世代を超えた、声が欲しい
最恐ばあちゃん(88)の上陸から、3日目。
私はというと、気圧だかなんだか知らんが眠さが尋常じゃなくて、いつも以上にぐだぐだの生活。朝はなんとか起きたものの、朝ご飯を食べて身支度を済ませた後、また寝る始末。時間ギリに起きてランチの予定にはなんとか間に合ったからすごいと思う(ポジティブ)
ちょっと前に、そして最近もなんだか話題になったこのTweet。
71歳の男性が、亡き奥さんに向けた言葉を綴って、新聞に投稿したもの。読んでの通り、とても素敵なエッセイ。これがTwitterでかなり話題になり、最近は歌にまでなったとか。
話題になったり歌になったり、とかは良いのだけど、それよりもなによりも、ふと、年配の方(とか言うと怒られちゃうのかな)は世の中に何かを発信したいとき、どうしているんだろうか、と考えてしまった。
みんながインフルエンサーになれる時代、とか言われて、皆がSNSのアカウントを持って、自由に発信できて・・・という時代に生きていると思っているけれど、当たり前ながらそれはSNSやスマホ、PCなどを使いこなせる人だけの話であって、そういうのが儘ならない方たちには当たり前の話ではない。しかも、そういう人たちがめちゃくちゃたくさんいるのだ。なにせ、超高齢社会。
らくらくスマホ、みたいなものがあっても、やることと言えば電話の発信・着信くらい。テレビ電話ができたとしても、その相手は子どもや孫くらい。もう少し進んだら、お医者さんや介護士と当たり前に話をしたりするようになるんだろうか。
いずれにせよ、世界とは通じ合っていない。身内ばかり。きっと、今よりずっと、身近にコミュニティが盛んにある時代を生きてきた人たちだ。ご近所づきあいもするし、ご飯のおすそ分けも普通にする。でも、遠い離れた見知らぬ誰かとか、漠然とした世の中とか、そういうものに対して何かを言いたかったり、自分の言葉で発信したいと思ったとき、どんなツールがあるのだろうか、と考えてしまう。
テレビ番組を観ていても、いまだに手書きのはがきが届いたり、FAXが紹介されたりするのは、そういう理由もあるのだろう。新聞投稿なんかも、まさにそのツール。
若い世代で力を合わせて良い社会を作っていきたい、とは思う一方で、人生の先輩からのアドバイスが欲しいときって、めちゃくちゃある。仕事の先輩でもなくて、家族でもない、ただただこれまでの社会の中で生きてきた、1人の人間である、人生の先輩に。「私たちの時代はこうだった」という話ではなくて、人間としてもっと普遍的な話を、聞いてみたかったりする。いまは、コミュニティがあまりに分断されていて、そういう関わりをどこに見出したらいいのかが、わからない。
ネットニュースやSNSでどれだけ高齢者ドライバーの事故が取り沙汰されて炎上しても、対象となるようなひとはそれを見ていなくて。LGBTや性差を取り巻く環境が、こんなにもスピードを上げて変化してきていることを、知らないのかもしれない。90歳のゲイの人が知ったら、喜んでくれるのだろうか。
そう思うと、テレビはきっとまだ力を持つんだろうなと感じるし、選挙結果をみて、地元密着型の古くからいる政治家が強さをみせていたりすると、突然に高齢者の数の力、地域の力を見せつけられたような気がして、驚いたりする。そこには、ネットの世界では覗き見れない、でっかい集団がある。だから、そういう人ひとりひとりの言葉を聞いてみたいなぁと思ったりする。世代を超えた形で。
新聞投稿を誰かが拾って、SNSで拡散すれば、知ることはできる。けれどそれがこんなにも拡散されていることを、本人はすぐには知ることはないだろう。そして、拡散後の議論に本人が入ることは、なかなか難しい。そこでまた、マスメディアの一方通行な在り方を感じたりする。一方で、SNSで拡散されている以上に、リアルの世界でその新聞投稿を読んでいる人の数は多いかもしれないのに、私たちは「ネットで話題の」という枕詞を付けてしまう。うっかり。
ネットで補完できるリアルの世界って、どこからどこまでなのだろうか?
こうして毎日noteやTwitterなどのSNSで好き勝手ものを書いて、意見を発信しているけれど、それが当たり前でない人もいるということを、うっかり忘れそうになる。誰でもやっていることじゃないんだ、と思い出す。目にうつらないところまで、心を配れるように。視線を送れるように。想像ができるように。ネットの沼に足を取られないようにしなければ、と思う。
Sae