2025年(巳年)お正月は見所充実の東京国立博物館 【トーハク7】東京都台東区
2024年に最も足を運んだのはやはりトーハク。入場料は特別展こそグングン上昇中ですが、常設展や特集で姿を見せる所蔵品群は年間2500円と破格で楽しめます(京都、奈良、九州の国立博物館も常設展は無料という太っ腹)。
かつての友の会はその年の干支がデザインされた会員証でしたが、現在は国立博物館4館がデザインされたモノを毎年キャリーオーバー(さびしい)。
その代わりという訳ではありませんが、展示方法やキャプションは無機質なモノから学芸員さんのセンスが光るモノへと進化中。
2025年も何かが期待できるトーハクへ。
正月飾りとともに目に入ってくるのはハローキティ。特別展ではなくイベントという貸会場のような位置付けらしい(2月24日まで)。見方によっては単なるグッズ販売会場のようにも(アートと非日常感を漂わせるキャラクターグッズ販売も1つのビジネスモデル?)。
定着した初もうでという企み
東京都台東区上野公園13-9
エントランス階段途中の正月飾りは選手交代。
長谷川等伯 VS 狩野派
お正月不動のレギュラーとなった松林図屏風(国宝)。
作者は長谷川等伯(1539-1610)、能登七尾の人。水墨画の極限作品。
お気づきでしょうか? (わかる方はかなりのヘンタイか?)
タイトル画像は2024年お正月での展示写真。そして上(台座の色が違う)のガラスなし展示は、実は2019年に制作されたCanonによる高精細複製品。
その下の右隻、左隻は本物(2025年)。まあ違いは分かりません。
複製品は超接近して見学できるのがメリットだそうです。
等伯のライバル狩野派も展示室はバラけていくつか。
作者の狩野秀頼(生没年不詳)は狩野元信の二男、弟は松栄。よく知りませんでしたが永徳さんの伯父さん。名前が徳川時代にはビミョー。
モチーフが縁起の良い野菜というコトでのチョイス。
作者の狩野晴川院(養信:1796-1846)は、木挽町狩野9代目。
公用日記には江戸城西の丸再建(1838年)での障壁画制作で、絵の具、紙装飾、絵師の手当が莫大になるので自力では賄うのは難しいとの記録(むしろその後が気になる)。
実は狩野元信の屏風も展示されていましたが撮影不可(個人蔵ゆえか)。
続いてめでたい系の品々を。
旦入(1795-1854)は、現代に続く楽家の10代。
正月用の濃茶茶碗で、本歌は7代長入らしい。
楽家の黒楽茶碗がいくつか並んでいましたが、この赤楽の存在感がキラリと。実は正月に子供の頃飲まされたお屠蘇用かと勘違い。
細川幽斎(藤孝:1534-1610)は歌人でもあり肥後細川家の祖。織田信長に信頼され、包丁さばきもフツーではなかった人。
関ヶ原の戦いでは本戦に子の忠興を参陣(東軍)させて、本人は領国丹後に籠城。大軍(西軍)に包囲されますが、絶体絶命のピンチを後陽成天皇の勅命により助けられます(幽斎の古今伝授が失われるのを回避するため)。
肖像画からの哲学者
気になった肖像画をいくつか。
岩倉具視(1825-1883)は公家から明治の元勲になった1人。
昔の500円札の人。
大久保利通(1830-1878)は、薩摩の下級藩士から元勲になった1人。
岩倉&大久保像を描いたのは、安藤仲太郎(1861-1912)。
近代日本洋画のパイオニア高橋由一の甥で、由一に師事。
織田信長(1534-1582:模本:原本は京都・報恩寺蔵)は、天下統一に近づいた第六天魔王。信長の七回忌に制作された肖像画で、近衛前久(龍山、近衛家17代:1536-1612)による追善の和歌が添えられたモノ。
信長像と並んで展示された書状の主は、曲直瀬道三(1507-1594)。
戦国から安土桃山期にかけての名医。正親町天皇や大名の診察もした人。信長は診察のお礼に蘭奢待を下賜した間柄。
書状の内容は室町幕府の奉公衆大和晴完へ「行けなくてごめんなさい」。
別の場所には近衛前久の息子の書が。
近衛信尹(1565-1614)は、前久の子で近衛家18代。元服時の加冠は信長が務め、信の字は信長の偏諱(信基)。いろいろあって薩摩に配流された経験を持ち、寛永の三筆のメンバー。この字が美しいのか分かりません。
ちなみに信尹の跡(19代)を継いだのは、後陽成天皇の皇子信尋(応山)。
実は第6室(武家の装い)では二度見した人物が1人。
第6室にはカッチリした格好の外国人が目立ちました(エアコンのせいか、外国人は冬でもTシャツ姿を見かける)。彼らが徐々に散らばっていく中で、話が止まらない御一行が。
よーく見ると、議論する人をあまり見かけないトーハク内で、興味深い方がほぼ独演会状態(入口付近でやや邪魔な御一行でしたが、他の見学者が来ると他の3人はビミョーによける)。
その中心はマルクス・ガブリエル(1980- )ドイツの哲学者。
2024年から京都哲学研究所のシニア・グローバル・アドバイザーに。
過度に利益を追求しすぎる資本主義の改善策として、倫理資本主義を提唱。
テクノロジーの進化と経済成長に加え、倫理や道徳を同じテーブルに乗せましょうと。他者への視点とバランス感覚は大切。
ドイツの知性が何に関心を示すのか興味ありでしたが、彼らは鎧の前からなかなか動かざること山の如し。ロックスターの観察はすぐに終了。
我が道を行くというカンジで、あれが哲学者というものでしょうか。
展示品に話を戻して、めでたい系の続きを。
一休宗純(1394-1481)は、臨済宗の偉いお坊さん、後小松天皇の御落胤(一休さんのお墓は宮内庁の管轄)。マンガではとんちの人。
峯松のキャプションには「変化に富んだ躍動する筆線に対して、その淡く澄んだ墨色が静謐な趣を醸しています」と。そういうコトらしいです。
仙厓義梵(1750-1837)も臨済宗の偉いお坊さん。絵を描けば、ゆるーいタッチが持ち味の人。日本橋から見える富士山?
黒電話
ちょっと気になる一品を。裏庭側の休憩スペース(ラウンジ)の片隅にひっそりと置かれた黒電話。
2023年時には即席の解説があったので、一応は展示品扱いでしょうか。
「黒電話は送話器一体の受話器を特徴とした黒い電話機の総称。1952年以降に日本電信電話公社により制式化」とジョークのような解説が。
展示室内の所々に置かれていて、振られた番号が異なっているのは内線として現役の証拠(たぶん)。
触らないで!と注意書きされたスマホネイティブには未知の物体。
博物図譜からの巳年アイテムへ
博物図譜系にも興味深い品々が。
土井利位(1789-1848)は下総古河藩主で、大塩平八郎の乱(1837年)を鎮圧した人(キャプションの没年は誤植かと)。
日本で最初に雪の結晶を顕微鏡で観察してスケッチ、そして出版した人。
星の王子さまならぬ雪の殿様。雪の結晶模様は着物や工芸品のデザイン柄としても流行したので、ある意味トレンドセッターとも。
ちなみに家老の鷹見泉石の肖像画(渡辺崋山筆:トーハク蔵)は国宝。
アオダイショウの二面図。編集はトーハクの前身博物局で、画は栗本丹洲他による図譜。図譜系はチョコチョコ展示されていますが、全体像がまったくつかめない所蔵品群(たぶん膨大)。
摺箔は金箔を押した能装束。また鬘帯も金箔押。
特徴的な三角形のループは龍の鱗がモチーフ。北条氏の家紋三つ鱗かと。
そして今年の主役、宗義作の超リアルな自在蛇置物とそのコピー。
222個の小さな筒状のパーツから形成されています。
同時に展示されていたコピーは3Dプリントで製作され、時々自動でニョロニョロ動きます。企画力の勝利。
さらに学芸員の仕業と思われるこのコピー。
こいつ・・・動くぞ! はニュータイプのモビルスーツ乗りの名言(?)。
最近はこういうくだけた解説やコピーが散見されるようになりましたが、もしこれが外国人にも通じるのであれば、まさにオタク系異文化コミュニケーション。
どういう仕組みか分かりませんが動きます。テクノロジーとアートの融合。
サラッと見て回るつもりが、お正月からけっこう足止めを喰らいつつ楽しめましたトーハク2025。