ちゃんと3日後、生きていたから
2月9日に、3日以内に死ぬかもしれないと書いた。
そして僕はまた、こうして言葉を紡ぎ始めている。
正直、いろいろあったけれど、いま、生きている。
それがすべてだし、それ以上もそれ以下もない。
ずっと何かを書きたかったけれど
あまりにもここ数日のメンタルが不安定すぎて
まともな文章にならないよな、と思うところがあり
言葉にすることを、諦めていた。
正直に言うと、恥ずかしい話
SNSに垂れ流されたデマ情報を信じてしまったのが理由だった。
年始にあった大地震。
あまり自分からも触れたくはなかったけれど。
僕は昨年の3月からめまいを患って
地震が起こるたびにメンタルも不安定になり
めまいの症状が酷くなることを繰り返していた。
昨年末から少し安定していたところに
年始から続く各地での地震。
SNSには不安の声が渦巻いていて
僕は自分のメンタルにも影響するのはわかっていて
なるべく見ないようにしていたけれど
ふと、先日「2月11日か2月12日に95%の確率で大きな地震が起こる」
という、アメリカ発のSNS情報をたまたま目にしてしまう。
これで混乱した。
メンタルが大きく崩れてしまった。
言葉がおかしくなり、心も壊れ気味で
僕は「もうダメなんだ」と思った、思い込んだ。
いや、普通に考えて、信じることの方がおかしいだろう。
ただ、残念なことに、心がアンバランスである時に
信じるに足らない情報が真実であると誤ってしまうことがある。
久しぶりに僕のメンタルは崩壊し、薬を多量摂取し
毎日が無事であることを祈る以外は、ただひたすら怯えた3日間。
恥ずかしい。
なんで、あんなことを書いてしまったのか。
普段の自分であれば、ちゃんと受け止め、問題なくスルーできたはずなのに。
僕はそのデマ情報に、ただ振り回されて怯えた日々を送っていた。
ほんとうに、ただ、それだけ。
くだらない結末だったと思う人しか、いないと思う。
ただ、ひとつ言えることは
情報が錯綜する今日この頃は
冗談抜きで明日が最期の日になる可能性は
いつでも転がっている、ということ。
ああ、これは別に今に限らない。
いつの時代も、どんな時も、どんな巡り合わせになって
自分の人生がどう転ぶかなんて、誰にもわからない。
その事実は、確かにある、ということ。
未来は、今を色濃く生きた先にしか訪れない。
明日は、今を色濃く生きた先にしか訪れない。
過去は、今を色濃く生きた先にしか濃くならない。
僕はいま、毎日が怖い。
生きるのが怖い。
そういう感情を抱えている。
面白いのは、1年半くらい前
僕は毎日「死にたい」と願っていた。
いま僕は、きっと「生きたい」と思うからこそ
生きるのが怖いと、思うんだと思う。
少しは前進した証なのではないか。
そう信じたい。
生きている間に、絶対に、本を作り、カタチにし
届けたい人に、届ける。
いま、それが大きな生きがいになっている。
自分の道しるべと言っても過言ではない。
日々負けそうになるけれど、1月1日に決意した情熱は
スピードは遅くとも、まったく情熱は変わらないから。
もう、誰かがハートボタンを押してくれなくてもいい。
何ひとつ気にすることなく、最速で、即行で、徹底的に
自分が表現したいことに真っ直ぐになる。
やれよ、やるよ
やれよ、やるよ
やれよ、やるよ
やるんだよ、やればできるよ
キミはできる
あとは、やるだけなんだから
だからやる、とにかくやる
命をかけて、やる
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