ポケットに岡倉天心 茨城県天心記念五浦美術館【内藤廣1】茨城県北茨城市
明確な理由があって訪れたわけではなかったけれども、振り返ってみると「そういえばあそこで・・・」と新しい展開のきっかけとなったミュージアムがあります。ボディーブローのように後からジワジワ効いてくるヤツです。しかもそういうミュージアムはどういうわけか不便な場所にあったりします。自分にとっての茨城県立天心記念五浦美術館(以下、五浦美術館)はまさにそんなトコロです。
茨城県天心記念五浦美術館
五浦美術館は北茨城市という東北と関東の境の地、茨城県の北東端にあります。人口39,700人と小さな町。東京都心からは約160km。常磐道を使えば約2時間とノンストップでも可能な距離ですが、日立までは直線が続き単調な道なのでバイクで走ってもあまり面白みはありません。泊まりで行くには近すぎるけど、他にいくつか見て回るには1日では時間が足りなくなる微妙な距離感のエリアです。
初めての五浦は10年ほど前の事。美術館に行った理由が何だったのかもよく覚えていません。五浦で横山大観(1868-1958)、下村観山(1873-1930)、菱田春草(1874-1911)、木村武山(1876-1942)の4人が並んで作画している写真を見たせいではないかと(おそらく永青文庫で)。永青文庫を設立した細川護立(1883-1970)は、20代の頃に水戸での展覧会で当時ほぼ無名だった大観、観山、春草らの絵を購入し周囲を驚かせ、その後も彼らを支援し親交を深めたそうです(春草の黒き猫は現在永青文庫所蔵で重要文化財)。ただし彼らの師匠で美術館名にもなっている岡倉天心(1863-1913)がどんな人なのかほぼ知識のない状態でした。まあ情報は少ない方が行動力が上がります(見た方が早い的な)。
茨城県北茨城市大津町椿2083
開館は1997年、建物は内藤廣(1950- )による設計。内藤さんについても当時は知識なし。個性的な作品を残している方です。カッコいいミュージアムだけど、こんな所に誰が?と調べてみれば内藤さんというパターンで気付くのが数年後。現在進行中の渋谷駅を中心とする再開発計画も手掛けられています(随分長い事やってる気がする)。
当時の五浦美術館はきれいなフローリングと崖っぷちに立つミュージアムという印象のみ。そんなこんな思い出しながら再び常磐道をヴァーンとエフハチで北上します。
内藤建築 3種
2度目の五浦では、2011年の東日本大震災での大津波で流された六角堂が復活していました。では五浦美術館に。
建物の躯体は全てプレキャストコンクリートだそうです。部材を3ヵ所の工場で作り、船で運んで現場での組み立て。その総数は1,200ピース。タイトな工期スケジュールをクリアするのに貢献。同構造は海の博物館(三重県鳥羽市)の収蔵庫で実践済みらしい。現場施工より工作精度や品質が安定する気がします。
岡倉天心という人
岡倉天心は近代美術の育成と同時に伝統美術の調査、保存と日本美術の発展に貢献した人。東京美術学校(東京藝術大学の前身)の校長を務めますが、辞職した後に1898年日本美術院を設立します。1906年に絵画部門を大観らと共に五浦に移しました。また日本や東洋の文化思想を英文書籍として発行し、欧米に対して発信もしています。
五浦美術館では英語に堪能だった天心が、アメリカで人種差別的な発言を受け、洒落の利いた反論をしたエピソードが紹介されています。
齋藤隆三(1875-1961)は歴史学者。日本美術院の再興を支えた人。美術館なので画家というワケではなく、彼らをサポートした人を主役に持ってくるこういうチョイスは楽しい。そもそも「この人ダレ?」から始まるので、個人的には集中力が増します。
展示室内は基本撮影禁止です。
大観、観山、春草、武山ら4人の作品は各地で目にする機会が多く、天心をハブとする関係性に留意しておくと覚えやすい気がします。
天心邸と六角堂
岡倉天心に関連した施設が美術館のすぐ近くにあります。
天心邸は五浦美術館から南へ車で3分ほどの距離。
駐車場にバイクを止めて天心邸へ歩き出すと、お墓に気付きます。天心さんのお墓は東京都内にあるようですが、本人の希望でこちらにも分骨されたお墓が。きれいに管理されています。そして塚の右側には「平櫛田中先生 御手植えの椿」と。どなたでしょうか?
平櫛田中(1872-1979)は岡倉天心に師事した彫刻家。この時はフーンそうなんだというカンジでしたが、後にその才能だけでなく彼のバイタリティに驚かされることになります。そもそも100才超えてるし。名前が何故でんちゅうなのかという謎も。
そして内藤廣
内藤廣さんは指名コンペに勝って五浦美術館を設計する事になるのですが、若い頃には岡倉天心に傾倒していて、「茶の本」の文庫本をポケットに入れていたほどだったそうです。コンペでも設計作業でも溢れる情熱が隠せなかったのでは(ここは俺しかおらんやろー的な 知らんけど)。
おそろしくカッコ良過ぎるエピソードです。
内藤建築はデザインの独創性や地域の文脈の織り込み方に面白さがあります。そして建物は日本各地(なぜか行きにくいトコロ)に散らばっています。地図で確認すると少し考え込みますが、むしろ行かねばという気持ちになりますけどね。
つづく
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