同僚との死別
突然ですが、先日、現在の職場において私に一番近い席で仕事をしてきた同僚(以下Aさんとします)が、急逝しました。私よりはいくつか歳上ですが、亡くなるには早すぎる歳で、見た目にも雰囲気的にも実年齢より若く感じられる人だったし、ほんの少し前までいつも通りに会話していたので、あまりの急展開に頭がついていかず、全くもって受け入れられません。
そんなわけで、このところ珍しく塞ぎ込んでいました。お祭り騒ぎだの何だのという賑やかな場、眩しい場所には近寄る気にもなれず、しばらくは1人静かに過ごしたいな、と……。
Aさんは元々心身ともに抵抗力の弱い人で、ひっきりなしに風邪やコロナなどの感染症にかかったり、頭痛や腹痛などで欠勤していましたが、深刻な持病や障害を抱えていたわけではなく、昨年までの健康診断では特に何の問題も指摘されなかったそうです。強いて言うなら、少々貧血気味なのと、低血圧ぐらいです。あと、非常に神経質なところがあったので、気で負けてメンタルの問題に振り回されることなら多々ありました。
そのAさんが、7月はじめに急に具合が悪いと言い出し、何やら白目の部分が黄色い気がするし、かつて例のないほど足がむくんで歩きづらいほどだ、と言うので、私はこう答えました。もし黄疸が出ているなら肝臓の問題、足のむくみが極端にひどいなら、腎臓に問題があるかもしれない、と。
ただこれはあくまで素人判断だから、本当に何か尋常でない気がするなら、病院でちゃんと検査をした方がいいとも付け加えましたが、私は個人的に、Aさんの経済状況が逼迫していることも知っていたので、強くはすすめられませんでした。良くない発想ですが、もしそれで今何か問題が見つかって、治療や手術などをしなくてはならないと言われても、支払うお金がない、という思いが、Aさんの念頭にもやはりあったのでしょう。退職や引っ越しを間近に控えていたこともあり、このタイミングで病院はちょっと……という反応でした。
そこで私は、とりあえず足のむくみだけでもどうにかして、当面の生活を楽にしたい、というのであれば、ひょっとしたら針治療やお灸などの東洋医学系の処置が役に立つかもしれないと、以前お世話になっていた整骨院を紹介してみた。原因如何によっては、うちでは何もできませんという話になる可能性もあるけど、針の腕前がピカイチの院長先生がいるので、ためしに相談だけしてみたら? と。
いきなり病院へ行くのは怖いが、それなら行ってみようかな、と興味を示したAさんは、早速その日の帰りに整骨院へ行き、LINEで報告をしてくれました。院長先生から、顔色がかなり悪いので、まずは病院で検査をして、もしそれで何もなければ戻ってきてくださいと言われたため、結局明日病院に行くことになったけれど、親身になって相談に乗ってもらえたので、それだけでも行って良かった、紹介してくれてありがとうと。
しかし翌日、予定通り病院で検査をしたAさんから、血液検査の数値が色々とひどいことになっていて緊急入院することになった、引き継ぎも中途なのにこんなことになりご迷惑をおかけします、との連絡がきて、そのまま顔も見られない日々に突入。そう。整骨院行きをすすめたあの日が、私がAさんに会った最後の日となったのです。
実はAさんには、抱えている問題が多々あって、その時期立て続けに色々なことがありました。しばらく前に、娘が貧血で倒れて頭を打ったとの知らせを受けて、東京へ飛んで駆けつけたり、溺愛していた飼い猫がお腹を下したので、仕事も休んで動物病院へ駆け込んだり、引きこもり中の同居の息子がコロナにかかったり……。それらと同時進行で退職や引っ越し、新居探しのための不動産回り、お金の無心をしていた東京在住の兄とのやり取りなど、休む暇なく山ほどのことをやっていました。
だから緊急入院の連絡を受けても、その時点ではまだ皆、単に疲れが溜まっていただけだろう、しばらく休めば回復して戻ってくるに違いないと思い、さほど深刻に捉えていませんでした。
その後、グループLINEで時おり送られてくる経過報告によると、肝臓と腎臓の機能が特に悪くなっていて、今出血したら止まらなくなるレベルだし、腹水も溜まっている、また毒素が全く排出できない状態なのに、栄養失調だからとどんどん色んなものを注入されて、足が曲げられないほどむくんでボコボコになっている……等々、聞いたことのないような話が続々と送られてきた。院内でも、複数の医師が診に来てくださったが、皆口を揃えて「こんな症例は見たことがない」とのことで、原因がはっきりしないままでした。
長期入院になるので別の病院へ転院させる、との話も持ち上がり、会社側では、ただでさえ弱っている人を、そんなタイミングで転院などさせて大丈夫なのか? と心配しつつも、Aさんの離職日がもう間近で、おそらくこのまま1日も戻れずに終わるだろうということで、オフィスの鍵や健康保険証等の返却をAさんに求め、有休消化や傷病手当ての準備などをバタバタと進めていた矢先のことでした。
7月29日の月曜日、出勤するなり朝一で電話がかかってきて、私が受話器を取るとAさんの娘さんからでした。そのとき社長は不在だったため、後ほど改めてかけ直すとのことで、実際に知らせを受けたのは午後でしたが、なんと、28日の午前中にAさんが息を引き取ったという話でした。予想だにしていなかったので、頭の中が真っ白になりましたね。しかもあれよあれよという間に事が進んで、早くも火葬場に行く話まで耳に入ってきたため、『そんなまさか!?』の連続でした。
今でも信じられません。何もかもが急すぎるし、その存在があまりに身近すぎて……。
── そんなわけで、今は、会社を契約者、Aさんを被保険者とする養老保険の、死亡保険金の受け取り手続きに関するやり取りなど、保険会社とご遺族との間に入って立ち回る会社側の担当窓口として、日々対応に追われています。Aさんがいなくなった後のデスクに置かれた花瓶の水換えをして、花の手入れをするのも、私の役目です。
Aさんと最後に会ったのが7月1日。その約1ヶ月後に、まさか自分がAさんのためにこんなことをする立場になろうとは……。
今、私の手元には、AさんとのLINEのやり取りが残っている。訃報を受けてからの数日間、何度もそれを読み返し、会社の誕生日会などで一緒に写った写真を見ながら、ここ約1年半の記憶を色々と振り返っていた。
Aさんとは、色々あったのです。
なにせ彼女は、私と同じく機能不全家庭育ちの人でしたから。会社のほかの人たちには話さないようなことも話したし、闇の共通点があるからこそ衝突することもあった。彼女は、自分が愛も尊重もない異常な環境に育ったことを自覚していながら、どうしても自分をコントロールできず、ついつい自分がされたのと同じようなことを、子供たちや他者に対してしてしまう情緒不安定なアダルトチルドレンでした。
出会い始めの頃は、そりゃひどい関係でしたよ。Aさんは生い立ちの共通点を知るや否や、私にやたら執着をして過干渉になり、社内で付きまといのような行動を取っていました。他者に対する距離の取り方もわからないため、時には私の頭を小突いたり(←悪気は一切なく、犬猫を可愛がるときと同じノリで、満面の笑みを浮かべながらの話ですが)、また時には背後霊のように巻き付いてきたりする(全身でベタっと粘着質に抱き付いてくる)こともあり、その奇行の数々に、私は鬼のようにぶちギレて拒絶したものです。
Aさんにしてみたら、大好きだからやっているのに、この人は何故怒ったのだろう? 一体何が悪かったんだろう??? という思いで、面食らったのでしょうね。私の猛反撃にオドオドしながら、Aさんが震え上がって縮こまる、という珍妙な場面も、何度かありました。(←Aさんの方が先輩なのに、こっちの迫力がエグすぎた💧)
そんなこんなで、正直、出だしは最悪だったのです。初めて顔を合わせた日も、一瞬でAさんがそういう人(=未成熟さにともなう危うい側面がふんだんにあり、下手にかかわり合うと面倒なことなる永遠の幼児)だと見抜いていた私は、極力距離を取らねばと身構えたものです。まずい、一番苦手なタイプに出くわしてしまった、と。でも仕事上、Aさんに教わらなければならないことが多々あり、避けようがなかった。
紆余曲折ありましたが、それでもここ半年近くの間は、互いに対する距離感が掴めてきて、Aさんも当初のような奇行で私の地雷を踏むことはなくなっていました。火花が散るほどぶつかり合ってきたからこそ、それなりに信頼関係もできてきたのです。
重症度の高いACであればあるほど、拒絶やぶつかり合いは単なる恨みしか招かず、ろくな結果を招かないものですが、そういう意味では、Aさんはやはり悪質な人ではなかったのですよ。ただ、誰かを気に入って歩み寄るにしても何にしても、やり方がわからなかっただけです。
ここ数ヶ月に至っては、互いにカバーし合いながら仕事をして、帰り道も途中までは方向が同じなので、家庭に関する相談を受ける機会も増えていました。また職場で席が近いこともあり、よく互いのデスクトップを覗き込んでは、日替わり画像の可愛らしい動物の話など、他愛のない話題で盛り上がったものです。出会い初めの頃のAさんは表情の変化に乏しく、周りから感情がない人とか言われていましたが、無邪気な子供のような笑顔を度々見せて。(←この頃には私の眼には、Aさんが本当に幼い子供のように見えていたので、子供時代に味わえなかった細やかな楽しみを、今こうして少しでも味わってもらえるなら、それも好しとするか、という感じで、ユルく見守るだけになっていたのです。変な話ですが、いつの間にかこっちが保護者目線になっていたんですよね、あまりに色々と危なっかしい人だったから)
周囲から見れば、仲良しコンビのベストパートナーのようにしか見えなかったかもしれません。その過程では、傍目にはわからないトラブルも多々あって、非常~に濃厚な一年半だったのですけどね。
短い間でしたが、私の中では、語り尽くせないほど複雑な思いが残されていて、その突然の訃報はダメージが大きすぎました。
予定通りの退職ではなく、まさかの急死(しかも結局原因不明のまま)という形で、Aさんのいなくなったデスクを、通りかかる度にじっと眺めながら、彼女から聞いた話の数々、共に過ごした日々を、毎日振り返っている今日この頃です。振り返らずにはいられない……。
こんな状況なので、この場でもう少しだけ、Aさんの話をさせてください。
── Aさんは東京都の中でも、本土からは外れた離島で育ったそうです。母親が、あまり世に知られていないローカルな宗教にハマって育児放棄していたため、祖父母宅に預けられて育ったのです。成長してからは、その母親が、Aさんの行く先々に現れては、お遍路さんのような独特の装束で、「お前、ちゃんと山に(修行に)行っているのか? お祈りはしているんだろうな?」と宗教の押し付けをしてきたり、お金をよこせと言ってきたり、そのせいで仕事を辞めざるをえなくなったりするので、かつての私と同様の根なし草のような人生を送ってきたのだとか。
「私は何かと勢いに任せて行動しがちで、ここぞというところでいつも判断を間違える」と、生前Aさん自身が語っていましたが、その言葉通り、Aさんにはいわゆる『出来ちゃった婚』により『事故(←本人発言)』としてできた子供が二人います。旦那は間もなく蒸発して、シングルマザーでした。結果、慢性的にいつもお金に困っていて、化粧もせずにボロボロの服装をしていました。子育てに関しても、愛がないわけではないが愛し方がわからず、とりあえず自分の親がしたように「見捨てる(ネグレクト)」ということだけはしたくないので、身体を鞭打って仕事を掛け持ちし、闇雲に働き詰めて子供たちを育て上げました。自分自身は食事もまともに摂ることなく。(←夜はどうしていたか知らないが、朝食は摂らず、昼は会社でカップラーメンと炭酸水のみでした)
本当に全く、迷子の子供のような人でしたよ。人生の楽しみと言ったら、飼い猫を果てしないしつこさで追い回してモフることだけ。口をついて出てくるのは、今後への希望や期待ではなく、とうにこの場からいなくなった誰かへの恨み言か心配事ばかり。手に入ったもの(ボーナスや、人からもらった美味しいものなど)は全部、自分なんかが持っていても意味がないと言わんばかりに、自分の子供や他人にポイとあげてしまい、自分では何をしたいのかもわからないような空っぽな目をして、淡々と暮らしていました。
そんなままで逝ってしまうとは、なんて寂しい人だったのだろうと、つくづく思う。
自業自得と言われればそれまでですが、いつもいつも自分を追い込むような選択をしては、自分で自分を粗末に扱い、身を刷り削り、ついには命を落としてしまった。自分が背中に負わされたものに抗い、自分自身と対峙するには、あまりに耐久力に欠ける人でした。
柄にもない行動に私自身驚いているのですが、Aさんのことを振り返るたびに、私は毎日こう祈っています。
『もし来世などというものがあるのなら、次はどうかまともな家庭に生まれ育ち、自分自身を愛せるあなたになってください。今生への未練にしがみつかず、どうか次の世界へ旅立って、今度こそは幸せになってください』と。
人は死後に、自分に最もイメージしやすい形で、いわゆる三途の川のような光景を見て、安らぎを得ることがあるのだそうな。(← 死に目にあったことのある複数の生還者たちの証言であって、本当のところは知り得ませんが)
Aさんは一度、故郷の離島の暮らしぶりについて、語ってくれたことがあります。そこは大自然に囲まれた土地で、幼少期には美しい浜辺で貝殻を拾って遊び、何も考えず何の心配もせず、何時間でも過ごしていられたのだとか。許されるなら、一生そうやって、何の意味もない遊びごとに耽りながら、海を眺めて過ごしたかった、とも……。
今頃、Aさんはその懐かしい浜辺に帰りつき、貝殻を拾って過ごしているのだろうか。当時のままの子供の姿を取り戻して ──。
今回はずいぶん重い話になってしまいましたが、最後までお読みいただきありがとうございました。
今の私の心境では、どうしても明るいものや元気のいいものは受け付けないので、どうせならこの感情も味わい尽くそう、という思いで最近聴いているのが、このあたりのしんみりとした音楽です▼ 再生リストにしてありますので、良ければこの機に皆さんも聞いてみてください。