愛され上司が、一年目の私に教えてくれたこと
「みてみてお母さん!バラの花だよ。ピンク色で、かわいいねぇ」
「でもほら、トゲがあるからね、刺さると痛いよ〜」
「きゃー、クモの巣だぁ!雨のしずくがきれいだね」
息子との幼稚園からの帰り道は、
寄り道ばかり。
なかなか家に辿りつかない。
けれど、
なんにも予定がない日は、
そうね、そうねと頷いて、
息子の見たいものを、私も一緒に眺めている。
せっかちな私が、
息子との寄り道をゆったり楽しめるようになったのは、
きっとあの時の上司の言葉があったから。
✴︎
社会人一年目。
ある上司のもとに配属されて、しばらくたった面談でのことだ。
「せやまさんは、
いつも最短ルートばかり通ってるね。
もっと寄り道しても、
遠回りしても、いいんだよ」
「は、はぁ」
当時、その上司の言葉は、全然ピンと来なかった。
なぜってそれは、仕事のできる人にかける言葉に思えたけれど、
できる人に、その時の私は全く当てはまっていなかった。
文系で大学を卒業して、
システムエンジニアになった私は、
その頃、チームのお荷物だと思っていた。
先輩の話す言葉の一つ一つを、質問しなければならない。システムのことなど何も分からない、1年目だった。
最短ルートはおろか、
道がどこにあるのかさえ見えていなかった。
その上司はどちらかと言うと、
仕事がバリバリできるタイプの人ではなかった。
打合せをすると、
課題の本筋ではない、自分の好きな分野にだけ、
「なになに?それはどういうこと?」と、
興味を示した。
後は「ふーん」とか「へぇ、そうなんだ」と、
居眠りしてた?と思うようなタイミングで、
まの抜けた相槌を繰り返す人だった。
だから、その時も、
ちょっとずれたことを言われたなと思って、
あまり気に留めていなかった。
この頃の私は、
仕事ができる人か、そうじゃないか、
だけで、職場の人を判断していた気がする。
厳密には、仕事ができそうかどうか。
一年目には、できるかどうかなんて、実際はよく分かっていなかったし、
何をもって仕事ができるかなんて、今でも一概に言うことはできないと思っている。
とにかく、
仕事ができなさそうな上司から言われた言葉は、
当時は響いてこなかった。
小生意気な新入社員だった。
今思えば、
それは自身のコンプレックスの裏返しだった。
社会人一年目は、周りからの評価に、
敏感な時期だった。
新人研修で、技術力別にクラスを分けられたり、
先輩社員からの投票で選ばれた人が、社長の前でプレゼンをしたり。
区別と選別に、かけられまくっていた時だ。
文系出身で、勘もよくなかった私は、底辺にいた。
自己肯定感は、地に落ちていた。
私は、仕事ができる人になりたかった。見られたかった。
その一点を目指していた。
✴︎
そんな私を見守ってくれていた上司は、
できる人ではなさそうだったけれど、
人にすごく愛される人だった。
夜勤が続いたり、
システム障害の対応中など、
忙しい時でも声を荒らげることはなく、優しかった。
一年目の私でも、気軽に話しかけやすく、
不安なことも愚痴も、雑談混じりにスルっと話してしまった。
上司は、時間を惜しまず、話を聞いてくれた。
親しい友人みたいな雰囲気を、
いつも、誰に対しても、公平に醸し出していた。
✴︎
「あれ?
私、最短ルートばかり探してたな?」
数年後、私は、
あの上司の言葉を思い出すことになる。
入社二年目、三年目になるにつれ、
それなりに一人でも、仕事をこなせるようになった。
その頃の私は、
こなした仕事のまわり、半径1メートルくらいのわずかな知識を身につけて、
「自分の仕事はこれで終わり」にしていた。
周りのこと、周りの人には目もくれず、
早々に片付けをした。
与えられた仕事が終わった事実に満足して、
「自分は仕事が早い。仕事ができる」と、
思っていた。
そうして、システムの開発をいくつか終えると、
営業のようなチームに移った。
システムの課題を見つけて、お客さんに、
新しい企画を提案するチームだ。
そこで必要となるのは、
システムの課題と、知識を適切に結びつける能力。それから、発想力。
広く知識を身につけることで、
課題に対して、適切な解を提案することができるし、
まったく別の分野にあるような知識を、結びつけることで新しいものができるという世界だった。
新しいチームで、私は、一言も発言できなかった。
やってきた仕事の、半径1メートルの知識しか持っていなかったのだから、当然だ。
あぁ、
最短ルートしか通ってこなかったからだ。
寄り道はいくらでもできたのに、
その時必要な最低限しか、得ようとしなかったから。
もっと、あの時知り合ったお客さんから、メンバーから、ゆっくり話を聞けばよかった。
考えてみたら、
失敗もしてこなかった。
失敗したことがない、障害を起こしたことがない、
それが一つの自分のステータスだと思っていた。
失敗する前に、自信がない部分は人に見てもらったりして、予防線を張っていた。
もちろん、危機管理をして、予防線を張ることも一つの能力だ。
けれど、予防線を張り巡らし、
自分の手元以外のことに知らんぷりしていた、
私の知識と経験は、
本当に狭い狭いものに収まってしまった。
もといたチームから一歩出たら、
何も言えなくなってしまった。
狭い知識と経験から、
新しく生まれたものなんて、なかった。
あの上司のアドバイスは、ずれてなんかいなかった。
ものすごく的を得ていたんだ。
私は、仕事を早く片付けることばかり優先していたけれど、
寄り道した先で、
失敗した経験で、
見つけたことを拾い集めてこそ、
出来るものがある。
全然違う場所にあると思っていたものの中に、
次の場所でいきるものもある。
私は、その時にやっと気づいた。
その後の会社員生活で、
もう一度自分のやってきたことも、
やってこなかったことも勉強し直した。
寄り道も、失敗もしながら、勤めた。
その学びは、会社を辞めた今も生きている。
子供との帰り道の中にも。
子供だって、
寄り道にこそ、
彼の未来につながる、何かが隠れているのかもしれない。
その何かは、今の私には見えないけれど。
未来の中で、息子自身が選ぶこと。
今は、糧になることもならないことも、
寄り道しながら、沢山一緒に見ていきたい。
そう思いながら、
今日もクモの巣を眺めている。
眺めながら、そういえば。
とふと思う。
上司は、配属されて間もない段階から、
私の性格を深いところまで把握していた。
仕事ができないなんてとんでもない。
それって、管理職として、すごい能力だったんだよな。
そう思って、
上司との「雑談」という名の「寄り道」を、
懐かしく思い返した。