【夢日記】<下②>鳴かず飛ばず
※これまでの内容
【前回の終わり部分を引用】
僕は、本能的に、”やりたくない”、という感情が芽生えた。
でも、それだと、今までと何も変わらない。過去の自分にならって、現在と未来の自分が行動を選択していたら、ブレイクスルーなんて夢のまた夢だ、だったら、過去の自分だったら絶対やらなかったようなことを、敢えてやってみることで、道が切り開けるかもしれない、そう思い直し、
「・・・やります。自分を、変えて見せます。」
と、声量自体は小さいながらも、礼二さんの目を見て、ハッキリと、言った。人の目を見て話すことが苦手な僕にとっては、そこだけを切り取っても、”変化の兆し”、みたいなものを感じさせる、そんな決意表明だった。
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「アポ無しGO!」は、僕が本能的に、”やりたくない”、と感じた、その直感は正しかったのだと裏付けるぐらいには、大変なものだった。
礼二さんに提案された当初から、”それってつまり、物理的空間においては自分の時間を過ごしていながらも、精神的空間においては、万事に備えておかなければならない、ってことだよなぁ・・・”、というのは、ボンヤリながら想像することは出来ていた。
しかし、石橋を叩いて渡るタイプの僕だからこそ、いや、もっと言えば、石橋を叩いて結局渡らなくて、挙げ句の果てに、”後悔先に立たず”、状態に陥ることも多い僕だからこそ、星野仙一の教えである、”迷ったら前へ”、という言葉を胸に、「やります。自分を、変えて見せます」と言ったわけだ。
とは言っても、これまで「ひとり時間」を確保することを、誰よりも重視してきたと自負出来る僕だからこそ、「いつ・どこで・誰が・何を・どのように」、どんなことが起きたとしても、全てを投げ打つ覚悟で、コトに当たるというのは、想像するよりも遥かに、苦難を極めるものだったのだ。
突然、見知らぬ場所で、見知らぬ誰かと、共同作業を行なわなければならない、それを、”イエスorノー”、の意思決定をする間も無く、”自動的に即イエス”、の状態で、まさに、放り込まれるといったように、その場へ身を投じなければならない。こんなことが、日常茶飯事レベルで起きるわけだ。当然、気を休める暇なんて、どこにもない。
この生活が始まった当初は、ノイローゼ状態のようになってしまい、「自分を変えたい!」とか「何らかの分野で成功したい!」などと、夢実現なんて、もうどうでもよくなってきて、「こんな生活続けてたらいつかは死んでしまうかもしれない・・・」と、身の危険におびえるようになっていた。とてもじゃないが、夢を思い描く余裕なんて、無かった。
マズローの欲求五段階説をイメージしてもらえれば分かりやすいであろうか。「夢を叶えたい!」といった欲求は、5段階目の最上位に位置する「自己実現欲求」に当たると思われる。ということは、1段階目の「生理的欲求」、2段階目の「安全欲求」、3段階目の「社会的欲求」、4段階目の「承認欲求」を満たしてはじめて、最も高次な欲求として「自己実現欲求」が欲するようになるわけだ。
それで言えば、僕の生活は、1段階目の「生理的欲求」に関しては、人間の三大欲求である「性欲・食欲・睡眠欲」は、全て、満たそうと思えば満たせられる環境下ではあったから、クリア出来ていると言えるが、”1日24時間、アポ無しで駆り出される恐れがある”、という点から、2段階目の「安全欲求」は、クリア出来ているとは言えなさそうではあった。
安全欲求をクリア出来ていない、とは言っても、直接的に、身の危険に晒されるような環境(この場における「身の危険に晒される」というのは、例えば、戦争に駆り出されるような状況をイメージしてもらえれば良い)に身を置くことは、無かった。
だが、僕としては、直接的ではなく間接的に、つまり、前述したノイローゼ状態を悪化させた結果、死に繋がってもおかしくないと感じるようになっていったり、あるいは、死に相当するような、重篤な状態になってもおかしくない、と感じるようになっていったわけだ。
そんな生活を、四苦八苦しながら、這う這うの体で、一日一日を、懸命に生き抜いていった。まさに、”その日暮らし”、というべき生き方だった。夢も理想も無い、いや、厳密に言えば、”無い”、のではない。”そんなこと言ってらんねえ”、といった方が、正しい。今を生きることで、精一杯だったのだ。理想の未来を思い描く余裕も無ければ、理想の未来を思い描いていた当時の自分を懐かしむ余裕すら無かったのだから。
だが、それこそが、礼二さんの狙いだったのだ。
肩の力が入り過ぎてしまう悪癖を取り除くためには、肩の力が自然と入るような状況に身を置かせて、”これが普通なのだ”、”僕にとって「非日常」と考えていたものが「日常」になったのだ”、と、体と心に覚え込ませることで、”肩の力を抜こう”、と意識することなく、”これが当たり前なのだから肩の力を入れて気張ることなんてない”、と思えるようになれば、自然と、肩の力が抜けて、本来のパフォーマンスを出しやすくなるであろうと、仮説を立てたわけなのだ。
正直、荒療治と言われても仕方がないやり方にも思えるのだが、逆に言えば、これぐらい思い切ったことをやらなければ、僕の不器用さを矯正することなんて、夢のまた夢でしかないと判断し、断行したとも受け取れよう。
実際、曲がりなりにも、場数をこなしていったことによって、”慣れ”、というよりも、”心身の限界”、によるものも大きいと推測されるものの、結果として、肩の力が抜けた(≒肩の力が入らなかった)状態へ、徐々に近づくことが出来ていったのだ。
かくして、肩の力対策として行われた「アポ無しGO!」は、”成功”、と言っても良いぐらいの成果をもたらしたのである。
~「下③」へ続く~
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