履いて,私のところに来てほしいのよ」
電話の向こうで、ちよこさんはいたずらっぽく笑った。
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最近,コロナウイルスの感染者が増加している。ホームからは,6月下旬に厚生労働省から高齢者施設での面会を制限する通知が出されたことを受け,再度面会を制限することになったとの連絡が,数日前にあったばかりだった。
夫と私には,このままちよこさんがホームにいるべきなのか,迷いが生じていた。もう少し自由な環境に移るべきでないかと、違う施設のパンフレットを見たりもしていた。しかし,夫が闘病中のわが家には,ちよこさんが新しい場所で生活することを支えることは難しく,現状を受け入れるのもやむない,という結論になったばかりだった。
ちよこさんには,まだ面会の再制限のことは言っていない。
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ちよこさんに,どんな靴を買ってもらおうか。
それを履いていったら,ちよこさんがどんな表情を見せるだろうか。
それは,
いつになるのだろうか。
靴を買ってあげる、それを履いて会いに来て、と言ったちよこさんの思いが,真っ白なキャンバス地のスニーカーのように素朴で,私をせつなくさせる。