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救護措置義務違反 東京地裁平成27(行ウ)1

興味深い裁判を見つけたので、記事にまとめることとした。

題材は、救護措置義務違反である。救護措置義務違反のありなしでどこまで状況が変わるのか、その点を感じてほしい裁判である。

以下、道路交通法を単に法、道路交通法施行令を単に令と略記する。

なお、交通法規の専門家ではないので、正確性は裁判例、紹介書籍、さらに正確性を望むなら弁護士相談などで補完してほしい。


原典

この裁判は裁判例検索で確認できる。事件番号は「東京地裁平成27(行ウ)1」(東京地判平28.3.3)である。比較的最近の事故および裁判である。

原典PDF

行政訴訟

事件番号が「東京地裁平成27(行ウ)1」であることから、見慣れている人にはこの時点でこれが行政裁判だと分かる。

括弧内の「行ウ」、これは事件記録符号と呼ばれるものである。「行ウ」は行政事件記録符号規程に記載がある。「行政事件>地方裁判所>訴訟事件」を意味する。地裁で行われた行政訴訟を表す。

これは、運転免許取消処分を取り消すことを求める訴訟となっている。

事故態様

どのような事故内容であったのか。

対向自転車とすれ違う際の事故である。対向自転車が左右に蛇行しながら自動車に接近。自転車の蛇行の理由は飲酒運転によるもののようだ。公安委員会の主張の中に「(自転車運転者が)酒に酔い」と記されている。自転車はすれ違う際、自転車左方にある案内支柱に左ハンドルを接触。自動車方向に転倒。自動車の右後輪が、倒れてきた自転車運転者の頭部を轢過したという事故態様。

自動車側の速度は約18km/h(約5m/s)とある。幅員6.3mで完全に左に寄せていたとはいえ、相手の走行態様を考えれば、もう少し減速する手はあったと思うし、一時停止もあり得たとは思う。ただ、非難されるような運転態様であったかといえばそこまででもない。

(2) 本件事故現場のある本件道路は,東西に走る中央線のない直線の道路である。幅員は約6.3メートル,うち車道部分が約3.4メートルであり,北側に約1.3メートルの,南側に約1.6メートルの路側帯がある。本件道路には,北側及び南側にそれぞれ脇道があり,本件道路に東側から進入すると,まず北側の脇道との交差点に到達し,更に西方に少し進むと南側の脇道との交差点に到達するところ,本件事故現場は,北側の脇道との交差点を越えたあたりの道路北側部分に位置している。また,本件道路と北側の脇道との交差点の北西角付近(本件事故現場の北側)には,直径約6センチメートルの案内支柱がある。本件事故現場付近は,原告の担当する複数の配送エリアのうちの一つであり,原告にとって走り慣れた道である。(甲6,乙3,13,弁論の全趣旨)

原典PDF p.6~7

(3) 原告は,宅配業務の途中,本件道路を東側から西側に走行し,本件事故現場付近に差し掛かったところ,前方30~40メートルほど先の道路左側(以下,原告の進行方向を基準として左,右等の位置関係を示す。)を,本件被害者の運転する本件自転車が対向進行してくるのに気付いた。本件自転車は,本件道路左側の路側帯の線を踏みながら右左に蛇行運転しており,その振れ幅は約1メートル程度であった。その後,本件自転車は,本件道路を右側に横断し始めたが,その時も蛇行していた。原告は,本件車両を左側の路側帯の線の辺りまで寄せつつ進行し,本件自転車とすれ違おうとした。本件被害者は,右側の脇道(上記(2)の北側の脇道)に至る手前で上記(2)の案内支柱に本件自転車のハンドル左グリップを接触させ,自転車もろとも本件車両側(南向き)に転倒し,その頭部を本件車両の右後輪が轢過した。この時,後続車両はなかった。本件刑事判決においては,本件事故の際の原告の速度は時速18キロメートル程と認定されている。(甲6,7,乙10,20,弁論の全趣旨)。

原典PDF p.7

ただ、この後の行動がよくなかった。救護措置義務違反をしてしまうのである。

処分内容

救護措置義務違反の態様、そしてそれに関するこの裁判の行方を見る前に、裁判開始時点の刑事処分と行政処分を見ていく。

この裁判は、行政処分、運転免許取消処分の取消を求めるものである。この裁判の時点では、刑事裁判は終わっている。

簡単にまとめると以下となる。

死傷結果
 死亡

刑事処分
 事故 → 罰金20万円(おそらく略式?)
 救護義務違反 → 不起訴

行政処分
 事故 → 違反点数なし
 救護義務違反 → 35点 → 欠格期間3年

上記の裏付けとなる記述は以下である。

(3) 東京都公安委員会は,平成26年7月4日,運転免許取消処分書(甲1)を原告に交付して,原告の運転免許を取り消し,同日から3年間を免許を受けることができない期間と指定する本件各処分をした。上記処分書の処分理由欄には,本件当日の救護義務違反による35点のみが記載されている(甲1,弁論の全趣旨)。
(4) 原告は,平成26年12月5日,東京地方裁判所において,本件事故に関し,自動車運転過失致死罪により,原告を罰金20万円に処する旨の判決の宣告を受け,同判決は,同月20日に確定した(甲6,弁論の全趣旨。以下「本件刑事判決」といい,本件刑事判決に係る刑事手続を「本件刑事手続」という。)。なお,本件刑事手続において,原告は,本件事故に係る自動車運転過失致死罪並びにその際の救護義務違反及び報告義務違反の被疑事実により勾留されているが,上記救護義務違反及び報告義務違反については起訴されなかった(甲4~6)。

原典PDF p.3

事故の処分は、刑事処分が罰金20万円、行政処分なしとなっている。この時点で、事故にはほとんど非がないことが分かる。

死亡事故の刑事処分では原則公判請求され、被害者側に大きな非がない限り、拘禁刑あるいはその執行猶予となる。『裁判例にみる交通事故の刑事処分・量刑判断』p.197に照らしても、過失運転致死傷の全97件中、罰金刑は3件に限られる。紹介されている3件の罰金額の最低額は20万円で、本件と同じである。そのくらいに、非がないことと扱われている。

そして、死亡事故にもかかわらず行政処分なしという点にかなり驚いた。刑事処分が下ったということは、何らかの刑事責任を負う態様と判断されたわけである。いろいろと運転免許取消処分の取消申請を見てきて、刑事処分よりも行政処分は比較的重いことが多いと感じていた。刑事処分ありで行政処分なしがあり得るとは思っていなかったので、かなりの驚きであった。

他方、救護義務違反の処分は、刑事処分なし、行政処分が適用35点となっている。ここには、刑事処分と行政処分の違いが表れている。理由は後で示すことにする。

救護義務違反の態様

救護措置義務違反をしたわけだが、そのときの態様は以下のとおりである。

(4) 原告は,本件事故直後,いったん本件自動車を減速させつつ本件道路の左側に寄せ,右サイドミラーで本件被害者のほうを見たが,その後停止することなく加速して本件事故現場から走り去っており,直ちに本件車両の運転を停止して,本件被害者を救護するなどの行動はとっていない。その後,原告は,交差点を2つ左折した先で本件車両を停車させ,配送業務に戻りつつ,本件車両の右後輪付近を確認した。(甲7,乙11,12,21,弁論の全趣旨)

裁判例PDF p.7

 なお,上記供述においては,本件被害者とすれ違った後の行動について,ブレーキを掛けて道路左端に車両を寄せ停止したとされているところ,この点は,運行記録計データの解析結果報告書(乙21)によれば,原告がデータ上の速度で時速4.2キロメートルまで減速したが停車はしなかったと解析されており,後者に信用を置けることから,前記認定事実においてはこれに基づく認定をしたものである。したがって,その限りにおいては,原告の上記供述は採用できないこととはなるが,他に,客観的状況からうかがわれるところと矛盾する部分があるわけではないから,上記供述のその余の部分までもが信用できないことになるものではない。

裁判例PDF p.10

一度減速したが、停まることなく、被害者の負傷程度を確認することもなく、立ち去ったという態様である。条文と照らし合わせると以下の部分に抵触する。

(交通事故の場合の措置)
第七十二条 交通事故があつたときは、当該交通事故に係る車両等の運転者その他の乗務員(以下この節において「運転者等」という。)は、直ちに車両等の運転を停止して、負傷者を救護し、道路における危険を防止する等必要な措置を講じなければならない
 この場合において、当該車両等の運転者(……)は、警察官が現場にいるときは当該警察官に、警察官が現場にいないときは直ちに最寄りの警察署(……)の警察官に……を報告しなければならない。

道路交通法72条1項

これだけを見ると明白な救護措置義務違反と思えるところ、事情はそう単純ではない。

救護措置義務違反でよく問題になる観点は、大別して2つ、少し細かく見ると3つある。

1 故意の否定
 A 事故を起こしたことそのものの認識がなかった
 B 事故は把握しつつも人身加害の認識がなかった
2 明らかな死亡

今回、1A「事故の認識」はもちろん、自転車横転とあるので1B「人身事故の認識」までは争いにない。救護措置義務違反の故意に必要な認識は、未必的認識「もしかすると人身事故を起こしたかも」程度で足りるとされる。裁判でここも主張していたが、事故後に減速し、右サイドミラー越しに倒れた自転車を見ているので、この主張は無理筋である。

争点は2である。

即死の場合、救護義務違反は成立しない。ただし「即死である」とは、医学の専門家でなくとも一見して明らかな場合を意味する。

以下、生々しい記述が含まれるので、耐性のない方は目を薄く開けて、次の節まで読み飛ばしてほしい。

医学の専門家でなくとも一見して明らかな場合ということが記されている裁判には、以下のものがある。太字による強調は省いた。

(イ) 昭和45・4・15 福岡高裁
 「死亡していることが一見明白な場合」とは、例えば自動車に轢過された身体の重要部分が解放性破裂又は切断されたというように、特に医学に専門的な知識を有しない者にでも死亡と明認できる場合を指すものと解すべきである。

19訂版執務資料道路交通法解説』p.781~782

そして今回のケースも、即死であることは明らかであった、確認さえすれば。下記のうち、脳実質とは脳の本体のことである。太字による強調は省いた。

(5) 本件被害者の死因は,頭部・顔面の轢過による高度の頭蓋骨骨折及び脳実質挫滅を伴う頭蓋内損傷であり,頭部・顔面等は粉砕状に骨折し,形状を保たなかった。また,現場には解放された頭蓋冠から挫滅した脳実質の脱出が認められた。(甲2,9,乙3,11)

裁判例PDF p.2

ただし、さらに、事は簡単ではない。それがこの裁判の中心要素であり、裁判例に裁判要旨が記される理由でもあり、『19訂版執務資料道路交通法解説』に掲載される扱いの裁判例である理由でもある。

救護義務違反の争点

今回、加害者は停止することなく右サイドミラー越しに被害者を見ただけであり、一見して死亡とはいうものの、死亡していたという認識はなかった。死亡したことが分かったのは事後的な話である。

その場合にも、即死を理由として救護措置義務違反から逃れられるのかという点、ここが争点となっていた。そしてこの主張は否定されたというわけである。

 ところで,原告は,本件被害者は本件事故により即死していたと認められるから,本件被害者に対する上記救護の義務は発生しなかった旨主張する。この点,確かに,道交法72条1項前段が定める一連の行動の中には負傷者の救護が含まれているが,人の死亡の判定は極めて難しく,ことに交通事故を起こした運転者等がとっさの間にその判定をすることは至難のことであるから,死亡していることが一見明白な者以外の者については,とりあえず,救護の措置をとらせるのが,被害者の救助を全うしようとする立法の趣旨に合致するものと考えられることに照らすと,同項前段にいう「負傷者」とは,死亡していることが一見明白な者を除き,車両等の交通によって負傷したすべての者を含むと解するのが相当である(最高裁昭和43年(あ)第1388号同44年7月7日第二小法廷判決・刑集23巻8号1033頁参照)。そして,道交法72条1項前段が,交通事故があったときの当該交通事故に係る車両等の運転者等に対して上記のような一連の行動を取ることを義務付けていることに照らすと,当該運転者等が,車両等を停止した上,当該事故の負傷者の有無を確認し,その結果,当該事故の被害者が死亡していることが一見明白であった場合には,当該運転者等はそれ以上の救護義務を負わないと解されるものの,当該運転者等がかかる行動を取らずに立ち去った場合には,仮に事後的に当該交通事故により被害者が即死していたことが明らかであると判断されたときであっても,当該運転者等は同項前段の定める救護義務を果たしたことにはならないと解するのが相当である。

裁判例PDF p.17

この結果、『19訂版執務資料道路交通法解説』に掲載される扱いとなっている。この書籍は逐条解説書籍であり、条文の解釈に重要とされる裁判例が記載されている。その程度には、この裁判は重要な裁判と扱われている。

(エ) 平28・3・3 東京地裁
 運転者が車両等を停止した上、負傷者の有無を確認する等の行動を取らずに立ち去った場合には、仮に事後的に被害者が即死していたことが明らかであると判断されたときであっても、救護義務を果たしたことにはならないと解するのが相当である。現場には脳実質の脱出が認められたものであって、即死していたものと考えられるが、被告人は自車を減速させつつ、サイドミラーで被害者のほうを見たものの、被害者の状態を確認することなく走り去っているのであるから救護義務を果たさなかったものというべきである。

19訂版執務資料道路交通法解説』p.782

救護措置義務違反に対する補足と雑感

今回の処分、救護措置義務違反に対する刑事処分はなかった。逃走の故意はあったが、確認せずの即死を罪に問うか、そこの判断を避けたのだろうと思う。しかし、行政処分を不服として、加害者が訴えを起こしたことで、確認せずの即死をどのように扱うかが司法判断されたことになる。

では、事故後に停止し、被害者の即死を確認し、そのうえで逃走していたら刑事処分はどうなったのか。それがどう扱われるのかは気になるところである。

この場合、危険防止措置違反になると思われる。

(交通事故の場合の措置)
第七十二条 交通事故があつたときは、当該交通事故に係る車両等の運転者その他の乗務員(以下この節において「運転者等」という。)は、直ちに車両等の運転を停止して、負傷者を救護し、道路における危険を防止する等必要な措置を講じなければならない
 この場合において、当該車両等の運転者(……)は、警察官が現場にいるときは当該警察官に、警察官が現場にいないときは直ちに最寄りの警察署(……)の警察官に……を報告しなければならない。

道路交通法72条1項

直ちに車両を停止し、即死が確認できたとて、自転車やご遺体を車道上に放置しては、法72条前段違反は免れないと思われる。

救護措置義務の履行が分けた未来

なぜ加害者は救護措置義務違反をしたのか。それは裁判の中で示されている。

(2)ア 原告は,本件刑事手続の捜査段階において,本件事故やその後の状況等について,大要,以下のとおり供述している。……,逃げた理由については,倒れている相手方を見てパニックになった,会社の車で人身事故を起こしたことを報告したら会社を辞めさせられると思って動揺した,会社に知られたくないとの焦りから,思わず本件事故現場から逃げてしまった,本件事故直後の本件被害者の状態は,右ミラーで自転車ごと倒れているのを確認しただけなので,詳しくは分からなかった,なぜ119番通報や110番通報もしないで逃げてしまうくらい焦ったかというと,以前,人身事故を起こした運転手が配送車の運転をおろされ事務職の仕事に異動となり,周りからの圧力で結局会社を辞めさせられたと聞いたことがあるからである,……

原典PDF p.8

即死ゆえに被害者を助けることはできなかったものの、逃げなければ自身を助けることはできたはずである。逃げなければ、刑事処分は罰金20万円どまり、行政処分はなかったという未来はありえたのではないかと思う。

実際、事故に対する行政処分はなかったのである。救護措置義務違反に対する行政処分だけである。それがなければ、免許取消&欠格期間3年を受けることもなく、運転免許は有効なままだったはずである。

免許取消になっていることを考えれば、最低でも事務職に異動しているだろうし、失職しているかもしれないと思う。どちらにしても、今の職場で仕事を失うことは免れなかっただろうと思う。しかし、救護措置義務違反がなければ、免許を失うことなく再出発できた可能性はあったと思う。

救護措置義務を果たさなかった未来、
救護措置義務を果たした未来、
この違いを感じてほしいと思い、この裁判を紹介した。


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