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#本棚の10冊で自分を表現する

…というタグが数年前にツイッターで話題になったのを、ご存知の方もいらっしゃるかもしれませんね。
手持ちの本からジャンルを問わず「これが自分だ」と呼べる10冊を厳選して紹介するという趣旨のタグでした

ツイッターで流行った流れで読書メーターにも同じ「#本棚の10冊で自分を表現する」というコミュニティが出来ており、自分なりの10冊を紹介する場となっています。
先日読書メーターをひらいたら久々にそのコミュニティのコメント通知が来ていて、このタグの存在を思い出しまして。

きっとnoteでも書いてる人いるんだろうな、noteの街に住む人たちはどんな本を選んでいるのかな~~ってわくわくしながらハッシュタグで検索してみたんですよ。

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誰も書いてないんかい!

表記ゆれのせいで見つからないのかな、、、と試しに「本棚」のみで検索するも、それらしいタグが見つけられず。
だったら真っ先にやっちゃおう!と思い立って、この記事を書く事にしました。

※「名刺代わりの小説10選」というタグなら沢山の人が使用されていたけれど、これだと小説からしか選べないので今回は見送りました。でも小説から精鋭を10冊に絞り込むというのも難しくて面白いと思うのでいずれ書きたいです。

・現時点で本棚にある本の中から10冊を選ぶ。
・小説、新書、漫画、写真集、ビジネス書、絵本などなど何でもOK。
・ただただ好きだったり、思い出深い作品だったり、多大なる影響を受けていたり……。それぞれの「自分にとって欠かせない10冊」が選抜されるはずなので、選んだ理由を書いてみる。

というわけで選びました。10冊。
自己紹介とも思い出話とも呼べそうな「選んだ理由」、つらつらと書き綴ってみようと思います。
以下の並びはヘッダ写真とは異なりますが、自分なりに思い入れが強い順になっています。


1:喜嶋先生の静かな世界

森博嗣/講談社文庫
過去の記事にも書いた事があるのですが、森博嗣さんは20歳の頃から本当に好きな作家で、小説に限らずエッセイに新書にブログ本までいろいろ読んできました。
中でも『スカイ・クロラ』という一連のシリーズものが、ずっと一番好きな作品でした。
(過去に押井守さん監督作品として映画化もされているので、タイトルだけ知っているという方は多いかも)

でも2015年4月にこの小説を手に取って、読んで、もう泣けて泣けて堪らなかったんです。
これまでに感じた事の無かった読後感とともに、本書が『スカイ・クロラ』シリーズと並んで、自分の中で特別な存在になりました。

文字を読むことが不得意で、勉強が大嫌いだった僕。大学4年のとき卒論のために配属された喜嶋研究室での出会いが、僕のその後の人生を大きく変えていく。寝食を忘れるほど没頭した研究、初めての恋、珠玉の喜嶋語録の数々。学問の深遠さと研究の純粋さを描いて、読む者に深く静かな感動を呼ぶ自伝的小説。

何故あれほど感極まってしまったのかを後で考えて、とても綺麗なもの、美しい思考に触れた歓喜の涙だったと気付きました。
学ぶこと、新しい世界を知ることは、いくつになっても歓びであり楽しいものです。研究に没頭した経験など無くとも分かる。

ひとつの出会いによって自分の人生が大きく変わること。
憧れの人から影響を受けること。
夢中になれる対象に没頭して知的好奇心を満たすこと。
いずれも人間だけの愉悦と呼べる経験です。
そういった事を自伝的とはいえ小説というかたちで、文体そのものもエッセイなどから伺えるお人柄も全部ひっくるめて大好きな作家が書いてくれている。胸に響かないわけがなかった。

だからいつも思考の錆を落とす気持ちで読みます。
本作で語られるひたむきさは理想とするには峻厳だけれど、それでも目指したいし美しいと思える自分でありたい。

長らく本作と『スカイ・クロラ』シリーズが好きな小説ツートップだったんですが、30代になってからは本作の、特に後半の展開が胸に響くようになりました。
人が生きるうえで変化は欠かせないものなので、憧れの人とともに過ごした日々が過去になっていくのも止めようがないことだし、最接近ポイントってその瞬間には気付けないものなんですよね。
ふと振り返ることで、どれほど遠ざかってしまったのか、その距離を思い知らされる。その時に褪せずとも伴う微かな痛みは、大人になってから知ったものです。

きっともう一生会う事などなくても、憧れの人から受けた影響が今の自分を形作るうえで欠かせない要素になっているのは揺るぎのない事実。
だからいつだって胸を張れる自分でいたい。
そういう決意を思い出させてくれる、掛け替えのない一冊です。


2:自宅にて

新藤晴一/ソニー・マガジンズ
初めて読んだのがいつの事だったか、そして何度読んだかもう思い出せないぐらい読み返しています。
ポルノグラフィティのギタリスト・新藤晴一さんが、20代後半ぐらいの時期に某音楽雑誌に連載していたエッセイをまとめた一冊です。
音楽の話からそれ以外の様々な話題まで、書かれた当時の空気や温度感を纏って凝縮された結晶のような本。

『喜嶋先生の静かな世界』で憧れの人から影響を受ける歓びに触れたあとに書くのも恥ずかしいのですが。
事実だからしょうがないよね。
高校生の頃からずっと好きで憧れてきたミュージシャンの思索の軌跡が、こうして手に取ってひらいてみる事で何度でも出会いなおせるかたちで手許にあるってすごいことです。書物ってすごい。

書かれた言葉は変化せずにずっとそばにいてくれる一方で、生きるわたしは変化し続けているから、受ける印象や抱く感想も変化していきます。
だから読み返す度に出会いなおすような感銘を受けつつ、それでも変わらずに毎回心動かされるくだりもある事を嬉しく思います。

わたし自身何らかのかたちで、自分が書いたものをウェブ上に公開する事を長いこと続けてきて今に至ってるんですが、その根底にあるのが晴一さんのこの言葉です。

確かに動いた心をなかったことにしてしまうのが、自分の心に失礼だと思うからです。

初期にアカウント取得したままずっと放置していたnoteを今年から始めようと思ったのも、他でもない晴一さんがnoteを始められた事がきっかけでした。
再ログインしてトップページをスマホのホーム画面に登録して、頻繁にチェックするようになった事で、自分でも何か書いてみたい欲がむくむくと芽生えてきたのです。
基本に立ち返るように、書くことの楽しさを思い出せた事がただ嬉しい。
いつだって感謝ばかりだ。

ところで晴一さん最近noteで『自宅にて2020』という企画を始められていて、この本の文章を受けて綴られる「今」の言葉を記事にして不定期で更新しているのです。
憧れの人の昔と今を同時に読める。
こんな幸せがあっていいのか……と毎回思いつつ拝読してます。


3:告白

町田康/中公文庫
解説込みで850頁にもなる(もはや鈍器)、本棚でも異彩を放ち続ける本作。過去に実際に起きた『河内十人斬り』という大量殺人事件をモチーフに「人はなぜ人を殺すのか」を真っ向から問う長編小説です。

…という説明だけ読むとめちゃくちゃシリアスな作品だと思われますよね。しかしわたしの手許にある文庫本の帯には、又吉直樹さんのこういうコメントが載っています。

心底笑って腹がよじれた。
壮絶な叫びに魂をどつかれた。
小説の極致やと思います。

町田康さんは「破天荒」という言葉の体現者と言いますか、その言語感覚において他の追随を許さない独走態勢の個性を持った、唯一無二の作家だと思います。
音楽的で読んでいて心地よい言葉のリズム感と、その言語感覚からこそ生まれ得るとしか言いようのない比喩表現、そしてどいつもこいつも一癖も二癖もある登場人物たち。
繰り広げられる物語は迂闊に外で読むと声出して笑うのを必死に堪えないといけなくなったり、他にも「小説を読む」という経験でこそ得られる至福を与えてくれるのです。
(以前『パンク侍、斬られて候』という町田康さんが書いた時代小説が映画化された事があるんですが、実際に観た後に原作小説を再読して、言葉を駆使して物語を紡ぐ小説という表現だからこそ到達し得る境地があるのだと実感したものでした)

本作も同じです。
主人公・熊太郎の生涯を追いながら、うくくと笑ったり快哉をあげたり伝えたいことを伝えられないもどかしさに悶えたり。
それがだんだん歯車が食い違ってしまって取り返しがつかなくなって、最初に挙げた凄惨な事件へと至ってしまう。

物語の説得力という意味でも、確かにこの長さが必要な作品なんです。
冒頭1ページ目の語りからいきなり引き込まれて、途轍もなく遠いところに連れていかれる。
小説だからこそ、そして町田康だからこそ。そんな読書体験をくれる一冊です。


4:ナイン・ストーリーズ

J・D・サリンジャー/新潮文庫
サリンジャーは海外では一番好きな作家です。
知ったきっかけは、本作が森博嗣さんの小説『スカイ・クロラ』のエピグラフとして使用されていた事でした。
自分にとって特別な一冊のエピグラフという事で、同じ新潮文庫の野崎孝さんの訳で読み、意味がわからないなりに再読を重ねるうちに見えなかった景色が見えるようになり、どんどん自分の中で特別な存在になっていきました。

サリンジャー自身が寡作な作家なので、ふつうに新刊書店で購入できる著作として挙げられるのは5作品となります。
どれも全部それぞれに好きだけれど、やっぱり一番最初のきっかけとなった『ナイン・ストーリーズ』が思い出深いのです。
タイトル通り9つの物語が収録された短編集。
本作の収録作がサリンジャーの従軍経験後に書かれた作品たちであることを評伝を読んで知り、感じられる奥行きがさらに深まったことも記憶に新しいです。

『エズミに捧ぐーー愛と汚辱のうちに』の救済に初読から鷲掴みにされ、『ド・ドーミエ=スミスの青の時代』は小説における自分の笑いのツボの原点となり、『テディ』の思索に感銘を受けつつ迎える結末を読んで初めて最初に収録されている『バナナフィッシュにうってつけの日』を理解する取っ掛かりを得られた気がして、そういう体験自体が初めて得られた高揚でした。
野崎孝さんの研ぎ澄まされた翻訳文に陶酔する読み方も出来たりして。

ここまで書いてきてようやく分かった。小説を読むという事でしか経験できない特別なひとときをくれる作品が好きなのかも。
そんな感じで本作もまた、生涯読み続けていきたい特別な一冊です。


5:針がとぶ ‐ Goodbye Porkpie Hat

吉田篤弘/中公文庫
吉田篤弘さんも10年ぐらいずっと愛読している作家で、一時期は没頭して著作を立て続けに読み込んだものでした。
馴染み深い日常から「ここではないどこか」まで、作家の言葉で紡がれる優しい世界。ただその優しさは、わたしたちが生きる上で絶対に避けて通れない別離や喪失を無視せず、受け入れたうえで形作られています。

本作は7話収録の連作短編集なんですが、連作短編集である事実を知り得るのは読者だけで、登場人物たちはそれぞれの世界でそれぞれの日々を生きているんです。
その瀟洒な構成は伏線回収と呼べなくもないけれど、それより時代も場所も異なれど、みんな同じ世界で生きているのだと解釈する方がしっくりきます。
自分のちょっとした選択が、距離も時代も超えて誰かに素敵な影響を与える、そんなバタフライエフェクトとなり得る可能性の中で生きている。
わたしたちの営みもまた、誰かに読まれる物語だったりしたら面白いですよね。

ちなみに先日、読書の秋つながりで吉田篤弘さんの話をする記事も書きました。この本ほんとに好きなのでこちらでも熱く語っています。よろしければどうぞ。


6:図書館 愛書家の楽園

アルベルト・マングェル/白水社
書名には図書館とあるけれど、図書館のお話のみならず。焚書から電子書籍まで本に関する歴史も縦横無尽に、そして古典から近代まで時代を代表する様々な文学作品の話題まで、博覧強記の著者のさまざまなおしゃべりをじっくり聞ける一冊です。
本が好きな人なら間違いなく刺さるはず。

コールリッジによれば、崇高な感覚とは「外部の物質的な情景からではなく、それを目にした人間の内部からわきあがるものである。感覚的な印象ではなく、想像力による反応なのだ」。

2013年頃、たまたま目にした上記の文章で一気に興味が湧いたことが、本書を知ったきっかけです。引用されているコールリッジの言葉が、読み手への圧倒的な信頼だと感じられてめちゃくちゃ感激したんですよ。
(実際はこの後には、マングェルによる「コールリッジは「感覚的な印象」を簡単に片付けすぎだ」という指摘が続くのですが)

今でこそインターネット全盛でこのnoteという場もあって、様々な人が本の話をするところをじっくり読むことも出来るし、身近に本の話が出来る人がいてくれるおかげで気兼ねなく語りつくしたりも出来ます。
でもこの本を読んだ当時はまだ、ネット上にも身近にも、気兼ねなく本の話が出来るぐらい本が好きという人はわたしの周囲にはいませんでした。
そんな中でこの本を読むというかたちでマングェルのおしゃべりに耳を傾ける時間は、圧倒的な知性の持ち主が本について親しみ深く語りかけてくれるという貴重な体験になってくれたんです。

本は万華鏡のようにたえず変化しつづける。読みなおすたびに新たな世界が見つかり、別の形があらわれる。

こういう感覚の持ち主だから信頼出来る、と言える上記の一文。
(すごくよく分かる。だって再読の度に理解できる書名や固有名詞が増えていくし受ける感銘も変わるんですよ)

何度となく再読を重ねていますし、2020年のゴールデンウイーク、書店に行けずフラストレーションが溜まりまくったさなかにも本書を読みました。
「良心のともなわない知識は、魂の破滅でしかない」を胸に刻みましたとも。
いつもそばにいてくれてありがとうございます。

ところでこの本、原題は『THE LIBRARY AT NIGHT』なんですよ。
翻訳者に拍手喝采ですとも。


7:走ることについて語るときに僕の語ること

村上春樹/文春文庫
なんとなく心が錆びついてるな、と悶々とする瞬間がたまにあって、そういう時に読むと効く本を何冊か手許に置いています。
わたしにとっては本作もそこに属する本。

春樹さんのエッセイはどれも高め安定のクオリティで好きなんですが、なんだかんだでこの本が一番肌に合うようです。
単純に「走ること」を通して得られた感銘や実感をこうして一冊の本が仕上がるぐらいの文章量で言語化できることもそうだし、走ることを語ることが小説を書くことや作家としての姿勢に関する話題へと移り変わっていく様にも、体得したものをおすそ分けしてもらってるようで有り難いことだし。

好きな作家が「生きる」ことを語るに等しい文章に、発奮したり背中を押してもらえたり。
『自宅にて』や『図書館 愛書家の楽園』に対しても思うけれど、自分のペースで本をひらく事で、凝縮された叡智に何度でも出会える。
本っていいものです。


8:セリー

森泉岳土/ビームコミックス
本に囲まれた空間で、人間の「カケルさん」がアンドロイドの「セリー」とともに、本を読みながら過ごす終末世界を描いた漫画です。
世界に二人きり。
人間であるカケルさんの生命には限りがあるけれど、その存在はセリーの記憶の中で未来へと続いていく。
ひとが本当に死ぬのは忘れられた時だという、どこかで目にした言葉を思い出す。記録されたメモリであっても、愛おしんで思い出される限り、その生きた証は消えはしない。

……なにを書いてもネタバレになりかねないので、言葉少なになっちゃいます。この記事を書きつつ久々に再読したのですが、初めて読んだ時に負けず劣らずの衝撃がありましたとも。
引用される本がどれも厳かで、本作が「詩」と称されている事にも納得。絵と言葉で読む詩です。

ちなみにとてもシンプルな線で構成されるイラストの原画は「水で描き、そこに墨を落とし、細かいところは爪楊枝や割りばしを使って」描いているとのこと。冗談抜きで想像がつかない技法。
終末世界の余白と削ぎ落とされた最小限の線がすごくしっくりくるので、紙の本で味わいながら読むのが良いかと。透明の表紙カバーも綺麗だよ。


9:アライバル

ショーン・タン/河出書房新社
絵だけで構成された、文字通りの絵本。
しかしながら鉛筆画で描かれる表情や幻想風景がどれも雄弁な説得力を持っているので、無声映画の趣きをもってしみじみと読み進められるのです。
不安と焦燥、未知なる世界での始まりと戸惑い、順応、絶望、安らぎ、そして歓喜。それらひとつひとつを伝えてくる絵に見入るうち、ひとりの人間の人生の一場面を見届けることになります。
最後の3ページの展開、これ言葉無しで状況から背景までもがここまで伝わってくるのすごいと思うよ本当に。

文字がまったく無いから、世界中の人が絵を眺めながら母国語で物語を思い浮かべられる。
表紙のかわいい白い子も、実在しない生き物だから鳴き声ひとつとっても読み手がそれぞれに想像できるんでしょう。

『ナイン・ストーリーズ』の項目でも書きましたが、小説を読むという事でしか経験できない特別なひとときをくれる作品って実際にあるんです。
それと同じように、漫画だからこそ見せられる表現や、映画だからこそ出来る表現もある。
本作は絵本ゆえに成し得た達成なのです。

個人的な話ですが誕生日に初めてもらった本でもあるので、自分の中でも特別な一冊です。離れていても想っている。


10:新・片づけ術 断捨離

やましたひでこ/マガジンハウス
やましたさんの断捨離本って何気にダイヤモンド社からも出てるんですよね。でもわたしにはマガジンハウスから出ているこちらの方が相性が良かったようです。
去年引っ越しをした際に、物を減らす事を本気で覚えようと思って断捨離に興味を持ったんですよ。
本書を読んで、それ以外にも何冊か手を出してみたけれど、やっぱりこの本が自分にとって一番しっくりくるな~~って実感出来てからは、この本を繰り返し読んでいます。

今になって振り返るからこそ分かることではあるんですが、うちの実家は本当にモノが多かったんです。
貰いもののタオルはタンスの引き出しの中で溢れそうなぐらいパンパンだし、もう着ない服がクローゼットの中に積み重なってたり、大きな食器棚には一度も使った事のないピーターラビットの食器はもとより何が入っているのかすら分からない引き出しもあったりして。
それら全部が自分のモノじゃないから勝手に処分することもできないし、そもそもモノが多いから片付けても片付けても簡単に散らかってしまう。

……思い出すだけでも胸が塞がる光景です。
当時は完全に麻痺してました。
(わたしが実家を出て高松で一人暮らしを始めた半年後ぐらいに、母も実家を引き払って引っ越しをしたのでだいぶモノが減ったようです。新しいおうちに初めて行った時の清々しさはいまだに忘れられない)

本書には「片付かない部屋を便秘に例えてみる」という強烈なタイトルの章があるんですが、まさしくその通りなんですよね。来るもの拒まずでどんどん溜め込んでいってモノに侵食されて狭くなった部屋の中で、居心地の良いひとときを過ごせるのかという話。
今でこそおうち大好き人間を名乗っていますが、確かに実家に住んでいた頃は、家にいる時間が今ほど長くなかったです。一人暮らしを始めて、好きなモノだけを自分の手許に置くようになってから、ようやく自宅で寛ぐ時間の心地よさに気付けました。

まず今の自分にとって不要なモノをてる。
必要なモノだけが手許に残り、それらが常に一軍として使用され循環する事で、不要なモノが入ってくる経路がたれる。
それによってモノに対する執着かられ、ゆとりある落ち着ける空間で常に爽快な気分で過ごせる。
断捨離とは、片づけを通してごきげんさんな日々を送るための実践法なのです。

あと不思議な現象だと自分でも思うんですが。
断捨離やるぞ!って張り切って沢山の不要なモノを手放すと、不思議とその後、その時に必要なものが手に入るんですよ。
(まだこの本の存在を知らなかった4年前、唐突に思い立ってゴミ袋2つ分の不要なモノを処分した直後、諦めていた音楽フェスのチケット抽選がある事を知ってダメ元で応募したら当選した事を今でも強烈に覚えてます)
目に見えるモノも見えないモノも、所有できる量には限りがあるんだろうなと思う次第。

実用書ではありますが、断捨離という考え方がもとになった価値観は今の自分に欠かせないので、10冊の中に入れてみました。


おまけ:何年か前に考えた当時の10冊

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1:スカイ・クロラ/森博嗣
2:喜嶋先生の静かな世界/森博嗣
3:自宅にて/新藤晴一
4:図書館 愛書家の楽園/アルベルト・マングェル
5:水晶萬年筆/吉田篤弘
6:おかしな本棚/クラフト・エヴィング商會
7:ナイン・ストーリーズ/J・D・サリンジャー
8:未來のイヴ/ヴィリエ・ド・リラダン
9:ニッケルオデオン 赤/道満晴明
10:永遠の花/蜷川実花

どの本も今でも好きなものばかりなんですが、今回入れなかったものも、変わらないものもあり。
(吉田篤弘さんの『針がとぶ』もすでに知っていたのに、当時はそちらよりもこの本の方が特別な一冊だったようです。その理由も自分で分かるので隔世の感)

記録して、数年を経てまた新しく考えて、振り返って変化を楽しむ。そういう楽しみ方も出来ますよ。


まとめ

以上、2020年の自分が考えるオールタイムベストでした。

ここまで読んでくださった方も、気が向いたらあなたの10冊を教えてくださいな。
「#本棚の10冊で自分を表現する」のタグをつけて頂ければ記事を拝読しに行きます。そこから新しい本との出会いが広がればいいなあ。





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