HRBPが現場を変える!第3話:新たな全社改革ミッション
小説編
梅雨空の広がる初夏、本社ビル15階の大会議室には、これまで以上に重厚な顔ぶれが揃っていた。
これまで佐々木はHRBPとして製造部門の課題に取り組み、人材プール再編などのテーマに奔走してきたが、今回のタスクは、スケールも影響範囲も格段に大きなものだった。
テーブルを囲むのは、経営企画部から中期経営計画の策定に携わる田中(たなか)部長、人事CoE(Center of Excellence)からは人材戦略責任者の大庭(おおば)、そして製造本部からは本部長の平田(ひらた)や企画担当メンバー数名、人事部門からは先輩HRBPの村井、さらに外部から正式参画となったコンサルタントの庄司(しょうじ)が着席していた。
部屋の中心には大きなスクリーンが据えられ、そこには全社要員計画、製造ラインオートメーション戦略、リスキリング施策、さらにはグループ会社への人材転籍オプションまで、複雑に絡み合うキーワードが投影されている。
田中部長が口火を切る。
「本日は、全社レベルでの生産改革、人材最適化戦略について議論したい。中期的に製造ラインのさらなるオートメーションを進め、ロボティクスやAIによって人手依存を減らし、人件費構造を合理化する。
ここで生じる人材余剰は、他部門へのシフト、リスキリングによるスキル転換、さらにはグループ会社や関連会社への転籍も視野に入れて対応する計画です。
佐々木君、これまでの製造部門HRBPとしての経験を活かし、この全社人材シフト計画の一端を実行プランとして具体化してほしい。」
「実行プラン」とさらりと言われるが、その中身は膨大な検討事項をはらんでいた。
経営企画部は全社的な利益最大化を目指し、職種転換を促進したい。
一方、人事CoEは人材開発やスキル再構築の策定ノウハウを持ち、労働組合との調整や公正な処遇設計も視野に入れる必要がある。
また、製造本部はライン稼働率や品質・安全面のKPIを確保しつつ人材シフトを行わねばならず、安易な人減らしは業務停滞を招くリスクがある。
加えて、労組は当然として、現場従業員個々のキャリアやモチベーションも考慮しなければならない。
そして、外部コンサルタントの庄司は、複雑なステークホルダー間の利害を調停し、フレームワークやベンチマークを用いて計画をロジカルに整理する役目を担う。
これらすべてを統合するのが、今回佐々木に求められるミッションだ。
人事CoEの大庭が説明を加える。
「全社要員計画では、今後3年間で製造工程を段階的に自動化し、一定数の人的工数を削減するシナリオを描いています。
その人材をサービス開発や国際事業支援、デジタルマーケティング部門など成長領域へシフトするのが狙いです。
そのためには、『どの人が、いつ、どんなスキルを獲得し、どの部署へ移るのか』を明確にしていく必要がある。
労使交渉も控えていますので、信頼性の高い計画に仕上げることが急務です。」
平田本部長が苦い顔で腕組みをする。
「率直に言って、オートメーションによる人員削減やシフトは、現場の不安を招く。
スキル転換を求められる従業員は『自分たちが不要になるのでは』と疑心暗鬼になるだろう。
また、新技術導入は現場でのトライアルや安全検証を要し、思ったほど早く進まない懸念もある。全社最適と部門最適は必ずしも一致しない。
佐々木君、君には現場感覚もあるし、この難題をどう折り合いをつけるか、一緒に考えてほしい。」
隣で村井が小さく微笑む。
「まさにHRBPの腕の見せどころだな、佐々木。
今回のプロジェクトでは、以前使ったスキルマトリクスやロードマップ構築だけでなく、ステークホルダー管理がより重要になる。
たとえば、ステークホルダー分析マトリクス(関心度と影響度で関係者をマッピング)、シナリオプランニング(オートメーション達成度合いに応じた複数の人材シフトプラン)、段階的なリスキリング計画(分野別・期間別のスキル付与プログラム)など、複数の道具を組み合わせることが必要だ。」
庄司コンサルタントがスライドを切り替える。
そこにはプロジェクトチャーターの雛形が示され、ゴールや役割分担、スケジュール案が整然と並んでいる。
「今回、私も正式にプロジェクトメンバーとして参画します。
まずは目標と制約条件、想定リスクを明確化し、次にオートメーション推進チーム、労組、各事業部門、そして経営層への定期報告体制を確立しましょう。
並行して、ベンチマークとして同様の変革を進めている先進他社にもヒアリングを行います。」
会議終了後、佐々木は案件の重みをひしひしと感じていた。
現場経験はあるが、今回は全社横断的な戦略転換。
その夜、同期で経営企画部に配属されている松尾(まつお)と二人で居酒屋に寄ることにした。
カウンター席でビールを傾ける佐々木は、不安と期待が入り混じった声で語る。
「松尾、お前んとこは“全社最適”を日々口にしてるけど、それは現場にとって痛みを伴う場合もあるよな。
このオートメーションだって、きれいな計画図の中では人員最適化って言えるけど、現場の人達は『仕事が奪われる』と感じるかもしれない。」
松尾は氷をカラカラ鳴らしながらハイボールを一口。
「うちはうちで大変だよ。トップからは『経営効率化と人材戦略の整合を早く出せ』とプレッシャーがかかる。
でも、実際には現場の実情は複雑で、すぐには結果が出ない。君はHRBPとして人を理解し、俺は経営企画として数字と戦略をまとめる。
立場は違うけど、どっちも苦しい。それでも、この経験は後々『自分が全社視点で動いた』という実績と成長につながると思う。」
「そうだな、辛いけど頑張ろうぜ。」
ジョッキを軽く合わせる音が、ささやかな連帯感を醸し出す。
翌日、佐々木は早速オートメーション推進プロジェクトチームにヒアリングを行うべく、製造本部棟へと足を運んだ。
IoTとロボットを軸にした自動化戦略が進んでいると聞いていたが、リーダーの浅田(あさだ)は苦い表情で事実を伝える。
「実は、品質保証と安全性確保のために、思ったより自動化範囲が狭まりそうなんです。
当初の想定では、ライン全体の30%をロボット化する計画でしたが、法規制や技術的ハードルで10%程度が精一杯という見込みで……。つまり、余剰人材は大幅には出ない可能性がある。」
これは佐々木にとって大誤算だった。
全社計画は大量の余剰人材発生を前提に、彼らをリスキリングして他部門へ送る段取りだったが、前提条件が揺らぐ。
余剰人材がほとんど生まれなければ、他部門シフト計画は空回りしてしまう。
経営企画や人事CoEが描く青写真は修正を迫られるだろう。
オフィスに戻り、村井や庄司と即座に相談する。
庄司は落ち着いた声で言う。
「こういう計画変動は変革プロジェクトではよくあることです。だからこそ、シナリオプランニングが必要です。
完全自動化が進まないなら、代わりに別の施策でスキル転換を行う。あるいは、ローテーションや研修タイミングを後ろ倒しにし、段階的に人数を動かすことも考えられます。
必要なら、グループ会社との連携を強めて、限定的な人材転籍の仕組みを先行実験してみる余地もある。」
さらに庄司は、先進的な同業他社へのベンチマーク面談を手配していた。
オンラインで実施された打ち合わせでは、既に類似の変革を進める先進企業の人事責任者が成功事例を共有する。
「我々はオートメーション計画を一度に完遂しようとはせず、1年単位で小さな達成目標を設定しました。
その度にスキルマトリクスを更新し、労組と話し合いながら適宜プランを修正しています。
また、リスキリング研修は一律ではなく、将来必要となるスキルカテゴリーごとにモジュール化し、社員自身が選択しやすい形にしているんです。」
この他社事例は大きなヒントをもたらした。完全な計画ありきではなく、段階的・アジャイルなアプローチ、利害関係者を初期から巻き込むプロセス、複数シナリオを並行検討する手法――こうした要素が有効であると分かる。
さらに庄司は、「リスキリングロードマップ」と「スキルマトリクスのダイナミック更新」を提案する。
「固定的なプランではなく、スキル要件を定期的に再評価し、人材配置計画と紐付ける“アジャイル人材管理”の概念を入れましょう。
こうすれば、オートメーション進捗や労組交渉結果に応じて計画を段階的に再構築できます。」
佐々木は頭を抱えつつも、一筋の光明を感じる。
これまでの経験は小規模な組織内最適だったが、今回は全社最適と現場リアリティの狭間で、柔軟に戦略を組み立てる必要がある。
「たしかに、最初から完璧な計画は無理かもしれない。
でも、段階的、反復的にブラッシュアップしていくスタイルなら、関係者全員を少しずつ説得しながら進められるかもしれない。」
村井も賛成する。「今回のプロジェクトには、まさにHRBPが必要だ。ビジネスロジックとヒューマンファクターをつなぐ存在として、君の役割は大きいぞ。」
こうして第3話は、巨大な全社レベル人材シフト戦略という重いミッションを背負い、佐々木がまずプロジェクトの骨格づくり、ステークホルダー分析、ロードマップ策定に向けて動き出す段階が描かれた。
戦略担当やコンサル、現場本部長、先進他社事例、そして同期との酒場での会話――多様な視点と応援を受けながら、まだ不透明な道筋に一歩踏み出す。
このプロジェクトは、単なる人材計画ではなく、組織文化や働き方、雇用の在り方までも変革する試みである。
これから数話にわたり、佐々木は繰り返し試行錯誤し、交渉し、和解し、また計画を磨き続けることになるだろう。
※この小説はフィクションです。実在の人物・団体・事件などには一切関係ありません。
第3話解説
ステークホルダー分析(Stakeholder Analysis)の重要性
第3話では、全社最適と部門最適が必ずしも一致せず、人事CoE、経営企画、製造本部、オートメーション推進チーム、労働組合、さらにはグループ会社といった多数の利害関係者(ステークホルダー)が絡む複雑な状況が描かれました。
HRBPは、このような多元的な利害を調整する「社内外交官」としての役割が求められます。
ステークホルダー分析では、以下のステップが有効です。
洗い出し
関係する部門、個人、チーム、外部パートナー、労組、経営層などを漏れなく洗い出す。
関心度と影響度での分類
たとえば、影響度(そのステークホルダーが結果に与える影響の大きさ)と関心度(そのステークホルダーがどれくらい関心・不安・期待を抱いているか)でマッピングする。
「影響度大・関心度高」のステークホルダーは重点的にコミュニケーションを行い、合意形成を重視する。
ニーズと懸念の明確化
各ステークホルダーが何を重視しているのか(コスト削減、生産性維持、雇用安定、公正な処遇、スキル開発機会など)を把握し、計画や提案の段階で考慮する。
ステークホルダー分析を行うことで、HRBPは「誰に、いつ、どのような情報を、いかに伝えるべきか」を明確にし、円滑な交渉や合意形成の土台を作ることができます。
シナリオプランニング(Scenario Planning)による不確実性への対応
第3話で特に印象的なのは、オートメーション計画の前提が崩れ、当初想定ほどの自動化が進まないという事態でした。
こうした不確実性の中で計画を一度に「完璧」に仕上げるのは困難です。そこで有効なのがシナリオプランニングという手法です。
シナリオプランニングとは?
将来を単一の予測で捉えず、複数の異なる前提条件や結果を想定した「シナリオ」を用意し、それに合わせて計画や戦略を用意する方法です。
具体例
シナリオA:計画通りオートメーションが進み、一定数の人材が余剰となる。
シナリオB:技術的・規制的ハードルにより自動化範囲が半減し、余剰人材はほぼ出ない。
シナリオC:部分的な自動化は可能だが、実現まで時間がかかるため、短期的には人材配置を変えられない。
これらのシナリオごとに、人材のシフト計画、リスキリング開始時期、労組交渉ポイント、グループ会社との連携案を用意しておくことで、状況変化に柔軟に対応できます。
シナリオプランニングは、不確実な環境下で戦略を固定化しない「備え」の思考法を提供し、HRBPが計画修正や再交渉を行う際の羅針盤となります。
段階的なリスキリングとスキルマトリクスのアジャイル更新
リスキリング(Reskilling)とは、既存社員に新たなスキル・能力を習得させ、別の職務・部門への活用を可能にする取り組みです。
ただし、一気に全員を再教育するのは非現実的であり、従業員の学習意欲や現場負担を考慮する必要があります。
段階的リスキリング
一度に大人数を対象にするのではなく、まず優先度の高い職務領域や少数の社員から開始し、成功例を積み重ねながら対象領域を拡大するアプローチです。
スキルマトリクスのアジャイル更新
スキルマトリクスは、社員ごとの能力や知識領域を可視化した表です。
これを静的なツールではなく、定期的に見直す「アジャイル(敏捷な)アプローチ」で運用します。
たとえば、半年ごとに必要スキル要件を更新し、社員が新たに獲得したスキルや業務経験を反映することで、常に最新の人材資源マップを保つことができます。
段階的・アジャイルな運用により、計画倒れを防ぎ、変化に応じて柔軟に人材活用を最適化します。
アジャイルアプローチ(Agile Approach)と段階的検証
従来の人事計画は、長期的・一括的な変更を前提としがちでした。
しかし、第3話で提示された先進企業の事例や、庄司コンサルタントの助言は、人事戦略にも「アジャイル」な考え方が有効であることを示唆しています
アジャイルアプローチとは
IT業界のプロジェクト管理手法として知られるアジャイルは、小さな単位で計画を立て、実行・検証・改善を素早く繰り返す方法論です。
これを人事戦略や人材再配置計画にも応用することで、環境変化や計画前提の変動に即応できます。
具体的なアジャイル実践例
短いサイクル(例えば3~6ヶ月)ごとに、リスキリングや異動施策の成果を評価。
定期的にステークホルダーからフィードバックを集め、目標値や優先度を見直す。
少人数でのパイロットプロジェクトから始め、成功事例を確認後に拡大する。
第3話では、HRBPが直面する高度な組織変革課題が描かれました。
その中で、ステークホルダー分析は利害調整の基盤を提供し、シナリオプランニングは不確実性への備えを可段階的なリスキリングは無理のないスキル開発計画を促し、アジャイル手法は環境変化に迅速に対応するアプローチを採用しました。
いくつかの手法について、皆さまが企業課題に取り組む際の考え方の一助になれば幸いです。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
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