聞き取り調査から紡ぎ出される物語の迫力(書評:山崎朋子『サンダカン八番娼館:底辺女性史序章』筑摩書房1972.5[文庫版:文春文庫1975.6])
本書は、「からゆきさん(唐行きさん)」の生涯を、聞き取り調査からあぶりだしたものである。「からゆきさん」とは、九州西部の天草、島原で使われはじめた言葉のようで、戦前、海外に出稼ぎに出た女性のことを指す。そして、その多くは、妻妾や売春婦を生業としていた。本書の副題が、「底辺女性史」たる所以である。
「女性史」などというと、硬い研究書のようであるが、本書はいわゆる研究書ではない。まだ著者を知る人も少なかったであろう1972年に上梓され、その3年後に文庫化されていることからもわかるように、広く大衆に向けて書かれている。とはいえ、構成は研究書に近い。からゆきさんに注目する理由、先行研究に対する批判、そして、からゆきさんに迫る方法が記述された「底辺女性史へのプロローグ」からはじまり、結論ともいうべき、「からゆきさんと近代日本―エピローグ」で締め括られる。そしてなにより、本論で披露される「記録」の合間に、分析や考察が入っているのである。それが、単なる記録の域に留まらない、ノンフィクションとしての深みを与えている。
からゆきさんという暗い過去を、一体どうやって聞き出すのか。著者が採った方法は、「老からゆきさんと三週間あまりひとつ家に生活」(文庫版p.25)するという、文化人類学ばりの参与観察であり、聞き取り調査である。こうした参与観察の成否は、調査対象者との信頼関係に大きく左右されるが、著者が調査対象者と如何なる関係を築いたのかは、本論を読めば自ずと伝わってくる。なお、本論ではないが、圧巻なのは、先行研究の多くが主たる史料として引用する女衒が書いた自伝に関して、関係者にその女衒の存在を、徹底的に聞き取り調査していることである。そこには、現場から湧き上がってくる真実が見え隠れする。
ところで、タイトルにあるサンダカンとは、東マレーシア、ボルネオ島北部の都市である(図)。この都市に、かつて存在した娼館が、本書で取り上げられた、からゆきさんが半生を過ごした場所となる。なぜ、ここだったのか。空路が発達した現在、九州の一地方と南洋の結びつきに違和感を覚える。
【図】天草とサンダカン(Google My Mapsにて評者作成)
著者は、その背景として、江戸時代における田畑の収穫高に対する税率の問題があり、「天草農民の骨を削るような貧困」(文庫版p.255)があったとする。そして、海を通じた往来が自由になった明治時代以降、「出稼ぎ」にその解決を求めたという。その理由として、「日本内地よりも海外に出かけたほうが一攫千金の夢を実現しやすかった。加えて、四囲を海に囲まれ、中国大陸や東南アジアと距離的にも近い天草島では、海外へ出かけることに、本州ほどの隔絶感を抱かなかった」(文庫版p.262)とする。しかし、これらは本論で論じられているわけではないので、説得力に欠けるし、サンダカンであった必然性の説明にはなっていない。
からゆきさんに限らず、同時代的に存在した、中国人をはじめとした出稼ぎ労働者たる苦力なども、おしなべて貧困と結びつけられて語られる。本書が世に問われて、すでに50年を経ようとしている現在でも、その状況はほとんど変わっていない。確かに、一定の割合で、貧困との関係はあろう。しかし、貧困の一言で片づけてしまうことによって、他の側面を見えなくしているような気がしてならないのである。そろそろ、貧しいから海外へという、紋切型の至って短絡的な見方から脱却しなければいけない時期に来ている。
さて、本書は後年、社会史研究者のジェームズ・フランシス・ワレンが著した、『阿姑とからゆきさん:シンガポールの売買春社会 1870-1940年』(原書は、James Francis Warren, Ah Ku and Karayuki-san: Prostitution in Singapore, 1870-1940, Singapore: Oxford University Press, 1993)において、研究の素材として多々引用されることとなった。つまり、口述資料としての価値を有しているのである。からゆきさんの多くが亡くなってしまった昨今、その史料的価値は益々高まってくるだろう。
この本の監訳者である早瀬晋三は、『阿姑とからゆき』の「解説」の中で、本書にも触れている。そこでは、同時期に刊行された森崎和江の『からゆきさん』(朝日新聞社、1976)と比較し、「『時代』のなかで書かれたという意味で山崎の作品は出色であったが、『時代』を超えて残る作品となったのは森崎のほうであった」という。どうやら、森崎和江の作品も、読む必要がありそうである。今後の課題としよう。
最後に、本書は刊行1年後に映画化され、からゆきさん役を高橋洋子、田中絹代が演じている。ちなみに、田中絹代の最後の作品でもある。1960年代のアメリカに端を発する性差別撤廃運動の波に乗り、大いに注目されていた時代を感じる。読書に、映画、本書はいろいろな味わい方ができそうである。
※本稿は、「Fieldworker's Eyes:フィールドワーカーのまなざし」(https://eyes.fieldworker.co.jp/article/24)に寄稿したものを転載。
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