片頭痛は鳴り止まない_2023_2
前回に続きまして。
2023年4月
子供達の春休みが瞬く間に終了し、ようやく自分の時間もできたので図書館へ向かい片頭痛や脳神経や瞑想やヨーガやアーユルヴェーダにまつわる本を借りて読んでいた矢先、今度は私の副鼻腔炎が再発した。
私の副鼻腔炎は顔面が痛くなり、それに付随して頭も痛くなる。片頭痛で頭が痛いのか副鼻腔炎で頭が痛いのかよくわからない。特に目の裏の痛みなど区別が付かない。
そんなわけで朝に次男を自転車でバス停まで送った後、駅前の耳鼻咽喉科へ行った。病院に着くと、キャップを深く被った白髪の男性が受付で「私片頭痛持ちなんですけど」と言っていたのを耳にした。
医師から診察を受け、レントゲン撮影を受けながらキャップを深く被った白髪の男性が言っていたことを考えていた。副鼻腔炎と片頭痛は連動しているのかもしれない。
すると図書館から借りてきた本に丁度記述されていた。副鼻腔炎が片頭痛を誘発するケースもあるらしい。こうなったら疑しきは全て滅するの精神で副鼻腔炎に対抗するために鼻うがいを始めた。(鼻うがいについても丁度アーユルヴェーダの本に記述があった)
このようにして私の朝のルーティンが出来上がった。
まず朝5時半くらいに起きると歯を磨き、お湯を沸かし、半分は鼻うがい用のお湯に、半分は白湯を作る。白湯を飲んで朝の太陽礼拝というヨーガの動作を3回繰り返す。そして鼻うがい、その後鼻の穴にギーを塗り、20分くらい瞑想する。鼻うがいについてはまた別の機会に書こうと思う。
また、虎視眈々と筋トレも続けており、体重も52kg近くまで増やすことができた。(ウィダー・イン・ゼリー生活の時は47kgくらいまで落ちていた)
後半になると妻もようやく外を出歩けるようになってきていた。
5月
妻が倒れてからここまで頭痛はしばしば起こったが、寝込むほど重たい頭痛は来なかった。なんなら瞑想したら痛みが消えた時もあった。これはガチで瞑想しか勝たんのではないかと思い、ついに攻略法を見つけたのかと思って一喜びしていた頃、また激しい頭痛がやってきた。まあいつものことである。
私の片頭痛は体調や精神状態等の内的要因もさることながら、天候、気圧差、温度差等の外的要因が大いに影響する。季節の隙間に吹き荒れるエモーショナルな風があなたの部屋のカーテンを揺らしたその時、自律神経は崩壊する。そして私の片頭痛は自律神経が崩壊する音と共にやってくる。
家事育児を終えると力を使い果たし寝込む時もあったが、今度は死を思うような負の連鎖は起きなかった。瞑想による心を観察する訓練の効果か、じわじわと体力が戻ってきたのか、ただ単に片頭痛の発作にしてはまだマシな方だったのか、判断は難しい。その頃になると妻の調子も徐々に良くなってきていて、なんとかやっていけるようになっていた。子供達は変わらず元気だ。元気すぎるほどに元気だ。生活するとは大変なことだ。(切実)
6月
妻がいよいよ復帰し、私もひとまず介護の役目を終えた。より一層図書館で脳科学、養生、呼吸法やら本を借りてきては読み、村上春樹の新作を読む余力を取り戻した。心身ともに参っている頃は小説を読む体力も無かったの。なんせ文字が頭に入っていかないのである。私は片頭痛により「本は体力がないと読めない。」という気付きを得た。
とまあ大体このような日々を送ってきた。とにかく家を掃除し、米を炊き、味噌汁を作り、子らを幼稚園や習い事へ、妻を病院へ送迎していたように思う。
希死念慮は去ったが、頭痛、虚無感は相変わらずしばしば訪れる。ピークの後遺症か思考力も意思決定力も低下しており、外出前の玄関や食事を作る際に冷蔵庫の前でオロオロしている時もあるので、思考するリハビリも兼ねてnoteを書いている。何かしらアウトプットをしなければ思考回路も育ってくれない。
引き続き朝のルーティン、筋トレ、読書等を引き続き励み、良くなっているのかよく分からないがとにかく前に進む姿勢を継続していく。これまでのパターンから予測すると、おそらく今年の秋が再び訪れる頃、私の自律神経は再び大崩壊するだろう。それまでにいかに体力をつけ、心身を調えておくかがクオリティ・オブ・ライフを保つ鍵となる。
こんな私が生きていられるのも、支えてくれる家族のおかげだ。本当にありがとう。
とにかく生きる。これをやっていく