見出し画像

ちょうど良い温度のお湯をつくりたい


■9/4(水)近況 (更新滞ってました)

8/30(金)から更新ままならず・・・!

筆者専門外の造園学会のワークショップのチューターとして参加しており、思いの外(ほとんど学生さんの課題の見守り役になるのかなと思いきや)濃密な内容となっておりまして。
ランドスケープ・造園・観光学などの学生に混ざって、チューターの特権を活かしまくり、学生さんのリサーチを聞きながら実務バリバリのランドスケープアーキテクトの先輩方に臆せず聞きたいことを聞きまくっている。

「人新世」の時代における里山の未来をどんな風景として描いていくか

特に私がサポートをしているチームの学生さんの中には見出しのようなテーマに早くも気づいている所があって面白い。

私が大学院生の頃に受けていた講義はこういう話題が多かったし、教授陣の実践にも表れていて。その頃読んでいた本からもずっと影響は受けている。

ただ一旦社会に出て資本主義経済の海に放り込まれ"ほぼ溺れながら、ちょっと遠浅にたどり着いた"くらいが今。
改めて読み直しが必要だと感じている。(笑)

多分今2〜30代くらいの一部の敏感な人たちは本気で社会実装しようとしているんだと思う。
(敏感な人もっと必要!!)
そのことを隣で(一緒に溺れながら)目撃できそうな予感がしていて楽しみで仕方ない。

この話も深堀りしたいが、一旦このくらいにしておこう(笑)

■過去記事のご紹介

2024年1月1日に石川県能登半島で発生した地震から約8ヶ月。
普段は東京に住んでいる私自身も帰省のタイミングで地震を経験することとなりました。
発災から能登に行きたい気持ちがモヤモヤ、2024年8月16〜19日にかけてようやく震源地である珠洲市に赴き、現地に住む方と時間を過ごすことができました!!!!
このnoteはその現地でのありのままを金沢弁丸出しの心の声全開でnoteにまとめていく、そんな企画です・・・!

▽2024年1月1日(月)〜4日(木) 地震直後の様子(in金沢・内灘)

▽Day1:2024年8月16日(金) 珠洲市飯田町編

▽Day2:2024年8月17日(土) 珠洲市高屋町 前後編 

▽Day2:2024年8月18日(日) 珠洲市飯田町あみだ湯〜高屋町つばき茶屋〜狼煙町いかなてて〜飯田町友達の家

(↑見出しを書いていて、1日でこんなに回ったのかと愕然としている。)
多分1回の投稿で書ききれないが、とりあえず行けるところまで行く。

▼AM 7:00 区長さんの家で起床・動き出す

沼田の充電器類の置き土産

▼AM 9:30 ガチトーク@飯田町あみだ湯

華子曰く若者のガチトーク「人と地域の温度を共有する『熱交換会』」(仮)なるものに参加してみてほしいというお誘い

銭湯の設備に欠かせない熱交換器。温度差のある水が間接的に交わる事で、冷たい水は温められ、温かい水は冷やされ「ちょうど良い」温度を生む設備。それぞれの地域/立場/状況の人達が対話を通じて、その温度差を緩やかに繋ぎ「ちょうど良い温度」を確かめ、考える会。震災から半年以上が経ち、様々な分断が起きている現状。その温度差を繋ぐ取り組みを行いたいと考えている。そのために地域のオピニオンリーダーと定期的な情報交換と議論から、復興に向けた意識醸成と復興計画への提言作成を行う。

会の趣旨

代表のシンケンさんは、発災後お風呂に入れなくなった人が多数だった珠洲市民のため今日までずっと湯を沸かし続けているのだと聞く。とてつもない苦労を経験しているはずなのに、すんごくゆっくりしたやわらかい感じの人。

ガチトークは銭湯の2階のスペースで、ちょっとした座敷になっており大人10人程度、1歳の子ども、犬が参加し、シンケンさんのファシリテートで、珠洲市のこれまでとこれからに関する問題提起について議論する。

2時間にわたる議論は、どれも個人の実感に基づく切実な小さな声だった。現時点の大きな計画には到底拾えないのではないかと思うような、当事者の実感と経験をそれぞれが語っていた。

個別具体的な問題に関する議論は、ここでは詳細に書かないが、印象的な言葉や話題について触れていく。

「復興はできればあと1年くらい待ってほしい」

まず前置きするとこれは参加者個人の声なので、全員の総意ではない。

ただこれを聞くとちょっと一般のイメージとは違う印象を持つのではないかと思う。

今回の能登半島地震は、インフラの復旧・復興が遅いと言われている。

半島という地理的な特性や、3.11の復興との比較でそのように捉えられるのかもしれない。

地震によって破壊された、土木や公共的なインフラ復旧が絶対必要になってくるポイントは必ずあるので、1年と待たずに進めるべきこともあるのはわかっている。

ただ珠洲市、ひいては能登半島は、今回の地震の前から課題を抱えている地域であることは確かで、地震によって、より問題の顕在化が加速した。

能登半島は、半島に100人から50人くらいの集落が点在し、一本の道路で集落ごとが繋がり、多くの人が半自給自足をしている豊かな場所だ。

しかし、高齢化率が高く、珠洲市に至っては高齢化率が50%を超えている地域でもある。いわば、限界集落、消滅可能性の高い地域だ。

そんな元々限界だった能登半島に、大地震が来た。

30年かけて緩やかに衰退していくところが、一瞬でその時間が短縮された。

場所によってはいまだに断水が続き、復旧のめどが立っていないところもある。

なので、多くの人が二次避難といって、能登を離れ、一時的に能登以外の地域に身を寄せており、多くの人が能登に帰れるようになるのをまっている。

「奥能登で、災害をしなやかに乗り越える”現代集落”をつくりたい!」能登乃國百年之計
より抜粋

私が石川県に住んでいた10代のときは、"能登で学ぶ"なんて正直考えておらず、こんなこと言うと怒られるかもしれないが、全くそっちの方を見れていなかった。

10年経って同じ石川県でもこれだけ違うのか、と出会う人・話す人が全て新鮮に感じられたのが正直な感想で、
話をすればするほど、言葉にならない経験や見聞を大事にしていることも伝わってきて、「まずは珠洲に来て!」になるのも分かる。

地域に住む人が何よりも資源

どっぷり流れに身を任せていると出会う人たちがいて、
元々ずっとここで暮らしていた人たちや、<耕すべき現場>として捉えて戻ってきた人たち・移住者がいる
ということが理解できた。

各集落ごとに異なる環境や独自の特性を踏まえて、地震の復旧・復興と同時に、少しずつ現代の最適な環境としてアップデートを模索していると捉えている。

そして各集落には若くて行動力のあるキーマンがいる。中にはずっと昔からその集落を引っ張ってきた長のような人もいる。

集落毎に復興の方法も違って、メンバーシップ、地域の運営の仕方や産業も違う。
色んな単位での集団や共同体がいることをまず知る
必要がある。

そしてたまにその集落のキーマンが集まって、広域なエリア同士での連帯も必要になる。

だから時間が必要

「復興はできればあと1年くらい待ってほしい」
この言葉の意味を、私は日々学びながら考えているところで、今後更新し続けるであろう考察とアクションの参考にしていきたいと思っている。

「学校統廃合にまつわる議論」

ガチトークでも最も白熱した議題だった。

今回ガチトーク参加者の吉田孝宏さんのnoteに詳しく書かれている。
後半要約以降の内容がガチトークでは主に議論されたと思います。

1.背景と現状:
・珠洲市は1954年に3町6村が合併してできた市で、現在も旧町村ごとに9つの小学校(うち2校は義務教育学校)が存在している。
・少子化が進行しており、年間の出生数が50人を下回っている。
・2024年1月の能登半島地震後、小中学生の数が約2〜3割減少した。
2.統廃合に関する主な意見:
・統廃合を支持する意見:
・少人数過ぎると学習活動や部活動に制限がある。
・友人関係の構築が難しい。
・教育の質や競争心の維持が困難。
・経済的効率性の向上。
・統廃合に慎重な意見:
・地域と学校は一体であり、学校がなくなると地域の活力が失われる。
・少人数でも質の高い教育は可能。
・学校は災害時の避難拠点やコミュニティの中心としての役割がある。
3.市長(泉谷満寿裕氏)の立場:
・基本的に学校の維持を望んでいるが、児童生徒数の減少を懸念している。
・地震直後の急激な統廃合は乱暴だと考えている。
・復旧状況を見守りながら、慎重に検討を進めたいとしている。
4.市の対応と取り組み:
・2023年度から「小規模特認校制度」を導入し、大谷小中学校を指定校とした。
・仮設グラウンドの整備や、学校施設の再建を進めている。
・復興計画策定委員会で、学校施設の集約や子育て環境の充実を検討項目としている。
5.専門家の見解:
・和光大学の山本由美教授は、能登地域でも東日本大震災後の東北地方同様、廃校が増える可能性を指摘。
・一方で、安全面や地域コミュニティの観点から拙速な統廃合に警鐘を鳴らしている。
・統廃合を検討する際は、子どもや保護者、住民への影響を考慮し、徹底した合意形成が必要だと強調。
6.今後の課題:
・児童生徒数の減少傾向への対応。
・地域コミュニティの維持と教育の質の確保のバランス。
・災害時の安全確保と学校の役割の再検討。
・住民、特に子育て世帯の意見を十分に聴取し、反映させること。
・長期的な視点での教育環境の整備と、地域の持続可能性の両立。

この問題は、教育の質、地域社会の維持、財政面、安全性など多くの要素が絡み合う複雑な課題であり、今後も慎重な議論と検討が必要とされています。

下記note記事の抜粋

そしてその場で即反応するように伝えてしまって、今でも発言して良かったのか全然わからないけど、結果的には公教育でどこまでやるか、ってことだとその場では思った。

完全に私ごとすぎる感想なのだが、東日本大震災で全町避難となった大熊町は会津若松に一次避難し、廃校を利用し福島県大熊町小学校中学校を運営していた。そこではどう乗り越えたのだろう。

小中一貫校を新設する前の避難先で一緒にワークショップをさせてもらうなど、独立前に勤めていた設計事務所の一担当者として新しい学校の設計に関わった。

3.11の後、約12年後に完成した学び舎ゆめの森が実現するまでの間どんな議論や格闘があったのだろうか、大熊町の教育委員会の先生方のスッキリした突き抜け感はいつから生まれたものなのか。

今更ながら一緒に学校を作ってきた大熊の先生たちに改めて聞きたい気持ち。


▼PM 0:00 会終了・華子は高屋のお姉さまにお米のお使いをやんわり頼まれる

二三味珈琲に立ち寄る!!

やっぱり書き終わらない。
高屋にお米を渡しに後編に続く・・・

【おまけ・筆者のご紹介】

ここまで読んでいただきありがとうございます!

筆者は普段建築の設計活動を中心に色々やっております。

ですが、個人的な興味関心として、その土地ならではの暮らしや生業の記録を行うことを学生の頃から取り組んできました。

(学生に戻ったような気分で)「能登に学びにきて!」と言ってもらったので、そんな感じで楽しく面白おかしく今の能登について発信してみます。
引き続き目まぐるしい珠洲滞在の日々を振り返りつつ、明日の自分の行動に活かしていきたい!と思っているので、読み手の皆様にもぜひ楽しんでいただけると嬉しいです*

instagram中心にストーリーで活動のお知らせをしておりますのでフォローミー!





この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?