
人間の器の大きさの話
いつもお世話になります。
今回は人間の度量とか寛容さとかを指す慣用句である「器の大きさ」という言葉についてのお話です。
私自身が器の大きさを語れるほど器が大きい人間ではないのですが、そもそも器の大きさという表現が適切なのか?と思ったので書きました。
まず結論から言うと人間の器の大きさと言うのは誰でも大体同じ大きさであって、重要になってくるのはそれ以外の器に入れすぎない・溢れる前に排出するという部分なんじゃないかって思いました。
例えば会社でのストレスや私生活の上手くいかなさ、体調の悪さなどで自分の器がいっぱいいっぱいだったらたとえ器が大きかろうと他人を気にする余裕はなくなりますし、
仕事もうまくいっていて、家庭も友人関係も円満で、体調もすこぶる良ければ器が小さくても他の人を気遣う余裕は生まれると思います。
何が言いたいかって言うと器が大きく見える人はその人の心が強いとか性格が良いと言うよりはストレスとかメンタルの管理が上手いのではないかという仮説です。
今更ですが、私自身心理学の専門家でもなければ社会学を学んでいたわけではないので完全に主観というか私の感想ですよね。という話です。
わたし自身器の大きさは友人関係も広くないですし、想定外のことが起こるとワタワタしちゃうタイプなのであまり大きくないのだと思います。
ただあまり他人に期待しすぎないように心がけていて、自分が失敗してもその日のよるはちゃんと眠れるタイプなので器の中に不要な水をあまり入れすぎないしちゃんと出て行く設備が整っているような気がします。
あまり他人に弱みを見せるのが苦手なタイプなので排出機構はまだ万全ではないかもしれませんね。
おそらく人間という生き物は脳の大きさも人によって対して変わらないですし、そういう意味でも器の大きさは大して変わらないんだと思います。広げようとするのもなかなか難しい気がします。
慣用句になる前の「器」という存在も基本的に固くて簡単に大きくしたり小さくしたりできるもんでもありませんしね。
なので私を含め自分自身の器小さいなあって考えたり悩んだりする人は器の大きさではなく器の中に不要なものを入れない方法と不要なものを入れたら速やかに出す方法を模索する方向で考えるともしかしたら突破口が見えるかもしれませんね。
という訳で今回はここまで。
ここまで読んでいただきありがとうございました。