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【代表のつぶやき】「少しだけ話を聞いちゃくれないか?」

 自分が殺されるかもしれない世界で何を読むか。何を書くか。何を伝えるかーー。
 俺はずっとそのことを考えながら生きてきた。

 あなたみたいに思いつめて生きている人なんかいないですよ、と言われたこともある。俺も正直そう思う。多分、そんなことを考えながら生きている人は少ないんだろう。それでも、俺は考えずにはいられない。ぶっちゃけ、苦しい。海外のテロや射殺事件、そして日本で放たれた凶弾や閃いたナイフを見聞きする度に、自分自身をその世界に放り込む。もしも自分がその現場に居合わせたら、迷わずに飛び出せるか。それとも何も出来ずに立ち竦むか。この身体を銃弾が通り抜けたら、包丁が刺さったら。そんなことを考えながら生きている。そしてそんな事も忘れ、楽しく大学に通う。また思い出す。

 自分が殺されるかもしれない世界で何を読むか。書くか。伝えるか。

 何故こんなことを考えるようになったのか、明確なきっかけは思い出せない。けれど、俺の根幹にあるものは殉死・殉教と異端審問とヒップホップ。小説じゃないのか、と驚く人も多いだろう。もちろん、小説も根幹に関わって来る。しかし、根幹にあるのは「小説」というジャンルではなかった。

 何故こんなことを考えるようになったのか、俺自身も分からない。けれど、東日本大震災の時点で、あの津波の先に自分がいたらと考えていたことは覚えている。もっと前になると、アニメの世界か。ペインと対面したら。誰かを守るために自分の命を犠牲にして嘘がつけるか。少なくとも、小学3年生の時点で、その片鱗は持っていた。

 何故、と言われると困ってしまうのだが、気付いた時から世界は生きづらかった。

 最初は、死ぬ事を恐れた。もっと言えば、死んで焼かれることを恐れた。人の体を焼き尽くす火が怖かった。戦争が怖かった。今、焼夷弾が落ちてきたらどうしようと思いながら蒲団の中で震えていたことを思い出した。そんなこともあった。国語教育において戦争教材は確かに重要だと思う。それは分かっている。分かっているが、俺は戦争がたまらなく怖かった。生きたまま人が焼かれるのが怖かった。もしももしももしももしも、と悪い想像が止まらなくなった。今でも戦争の映像は肌がピリピリ痛む。目を逸らさないようにと思って直視するが、それでも時たま目を伏せてしまう。

 恐れていた死が、望むべき死に変わったのはいつだろう。小学5年生、6年生の時は確実に。しかし、3年でも死にたいと思っていた気はする。死を恐れながら、死にたいと思っていた。何故って、そんなのは色々あるだろ。
 中1の始めは、まあ、特に何も。中1中盤から中2で、本当に死にたかった。何度車の前に飛び出してしまおうと思ったか。簡単に死にたかった。あの頃の事は、正直よく覚えていない。「趣味:勉強」みたいな奴だったから、そりゃクラスで浮くわな。本当に勉強ばかりしてた。というか、友達がいなさ過ぎて勉強するしかなかったというのはあるけど、もともと勉強自体は好きだったし、苦痛ではなかった。むしろ勉強を邪魔されることの方が苦痛だった。まじで、ひとの、たのしみを、じゃまするな。

 どうして死ななかったのかと言うと、国木田独歩に出会ってしまったからだ。初めての出会いは中1の国語の授業。「山林に自由存す」。その時は、素敵な詩だな、この言葉好きだな、くらいにしか思っていなかった。

国木田独歩、「窮死」。

 初めて読んだ時の衝撃を覚えている。俺は、この小説に出会えたから、死なずに済んだ。生きようと強く思ったのではない、分かってくれる人がいるんだ、と思った。途端に安心した。別に強く生きようとか思わなくても、いいんだ。もしも、本当にどうしようもなくなったら、どうにもやりきれなくなったら、倒れればいい。それを、分かってくれる人はいる。(もちろん国木田は鬼籍に入っているが、その時はそんなことも考える余裕がないほど切迫していたのではないかと思う)

 「窮死」があったから生きて来れた。しかし、中2という年齢は考えものだった。出会うべき小説に早く出会ってしまうと何が起きるか。

 小説で、感動しない。

 泣いたり、笑ったり、この小説凄いな、この文章美しいな、色々思うことは言わずもがな、たくさんあったが、「窮死」の衝撃を超えられるものには出会えなかった。若しかしたら出会っていたのかもしれないが、覚えていない。

 本を読むのは、最早惰性だった。よく読書が好きなんだと思われていたが、その人が思う程読書が好きな訳ではなかったと思う。本という物質自体はとても好きだが、読書はまあまあ。ここで告白してしまうけど、字を追いかけるのもつらい時が多々あった。読んでいるふりをしている時さえあった。純粋に読書を楽しむことができなかった。それでも、それなりに本は読んできた。「窮死」ほどの心の動きはないにせよ、好きな小説にも出会えた。だが、それでも世界は生きづらかった。何度出家しようと考えた事か。切実に出家してしまいたかった。そして出家できない自分に苦しんだ。結局、死にたくても死ねない。出家したくてもできない。実行できない自分が、本当に嫌だった。

 それが大学1年生まで続く。詳しくは以前書いた【代表のつぶやき】で確認できると思う。若しかしたら、以前のつぶやきと今回のつぶやきで齟齬が生じているかもしれない。けれど、それはどちらも嘘ではなく、どちらもその時の自分にとっての真実なのだ。俺は、記憶を体の奥底にしまっている。それが時々ふとしたきっかけで顔を覗かせる。大抵は誰かの言葉だったり、トラウマに連鎖してやってくる。今日は例の事件もあってか、ずるずると記憶が芋蔓式に表面化してくる。しかも厄介なことに、その内容はその時々で異なるのだ。今回は前回の時よりも奥底にあった記憶が出て来た。ただ、それだけのことだ。

 あの頃は、小説と自分の身体の間に一枚の壁が挟まっていた。上手く言葉を吸収することができない。言葉が入って来ない。しかし、そんなもんなんだと諦めていた。大抵の言葉は刺さって来ない。心に突き刺さって救ってくれるのは、ほんの一握りの言葉だけだ。独歩と、あの言葉と、その言葉。俺が死ななかったのは、そのたった3つの言葉のおかげだった。そう考えると、力のある言葉と言うのは凄まじいな。恐ろしいくらいだ。

 そんな読書体験をしていたから、俺の根幹に「小説」は入らなかった。在るのは、国木田独歩の「窮死」。あと室生犀星。あと『平家物語』の冒頭。そして、異端審問。殉死と殉教。そんなところだ。

 今は、読書に対する思いが変わっている。驚くほどに、言葉の吸収率が良いのだ。砂漠に注がれた水のように、言葉が体の奥底に染み込んでくる。最近、読書とはこんなに素晴らしいことだったのかと驚いた。何がきっかけなのか、これもまた分からないが、大学3年生になって読書の歓びを思い出した。今は本が読みたくて読みたくてしょうがない。喉が、とても、渇いている。だから、水を、飲む。読書は、タイミングも大切なのかもしれない。水と同じように、体が文字を求める瞬間。その瞬間に本を読む。すると、一気に食欲に火が付く。本を貪り食い始める。そうなってしまえば、あとはひたすら食べるだけだ。

 俺にとって小説とは、生きる事と直結したものだった。何故人は生きて、死んでいくかを問うものだった。小説は、楽しいものでは決してなかった。小説は、苦しいものだった。そしてその苦しみを求めた。そして、何のために死ぬのかという疑問が湧き上がる。小学生の時、新撰組に惹かれたのは、彼らが如何にその命を使うかを考えていたからだと思う。歴史の世界から、文学の世界へ。そうなると、異端審問がやってくる。きっかけは多分ラングドン教授シリーズ。そして、中3で出会った『薔薇の名前』と『ダンテの遺言』。ーー自分が殺されるかもしれない世界で何を読むか。命をかけて何を読み、何を書くか。そして高校に上がって遠藤周作。例えば『沈黙』。ーー命をかけて、何を伝えるか。自分の命よりも大切な真理とは何だろうか。

 自分の信じるものを問われた時、俺はそれのために死ねるか。
 自分が殺されるかもしれない世界で、何を読み、書き、そして伝えるかーー。
 ぼんやりとしていた思考が、形を成した瞬間だった。それまで抱いていた得体の知れない何かが、初めて姿を現した。俺は、自分が殺されるかもしれない世界で生きている。そうやって見ている世界を、今さら変えることはできない。

「死にたがりの俺が、死のうとする物語。それが人生だよ。」と、かつての俺。
「死にたがりだけど、本当は生きていたいんだ。それが人生さ。」と、今の俺。

 燃えカスひとつ残さないで如何に死にきるか、俺はそれを生きるために考えながら息をしている。
 自分の蟀谷に銃口を突きつける。息を吸う。俺は、最期に何を言う? そればかりを、考えている。


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