ムカつく
そもそも、「許せない」という感情がわたしを勇ましくした
そしてその根本は、「ムカつく」だったと思う。
思春期の真っ只中、
わたしは大いに許せず、ムカついていたことが多かった。
その矛先は、詰まらないルールだった。
夏には半袖を着なきゃいけないとか、
体操着は、ハーフパンツの中に入れちゃいけないとか
学校にハンコ(これは文房具扱いなのではないか?)を持ってきてはいけないとか
あまり正当性を感じられないルールに、わたしは腹を立てていた。
じゃあ変えたらいいじゃん、と思うわたしの根本は、楽観だろうか正義感だろうか
それについては言及しないけれど、放っておくのも、
ただ、ルールを守るのも破るのも、わたしにはおもしろくなかった。
二十代を過ぎ、おとなになるにつれ、ムカつくことに気持ちや体力が向かなかった。
すなおになれなくなったのかもしれない。
ちょっとそっぽを向きながら過ごした、
もしかしたらこれこそが、わたしの思春期だったのかもしれない…
友達と思える人が増えて、その人にムカつく自分に違和感を覚えたような気もする。
「そのひと自身と、そのひとの音楽は違う。イコールではない」と言い放った人がいた。
二十代のわたしは、好きになった人の音楽はやっぱり好きだったし、好きなところを探したり
好きな音楽をやっている人は、単純に好きになっちゃったりしていた。
彼の言い分は、あまり理解できなかった。
大事にしている言葉を言い合ったことがある。
わたしはなんと言ったか覚えていないけれど、彼がこう言ったことは覚えている。
「そのひとが、何に怒るのかを知ること」
もう5年近くなるだろうか、
たしかにそれもありだなあ、と思いながらも
その言葉はわたしに突き刺さることはなく、
それでもぼんやり、残り続けていた。
最近また、許せない、と思う気持ちを手に持っている。
それは、物事に真剣に向かい合うことだったかもしれない。
そりゃあ、二十代のわたしも二十代なりに、真剣だったでしょうけれど…
そして切り離せるようになった。
友人が友人だから、すべて許したり認めたりしなくてもいいんだ、ということが
なんだかしっくりくるようになった。
そしてわたしは怒っている。
友達をないがしろにされたこと。
友達をバカにされたこと。
努力を踏みにじるような発言や結果になってしまったこと。
すごく、腹を立てている。
また、本人がきちんと怒ってくれないものだから
わたしは代わりに腹を立ててしまう。
放っておける問題じゃないし、
ありがたいことに、手を出しても大丈夫な立場に置かせてもらったので
わたしは、おとなという分別をわたしなりにわきまえたまま、
やっぱり怒っている。ムカついている
そしてわたしはたしかに怒っているけれど
そういうことをしたひとたちを、嫌いにならずにいる。
なんかそれは別物だ、とたしかに思っている。
そういうひと、と決めつけてしまうのはなんだか違うでしょ。
ただ純粋に、その事実が許せないのだ。
そうして、はたと気付くのだ。
わたしが怒っていることに、一緒に腹を立ててくれる人がいる
それはないよ、と言ってくれる人がいる。
わかっている、大丈夫だ、と言ってくれる人がいる。
それぞれの立場で、わたしの気持ちとわたし自身を大事にしてくれる人がいる。
なんでだろう、と思うが
みんな当たり前の顔をして「まつながが困っているから」「まつながが頑張っているから」と言ってくれる。ばかだなあ…
だから安心してわたしは、腹を立てる。
しっかり守ってもらう。
そうしてまた、勇ましく生きる。
いろんなものをつなげたり切り離したりしながら、
大切なものを大切と、しっかり叫んでいくのだ。