冴子
夫のがん治療とその後のこと。家族の側から。若干愚痴まじりに。
そのときどきに感じたこと
義母のちよこさん(仮名)は初期から中期の認知症です。ちよこさんの認知症エピソードと、しっかりしていた頃の記憶を書きます。
うちの車は10数年前に買った軽自動車。夫がある車種にこだわり、新車で購入した。車に関心がなく、当時免許を持たなかった私は、車選びは任せきりだった。 無骨なマニュアル車。 我が家では車種に君付けで呼んでいた。 私は車を購入後に免許を取り、駅までの送迎くらいは乗っていた。でもどうにも運転には慣れず、ギアを変えるときにギアを見たくなって前方不注意になるし、車を運転するたびに緊張で喉がカラカラになる。次第に車を運転することはなくなった。 夫も運転は好きではないので、週末のお酒
ある日、突然彼が帰ってきた。 舞い上がった私はあれこれ機関銃のように話した。 ふと我に返り、座り直した。 「あの、◯ちゃん、ごめんなさい、 あなたの物をいろいろ処分しちゃったの」 がしっと両手が乱暴に私の頬を挟んだ。 あぁ、怒られる…と思ったとき、 「何言ってんだ、がんばってるじゃないか」 … それで、目が覚めた。 確かに両の頬に、指の圧力が残っていた。
日曜日の朝。 寝坊のうたたね。 うっすらと目を開くと、見慣れた背中があった。 じんわりと体温を感じる。 ちょっと狭くるしいな。 でも、こういうのは悪くないな。 彼の髪の匂いがする。 こうして一緒に寝ているのはいいな。 こうして二人で並んでいるのはいいな。 死んじゃっても、 こうして一緒にいられるなら、いいな。 … 死んじゃっても…? どうして隣にいるの? … そこで目が覚めた。 私の横には白いシーツ。 誰もいない。 でも、確かに鼻腔の奥に懐
もうここには書かないかな、と思ったけれど、やはりここにしか書けないことがあり、戻ってきた。 ◇ ひとりでいることは気楽だ。 子どもと暮らしているけれど、パートナーがいない気持ちに空白がある暮らし。 食べるものも、寝る時間も、誰からもとやかく言われない。 なんて自由。 しかし、2年も経つと何かが物足りなくなってきた。 寂しいとか、そういうのではなく。 自分が薄っぺらくて、底が浅い人間になった気がする。 誰かがいると、その人とのかかわりで自分ひとりでは行かなかった
前回の記事で、夫の物を整理していることを書いた。 保存するか、処分するかの基準は、私自身が関心を持てるかどうか。 さて、今日は体調が悪くて半日寝ていた。生産的なことはしないと決めたのだが、頭の中でつらつらと思考はめぐっている。 考えるのは、これからどうしていこうかということ。 それで再認識したのだけれど、私が今の仕事をしていることは、夫の希望であって、私がやりたいことではないのだ。 物を整理するのと同じ基準を当てはめるなら、これは、私には要らないもの。 気づいてい
しばらくこのアカウントから離れていた。 マイナスの感情ばかり書いていた自分にうんざりしたり、恐らく内容を読んでいないと思われる方からのスキやフォローに複雑な思いを抱いたりして、疲れてしまったのだ。 もうこのアカウントでの更新は止めるつもりでもあった。 しかし。 喪失感は簡単に癒せるものではない。 また、誰にでも打ち明けられるものでもない。 人によっては読みたくない、聞きたくないと思われるだろう。 だから、たまにはこちらにも書いてみる。 ◆ 昨年秋の夫の逝去以
オットが亡くなってから,私は断捨離を続けた。とはいえ,おもに処分したのは私も持ち物や家事に関するもの。オットの物は,雑誌などの重要度が低いものしか処分してこなかった。 重要だが,着手しなければならなかったのが,蔵書だ。 オットはある分野の書籍を買い集めていた。それを物置部屋の本棚に収めてきたが,2年ほど前にそこを息子の部屋に改造した後もそのまま置いていた。本棚の棚板が本の重さで撓んでしまい,息子がアレルギー性鼻炎で部屋の物を少なくした方がいい。私は残念ながらその分野には疎
夫が亡くなったことは、間違いなく私の人生のいくつめかの区切りとなった。秋から冬にかけて、何かに憑かれたように家を片付けていた。疲れて仕事から帰った夜も、休日の午後も。 私の好きなnoterさんが,様々なものを買い替える様子を「脱皮の時期」と表現していた。 私が家の中を片付けることも「脱皮」なのだろう。 目の前から消えたものは、いつか記憶からも消える。せっかくなので、文字で残すことにする。 第一段階 最初は,自宅で看護するために購入したものを処分。 それ以降は,ここ
最近の私は何かを選ぶとき、そこそこ手に入りそうなものや、手軽なものを選ぶ傾向がありました。 食べ物も服も、「私に似合うレベルはこんなところでしょう」と決めていたようです。 そんな思考を繰り返すうちに、本当に希望していることと、妥協して決めたことの区別がつかなくなってきたり、自分が一番望んでいることがわからなくなってきたようです。 お母さんたちって,そんなことが多いと思うのです。子どもが好きなおかず,家族の誰かが喜ぶ場所,そして年相応の服,とか。自分の第一希望を引っ込めて
また断捨離ネタなのですが…。 先日の「ウチ、"断捨離"しました!」で洋服の断捨離について取り上げていました。 その中で「なりたい自分をイメージして服を選ぶといい」というコメントがありました。 今までは"まだ着たいかどうか"で選んでいましたが、なるほど、"なりたい自分に合っているか"という視点で選ぶとまた違ってきます。 この問いは、"私がなりたい自分って何だろう"、さらに"なりたい自分が着ている服はどんな服だろう"と、イメージを具体化させることになるのですね。 私がな
私が今,毎回視聴している唯一のテレビ番組がBS朝日の「ウチ,”断捨離”しました」。 家が片付かなくて悩むおうちを”断捨離”の提唱者・やましたひでこさんが訪問して指導し,1か月間その家族が断捨離に取り組みます。 最初のうちは,自分の家が片付けられない代わりに番組を見てすっきりした気持ちになるために見ていました。しかし,最近は断捨離番組というより,家族の姿を見る番組としてとらえています。 片付かない,物に囲まれた部屋には,住む人の心や家族の関係が映し出されているのです。
3日前の記事で、ちょっとしたことが人にお願いできることになったと書きました。 それは、夫の確定申告のこと。 通常の確定申告は、1〜12月分を翌年に申告します。ところが亡くなった人の確定申告は、死後4ヵ月以内にやらなければなりません。これを準確定申告といいます。 うちの場合は、夫ががんの定期的な検査を受けていたので毎年医療費が10万円以上かかります。それにたまに寄付もしていたから寄付控除も申告できるのです。 確定申告すれば数万円が還付されます。以前は1、2日作業したとし
このところ仕事が忙しいうえに,休日も何かと用事が入ります。 一方で,やりたいこともあるわけで。例えばオンデマンド配信の講座を見ようとか。そういうのを忘れないようにメモに書きつけておいたりします。 そうすると「やりたいこと」も次第に「やらなければならないこと」の一部になって,楽しみにしていたはずのことも義務の一部のようになってしまって,なんだか重荷になってしまいます。 こういう時間の過ごし方ばかりだと疲れますね。 来週は久しぶりに遊びの予定が入ったので,それを
先日つぶやいた「娘の連れ合いを亡くした親の悲しみ」について、もう少し書いてみます。 私の親戚は、40代で夫を亡くされました。当時お子さんは中学生と小学生。 父親を亡くした孫のため、その方のお父様が父親代わりのように接してくれたそうです。 それから30年近くが経ち、 「娘の連れ合いを亡くした親の悲しみが今になってわかる」 と話されました。 子どもが誰かと生活を共にするようになれば、親は一応の自分の責任を果たした気持ちになるものです。 その相手が亡くなったときの心配
残業続きだと考えることがネガティブになるので,寝る前に今日のいいことを3つ数えてみます。 ① 新しい服を着て出勤した。 ② 今日やろうと思っていたことをこなすことができた。 ③ 子どもたちが自分たちで考えて夕飯の支度などをしてくれた。 今日は年・月・日とも天中殺だったけど,うん,悪い日ではなかったね。 おやすみなさい。
早くに夫を亡くした親戚との話の中で,「娘の連れ合いを亡くした親の悲しみがある」という話になった。 あまり思わなかった(敢えて思わないようにしていた)けれど,そんな思いがあるのかもしれない。 十年に一度しか連絡を取らない仲でも,同じ経験を持つものどおしで通じることがある不思議。