noteを1,000日書いても私の夢は叶わない
昨日で、noteを毎日書き続けて275日目だったらしい。
noteは、記事を投稿するたびに「●●日連続!すごい!」とか「この継続力はなかなかですよ!」みたいなポップを出してくれるけれど、それにもいつしか慣れてしまった。
noteでこれまで開催されてきたコンテストにも、(漫画とか、自分が書けないものを除いて)大概応募してきたつもりだったのだけど、一度も入賞したことはない。毎回、率直に悔しいな、と思う。これは確実に、実力不足だと思うから。
そしてだんだんとわかり始める。あぁこれ、noteを毎日、いや、たとえ1,000日書いたって、私の夢は叶わないんだ、と。noteが、私の夢を叶えてくれることは、きっとない。
ここまでわかっていて、こんな風に書いて、noteを書くのを辞めるのか?と聞かれても、私は「辞めない」と答える。
それはなんでなんだろうか、と思った。
答えは結構、簡単だった。
noteを書くことは、「夢が叶う」というご褒美──つまりゴール──以外のものは、たくさんくれるからだった。
夢の正体を、自覚させてくれる。近づかせてはくれる。ヒントをくれる。
ここには、広告収入を得るためだけに文章を書く人は存在しない。だからこそ、たくさんの人から、書くことへの真摯な姿勢を学ばせてもらっている。
自分で力込めて書いた記事が読まれなくて、案外さらっと書いたものがたくさん読まれたりする。たまに、魂込めて書いたものがたくさん読まれたりすると、あぁ私のコアはここなのか、とか考えたりもする。これは、一人でこっそり書いていたらわからなかったことだ。
自分の得意なものが何か、逆に「うっ」と遠ざかってしまうものが何か、がよくわかるようになる。得意なものは磨き、遠ざかってしまうジャンルには、無傷で挑戦もさせてくれる。
「あー、書けない」と苦しむ時期もあったりする。それでもなんとか産み出していると、いつの間にか楽しく書いてしまえるようになるときもある。いつだって「書くこと」は私の前で、フラットに在る。だからこそ、忍耐力をつけさせてくれる。
書くことが好きな人と、たくさん出会うことができている。私は小説などのフィクションではなくて日常を書くことが多いから、もはやここは、私のことをよくよく知る人が、時々遊びに来てくれて、簡単な会話をして、またね、と帰っていく、そんな「家」みたいなものだ。
きっと人間は家族がいようがパートナーがいようが子供がいようが最終的には一人で、現実世界でこれだけ孤独がある今、自分と何の利害関係もない人たちと「繋がっている」ということは、これから先、かけがえのない財産になる。そういうコミュニティがあることは、大事だ。
そして何より、書くことは楽しい。ときに苦しいけど、ときにものすごく楽しい。
ここまでたくさんの良いことがあって、「辞めるか?」と聞かれて「辞める」と言えるわけがない。
それでいて、「夢は叶わない」と思うのだ。きっと、「noteを書くこと」と「夢が叶う」ということは、少し似ていて、絶対的に距離がある。
たぶん。これはたぶんだけど、noteだけじゃダメだ。
これはnoteというプラットフォームやnoteを書いている人を否定するわけじゃ全然なくて(私も含まれてしまうし)、ただ単純に、noteを書いているだけじゃダメなんだ、と「自分に対して」思うのだ。
夢の叶え方には色々あるだろう。
小さい頃から絵が好きで、毎日絵を描いていたらひょんな事からそれが巨匠と呼ばれるダンディなおじ様に見つかり、「この賞に応募してみると良いよ、君には才能がある(キラーン)」みたいなことを言われて、初めてのコンテストでしっかり金賞をとり、有名画家となり、名をはせる。そんな物語も現実も、もしかしたらあるのかもしれない。
でもたぶん、私には、近道はないような気がしている。何をするにもスロースターターだし、自分を何かにおいて「天才だ」「才能がある」と思えたことはないし、昔からそうだったから。
だからかもしれないけれど、「努力しないで夢が叶う」とは一ミリも思えたことがない。だから、「あぁ、noteを1,000日書いても、夢は叶わないな」と思っても、全く絶望しないのだ。そこには「何か」が足りないだけであって、これまでの275日のどの一日も無駄だと思わないし、これからの何日になるかわからない日々も無駄だとは思わない。
「私の夢の叶え方」は、未来の私しか知らない。どのビジネス書にも自己啓発本にも、書いてあるはずがない。誰かが教えてくれるわけでもない。だから、考えるしかない。やってみるしかない。自分で。答えはそんなに単純でもないから、わからないから、今はまだ、何の腹の足しにもならない(つまり、お金にならない)文章を、毎日書いている。そしてわからないながらに、色々なことに挑戦してみたりしている。
私は大人だ。どこぞのシンデレラガールにも、彗星の如く現れた天才文学少女にもなれない。
でもそれで良い。むしろありがたいくらいだ。大人は大人なりの、夢の叶え方を探す。工夫する。戦略を持つ。努力する。子供にはない粘り強さと、経験がある。
それが出来る、と思うから、私は、自分の夢は絶対に叶うと信じきっている。
書き続けることは、きっと将来夢が叶う瞬間に、自分の背中を「ちょん」と押してくれるくらいの力にはなるだろう、と思う。大きな足しにならなくても、それだけで十分だと思う。(流石にその瞬間にすら現れなかったらびっくりしちゃうけどな!!でもそれはそれで面白いからいっか。笑)
Sae