OPAMと彫刻群を残した人 大分県立美術館【坂 茂】・遊歩公園 大分県大分市
九州はアジアの玄関口と呼ばれますが、キリスト教も同様。戦国時代以降、西日本を中心に広まりましたが、豊臣そして徳川政権に禁教されると、隠れキリシタンと呼ばれた棄教を拒んだ人々は九州に集まりました。鎌倉時代からの豊後の守護・大友氏は積極的に布教を許し、府内(大分市)はキリシタンの一大拠点になっていました。
ところが大友家は没落します。当主の器量なのか時代を読み違えたのか、はたまたキリスト教への傾倒が原因とも。
郡部には残るものの、今の大分市にはキリシタンの足跡はほぼ見られません。ただしその記憶はあちこちに残っています。
大分市の人口は、467,000人と県内最大の市。温泉県の県庁所在地ですが、市内には温泉の印象があまりありません。
かつては大分駅を中心にデパートが6店舗ほど立ち並ぶ激戦区でしたが、デパート戦国時代の生き残りは、絶対王者・地元のトキハのみ(泣) パルコにいたっては更地にされ再開発もコケて、一等地が広場に(2024年現在)。
そして市街地の再開発もあってか、大分川の東側にあった県立芸術館が、中心部の西側で名前も変えて生まれ変わっています。
OPAM:大分県立美術館
大分県大分市寿町2-1
大分県立美術館(OPAM)は、前身の県立芸術会館(1977年の開館)の老朽化をうけ2015年に新たに開館。大分県最大のビル(101m)オアシスタワーのそばにあり、繁華街からわずかに西に外れた立地。
設計は坂茂(1957- )で、2011年の東日本大震災後にダンボール(紙)を材料とした家具類(ベッドや間仕切り)を提案し、災害避難所や仮設住宅の住環境を改善をした人。
阪神淡路大震災からそういった活動に携われていて、2024年1月の能登地震の避難所でも使用されています。
設置スピード重視で取り扱いが簡単(軽い)、かつ劇的に住環境が改善されるという、その着眼点や発想が天才的な建築家(ホメ過ぎか)。
当時ニュースで見ていて、日本にこんなスゴイ建築家がいるんだなと感動。
坂さんはプリツカー賞も受賞されていますが、手掛けた建築については全く知りませんでした。大分に新しい美術館ができたので、調べてみると坂さんの設計。磯崎新さんのアトリエにも在籍されていたようで。
最近の作品には、富士山世界遺産センター(静岡県富士宮市)やスイデンテラス(ホテル:山形県鶴岡市)など、そのデザイン文脈は見れば納得。
展示室は1Fと3Fに。2Fにはカフェ等。
展示室内は撮影不可。大分出身の彫刻家朝倉文夫(1883-1964)や画家福田平八郎(1892-1974)の作品展示は当たり前。大御所の田能村竹田(1777-1835)は全国区の文人画家。
大分には子供向け美術コンペに朝倉文夫賞と福田平八郎賞があります(子供のころは違いを知らず、どちらも絵のうまいヤツが取る賞だと)。
展示には文夫さんの娘朝倉響子(1925-2016)の彫刻も(東京の人)。
1Fには展示室以外にも無料展示スペースがあります。
タマゴと思っていたのはバルーンでした。作家はオランダ人マルセル・ワンダース(1963- )、デザインの貴公子らしい。
現代アートによくある意味不明な解説(笑)
サイトスペシフィックなインスタレーションって。 またオランダ船は到着というより、臼杵に息も絶え絶え漂着しています。
まあ豊後といえばオランダより圧倒的にポルトガルでしょう。なかでもザビエルの存在感は突き抜けています(銘菓にも)。
ちなみにオランダ船に乗っていたヤンヨーステン(オランダ人)やウィリアム・アダムス(イギリス人:三浦按針)は徳川幕府の外交顧問になっていますが、カトリック勢とはバチバチの競合関係。
そしてなぜかのプール、作家はミヤケ マイ。
金沢の美術館のなんというか・・・
「水をテーマにしたインタラクティブな体験型のプール」らしい。
ミヤケさんの作品は複数展示されています。興味のある方はコチラを。
目指しているのは、やはり観光名所的なミュージアムでしょうか。
一方、すごーく地味な昭和の先人たちが紡いだアートの文脈を。
遊歩公園
遊歩公園は大分県庁の西側にある文字通りの遊歩道。
美術館でよく見かける作家たちによるキリシタン題材の作品が並びます。
中でも北村西望は長崎出身の彫刻家で、長崎・平和公園にある平和祈念像が知られています。
そして大分ではザビエルと肩を並べる有名ポルトガル人の像が。
アルメイダという人
ルイス・デ・アルメイダ(1525-1583)はポルトガル人の医師。日本へと渡り貿易で財を成し、イエズス会に入会。
豊後(現大分)では私財で孤児院や病院を建設した人。医師の養成や布教活動にも大活躍。
当時の天草領主・志岐氏に招かれ天草(熊本県天草市)に滞在。そしてその地で生涯を閉じています。
診察中のアルメイダさん。1562年には入院患者が100人を超えていたと!
貧しさから嬰児を殺す風習を知ったアルメイダさんは、育児院を建て牛を飼い、子供たちを牛乳で育てたそうです。
豊後の守護大友宗麟(1530-1587)は武器をはじめとする貿易のためにキリスト教(カトリック)布教を認めたとされていますが、アルメイダさんは福祉事業で庶民の入信者を増やしています。
アルメイダさんの全国的知名度がどの程度か分かりませんが、大分にはアルメイダ病院という大分市医師会の病院があり、地元ではその名前はよく知られています。歴史に興味がある人ならザビエルの関係者?と結びつけられるかもしれません。
ちなみにアルメイダ病院はアルメイダが建てた病院とは別物です。継承したのはスピリッツ。
少し横道に逸れて肥後の国へ
富岡城と高浜焼:天草編ではキリシタン側には触れませんでした。ただ天草でアルメイダの碑を見つけた時の衝撃を、大分編でリンクさせます。
天草キリシタン館(天草市本渡)のそばにあるキリシタン墓地。
写真左側には江戸時代に天草で処刑された殉教者アダム荒川の碑(富岡城跡のそばに殉教公園あり)。ばってん荒川とは無関係(たぶん)。
ちなみにアダム荒川は2007年にローマ法王から福者に承認された人。
右側に見えるのがアルメイダのレリーフ。
天草はアルメイダの終焉の地、大分が始まりの地です。
大分の遊歩公園に話を戻します。彫刻といえばやはりこの方。
瀧廉太郎(1879-1903)は大分県竹田市の出身で荒城の月を作曲した人。遊歩公園付近にあった自宅で病没しています。
そして朝倉文夫は東洋のロダンと呼ばれた人。実は二人は竹田の小学校ではピンポイントの同窓生でした(「君」という呼び方にそれとなく)。
よくこんなに並べたなと遊歩公園を企てた人を調べてみると、
上田保という人
上田保(1894-1980)は公選で初めて大分市長になった人かつキリシタン。マリーンパレス(うみたまご)や高崎山自然動物公園を立ち上げています。
異名はアイディア市長。また遊歩公園で見ていた限り、これらの彫刻群は市長を退任した上田さんによる寄贈(マリーンパレス社長名義)。
瀧廉太郎像は、上田さんが朝倉文夫さんと親しくしていた縁でのオーダーだそうです。ちなみに津久見にある大友宗麟のお墓再建も、上田さんが大分出身の建築家・磯崎新に依頼し寄贈されたもの。
大分市は彫刻群を観光ツールとして地味に展開しています。
県と市の違いがありますが、OPAMの現代アート群にも上田さんのような文脈があればなーと。
現代アートとはいえ地域の歴史・文化色が希薄なものが並ぶのは、県立美術館という立ち位置を考えると少しモヤモヤします。 なしかえー。
(大きなストーリーを組み立てているのであれば、ゴメンナサイ)。
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