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届けたい人のために、本を編む

文章を読むたびに、打ちのめされる。


これが、正直な気持ちだ。

読まれる人に対して、何かをきちんと伝えようと
ていねいに構成をし、目次を作り、画像も挿入して
読まれた人の時間を、とても大切にした文章。

そういう文章に出会うたび
「ああ、自分は、こんな風には書けない」と絶望する。

嫉妬とか、そういうことじゃない。
もう10年以上悩んで、そういう文章にもチャレンジした挙句
「自分には書けない」という諦めというか、腑に落ちたときから
僕の文章は自分に向けて書かれている。

いや、そもそも、14歳の時にいじめられて
引きこもった部屋の中で誰にも言えなかった「想い」を
初めて言葉をメモ帳にちゃんと並べたときから
それは「自分に向けたもの」だったのかもしれない。


今更、気付いたのだけれど
マガジンもちゃんと作って
「文学フリマへの道」とか作って
自分の葛藤しか書かれておらず
誰のためにもならないかもしれない文章を
いったい誰が読むんだよ、と。

そんなことを思って、打ちのめされていた。


ただ、もう、そういうの、いいんじゃないか。
僕は打ちのめされまくって、立てないくらいの気持ちを抱えながら
それでも「表現する」ことを決めたのだから
誰かを気にして、書けないことだけは、やめよう。

「数字なんて気にしない」

これは絶対強がりで、結局気にするし、わかっているのだけれど
そういうことにとらわれるのをやめるためにも
僕はここで、あえて立ち向かい、表現し、本を作る。


絶対に作った本を届けたい人が、3人いる。

ひとりは、僕の背中を押してくれた人。
ひとりは、僕の価値観を破壊してくれた人。
ひとりは、僕の言葉に救われたと言ってくれた人。

どうしても、この3人には、想いを本にして届けたい。

その想いだけでいいじゃないか。
誰かと同じ文章じゃなくていいじゃないか。
はみ出し者でもいいじゃないか。

「コレが、僕なんです」って
堂々と胸張って言える作品を創りたい。

創るまでをめちゃくちゃに楽しんで
楽しみだけじゃなく、ちゃんともがいて、苦しんで、あがいて
それらも結局、楽しくて、それでいいじゃないか。


上手くいかないことばかりだけれど
自分らしい本づくり、楽しいよ。

だから、うん、やってみよう、最後まで。
表現してみよう、もっと、もっと。


一応の現状は、とりあえず、カバーは2作目がデザインできた。
あとは構成だけ先にできた作品が、なぜか順調に進んでいて
いま章立てに分けて、文章が降りたタイミングで執筆している。

面白いなと思うのは、本のタイトルによって
出来上がる順番が全然違うこと。

先にカバーができた本もあれば
先に全体の構成ができたり
あとがきから書いてみたり
まえがきが先にできあがったり

それはもうバラバラで、自由で、何が出来るかわからなくて
なんか自分の表現って、面白いなぁと
自分を客観的に見て、面白がっています。

それらはいつか、もう少していねいな文章にして起こせたら
少しはちゃんとした読み物になるかなと思うので、気が向いたら、書こうかな。

とにかく今日は仕事に忙殺されてしまった。
それでも、こうして何かしら言葉にしているだけでも
いい感じだなと思えるから、また一歩前に進んでいる。

ああ、早く、またじっくり本づくりに取り掛かりたい。
毎日の浮かんだ言葉が、すべて素材になる。
無駄なことなんて、ないと思う。

自分らしい本、少しずつ作っていきます。

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