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言葉のむずかしさ

やっぱり、言葉って、むずかしい。


ふと、痛感したこと。

今まで
何度も言葉を紡いで
悩んで、もがいて、苦しんで
傷つけて、傷ついて、苦しんで
考えて、考えて、考え続けても
僕は相変わらず、言葉と向き合って、頭を抱えている。

これはもう、たぶん、最期まで変わらないんだと思う。
あくまでも、僕の場合、だけれど。


前回の文学フリマ東京に出展したとき
このnoteの中で仲良くさせていただいた人だったり
イベント前後に急接近した人もいた。

その時に交わした言葉を、僕はなぜか忘れられなくて
だいたいのことを、特にもらった言葉を、覚えていた。

イベントの最中は、やっぱりどうしてもテンションが上がるので
その瞬間に放たれる言葉は、とてもエネルギッシュだ。
熱々で、とても熱量に満ちている。

けれど、そこから数日後、1か月後、3か月後。
どうだろう。

熱量はどんどん冷えていったのか
あの時の温度は、ほとんど感じられなくなる。
もちろん、僕自身の言葉も、同様にだけれど。

僕が放った言葉に、どれほどの熱があったかはわからない。
受け取った相手が、どれほど大切にしてくれているかはわからない。
けれど、どうしようもなく反省している自分がいた。

本当に言って、良かったんだろうか。

言葉に対する責任。
相手はそんなこと、考えてはいないかもしれない。
僕の存在すら、薄れて消えてしまったかもしれない。
なのに、僕は、どうしても考えてしまう。

初めて参加したイベントだったのもあって
何もわからなかったのは、あったかもしれない。
その瞬間にしか出合えない感情や言葉が、あると思う。

ただ、僕は、ひとつ経験して
また、バカ真面目に考えている。

言葉の無力さと、言葉の奇跡。

どちらも僕は、あると思っている。
表があれば裏があるのと同じ。
表裏一体だからこそ、感じる矛盾とむずかしさ。

その瞬間にしか出会わない人たちかもしれない。
インターネット上でしか、SNS上でしか繋がらない人たちかもしれない。
いわゆる、考えても仕方ないやん。的な話なのだと思う。

良くも悪くも、僕は、誰に何と言われようとも
結局のところ、考えてしまう。

言葉、ことば、コトバ。

適当になれればいいのに。
適当に考えればいいのに。
適当に生きればいいのに。

それができないのが、僕という人間。
それができないから、僕という人間。
それができないので、僕は表現する。

今回の文学フリマ後に、またいろいろ考えて
自分にとっての振る舞いを、自分らしくしようと思う。

こうでなきゃいけないとか
ああじゃなきゃいけないとか
ぜんぶ、捨てようかなと。


文学フリマ東京39まで、あと2日とちょっと。
この記事で「なんだろうこの人」って思った人がいたとしたら
少しでも気になったら、僕がいるブースまでお越しください。

立ち読みだけでも、全然喜びます。
直感的に何かを感じたら、迷わず購入することをオススメします。
それは僕の本だけじゃなくて、会場のすべての本に言えること。
本屋さんでは出会えない本たちが揃っているので
その瞬間に買わないと、その表現に二度と触れられなくなるかもしれないので。

どうか、後悔のないように。
いまのあなたに必要な表現に、出逢えますように。

僕はこちらで、お待ちしています。

余白者:O-20

僕が会場に持って行く本の内容については、コチラからご覧ください
表紙はコチラ。

『余白』 やまざき想太 著
『僕があなたに最期に伝えたいこと』 やまざき想太 著


明日はいよいよ前日。
何か書くかもしれない。
余力があれば、また。

覚悟を持って、恐れを笑い飛ばして
自分らしく、当日を迎えよう。

では、また。

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