メディア・コントロール―正義なき民主主義と国際社会を読んで。
メディアコントロールと云う本がある、このメディアコントロールとグーグルで調べると、子供がメディアに接する時間を管理する事が沢山出て来るが、そうでは無い。
題名はメディア・コントロール―正義なき民主主義と国際社会。
ノームチョムスキー氏が著者だ、この本は報道の公平さや正確さについて書いている。
ここには私達の考えもしない民主主義が書いてある、私達は共産主義、社会主義は情報統制をするが、民主的な社会はしないと考えている。(考えていない人も居るだろうが、大半はそうだろう)
その考えもしない方の民主主義が、情報へのアクセスは、一般の人々を彼ら自身の問題に決して関わらせては為らない、一部の人間の間だけで厳重に管理しておかなければならないというものだ。
ここに民主主義の概念にメディアと情報工作の問題が絡んできているのだ。
この本は組織的な宣伝の初期の歴史から始まっていて、アメリカで政府主導の宣伝委員会が設立されて、平和主義一色だった世論を半年でヒステリックな戦争賛成論に転換させたのが、最初の宣伝活動だと言っている。
ここで使われたのは「社会の知識階層」だった、ここではありもしないドイツ兵の残虐行為がいくつもでっち上げられた。
これは1916年の事で、まだネット社会でさえない、だからできたともいえる、ここでの戦争とは自国とは関係ないヨーロッパの戦争に世論を導いたともいえる。
アメリカはこれから観客民主主義を使っていく事になる、民主主義の革命的技法を使えば合意のでっち上げが出来るという事だ。
アメリカの報道界は民主主義に2つの機能がある様にした。
①責任を持つ特別階級が実行者としての機能を果たす、交易を理解しじっくり考えて計画する。
②それ以外の戸惑える群れ、彼らの役割は観客になる事だ、行動に参加せず特別階級に指示するのを許されるだけだ。
メディアと政府は戸惑える群れを飼いならすことにした、その時に民主市議の新しい革命的な技法が出来る。
「合意のでっちあげ」である。
メディアと教育機関と大衆文化はキリは無し、でっちあげにある程度の現実性を持たす。
それにより彼らに程々に信じさせるようにするのだ。
ここで問題になるのは、特別階級を作る事だ、意思決定の権限を持つ立場に付けるにはどうすれば良いのか?
その方法とは「真の」権力者に使える事だ、それはごく限られた人間である。
特別階級の1人が「あなたの為に便宜をはかれます。」と言えば、支配階層の一員になれるのだ。
だがそこは言わないで、一部の者を特別階級ねと誘う教育システムが必要になる。
そこで「国家と企業の癒着関係に代表されるような私的権力がどんな価値観を持ち、何を利益としているかを、徹底的に教え込まねばならない。」それが理解できて、特別階級の一員になれる。
残りの戸惑える群れについては、つねに彼らの地位を逸らしておくことが必要になる。
この話はまだ1930年代のアメリカの話しで、その後アメリカでは広報や世論工作がされるようになる。
後の湾岸戦争も実に上手い世論操作だったと、彼は言い切っている。
この本を読むと、民主主義という化物の正体を私は知らなかったんだなと思う。
この本はアメリカの大学では授業などで、殆どの学生が読んでいるらしい。
私がこの本を読んでいると言ったら、娘の英会話の先生が(何十年も前です)アメリカでは読むけど、日本で読まれているとは思わなかったと言っていた。
私達は共産主義、社会主義は情報統制する、民主主義は自由で情報は正しい物が手に入ると思いがちだ。
では、それは本当なのだろうか、与えられた情報が正しいか、政府やメディアが正しいかは実は誰にも解らないのだ。
日本にメディアリテラシーが必要だと、ある時に地元の議員である岡田克也氏の秘書に言ったことが有る。
その時に彼は、良く分かりました、言って置きますと答えてくれたのを覚えている。
だが、今回の震災対応で、それは聞いてもらっていなかったと良く分かった。
議員が誰も行かないとは何なのだ。
確かに混んでいるのかも知れない、ではボランティア活動の経験者に言って貰って、聞いてくるのもできる。
党を代表して数人のチームで行けばよい、誰も行かないで情報を手に入れず、行ったものを責め立てるのが今の議員のやり方であるなら、そんな議員は止めさせるべきだ。
メディアも政府も私達が戸惑える群れで、何も考えずに羊の様に首を縦に振るのを望んでいるのかも知れない。
それを止める為には、誰かが発信して、それが事実であるか如何かを調べなければならない。
柳田邦夫氏は本の中で、我々は事実の積み重ねによってしか、真実に近づくことは出来ないと言っている。
メディアは我々を思ったようにコントロールしている、今の状況を考えてみると、それは間違いでは無いのだと思っている。
メディアコントロールされてはいけない、毎日自分に言い聞かせながら、メディアの海に溺れている。