チクセントミハイから社畜化現象について考えた話【読書メモ】
こんにちは、ゆあさです。
最近、会社の輪読会に向けて、「フロー体験 喜びの現象学」を読み始めました。
How to 本ではない類いの、背骨になるような本だなぁ…と噛み締めながら読んでいます。
いや、まだ1章しか読んでないのですがね。
それでも、頭をズッコーーンとやられたわけですよ。
1章から。
1章は“幸福の再来”というタイトルで、まさにこの本のマインドセット的立ち位置にあると捉えました。
どんなことが書かれているか、個人的解釈9割越えでお伝えしていきます。
社会化、最終形態
時代が移りゆくなか、より社会を発展させていくために、ひとは組織を作って、マネジメントやリーダーシップによって、産業を発達させていきました。
今の時代も、まさに多様な人材の力をもってして、社会的な発展を遂げようとしていますよね。
そして、労働力が不足している背景から、会社は離職を防ぐべく従業員の組織適応とか、かなり力を注いでいるわけですよね。
「組織社会化」とか、
先日の記事の「プロアクティブ行動」なんかは組織の求心力を高める取り組みだったりします。
こういった求心力を高めて、人の社会化を進めていった結果…
「社畜大量生産ってな感じになっとらんか?」と問うわけです。
チクセントミハイが。(妄想)
でね、チクセントミハイは続けて問いかけるわけですよ。
「きみ、幸せなんか?」と。(妄想)
この一文を読んで、まさにタライを落とされたような気持ちになって、本を冒頭から読み直しました。
本当の意味でのプロアクティブ
ちなみに、社畜化あかん!って感じで教えてくれています。
チクセントミハイは、社畜化しないためには、外的な環境に振り回されるのではなく、「自分の目標を育てる」ことが大切なんだぞ!教えてくれています。
この自分の目標を育てる第一歩は、
「その時その時のできごとの中に報酬を見出す能力を見つけること」と教えてくれています。
(まさに「今ーここ」!フッサール!!←なぜか興奮)
そして、社会統制から自分が独立するためには、
「苦痛と快楽は意識の中に生じ、その中にのみ存在する」ことを理解して、意識はどう働くのか、意識の統制について知ることが大切なのだそうです。
この章では、「今ーここ」に意識を向けて、自分がどう感じ、何を考えているかに向き合うことの大切さをしみじみ思いました。
社畜化現象について考える
この章を読んだことをきっかけに、組織への求心力と社畜化現象(勝手に命名)について考えています。
仕事が生き甲斐
仕事が趣味
上記のように、働くことに生き甲斐を感じている人は、組織への適応は最強だし、求心力もMAXなのかと。
一方で、俗にいう「社畜」化された人は前者とは異なり、どう見ても精神衛生が悪そうです。
ただ、精神衛生は横に置いておいて、求心力だけスカウターで数値を見たとしたら…
同じような数値の場合もあるかもしれない?!なんて思います。
この前者と後者の違いを考えてみると…
自分の意思で目標を育てているか否かなのかもしれません。
さらには、自分の気持ちを蔑ろにせずらアサーティブに向き合っているか否かなのかもしれません。
こう考える背景には、わたしの産業保健師としての経験があります。
産業保健師の仕事をしていると、過剰に組織適応をした結果、心が苦しくなってしまう方に出会うのですよね。
そういう方は、大抵の場合、仕事はできるし期待もされている。
周りとも上手くやれているようにも見られている。
この人がメンタル不調になったの?!なんて思われる方もチラホラ。
だけど、これらのパフォーマンスが過剰適応の結果に起こっていたら?
組織の求心力を高めるとはよく聞くワードだけど、求心力が高まったとき、そこにいる人の状態はどうでしょうか?
言葉の表面だけ見てしまうと、過剰適応には気付がないかもしれないなぁ…なんて思うのでした。
求心力という一側面の結果だけではなく、いろんな角度や高さ、距離から人・組織を見なけばならない…
そんな気づきを得つつ、
いろんな思いを馳せている今日この頃なのでした。