誰でも闇は抱えてる。前を向けなくても別にいいんだって思ってほしい。
普段メンタルのためになることを発信しようとしてるけど、実は一番メンタル病んでるかもしれないたつやです。
今回は、こういう活動をしつつも、希死念慮が常につきまとってる僕の内情の話をしようと思います。
まず、いつもTwitterでの発信や、noteでの毎日投稿でメンタル系のことを発信しているわけですけど、こんな僕も実は常に希死念慮と戦ってます。
「え、そんな人になに言われても説得力ないけど」
「他人よりもまず自分を治せ」
「病院行ってこい」
色々思われるかもしれません。
実際、色々言われたこともあります。
でも、違うんです。治らないんですよ。
常に自分の終わりを意識しちゃうんです。
楽しみが無いわけじゃない。
やりたいこともある。
それでも、唐突に「死」を選びたくなるんです。
自分の生きる意味なんて考えても無駄なのに、ずっとぐるぐる考える時間が生まれちゃうんです。
薬で一時的に抑えても、薬が切れたときにより一層強く感じてしまうんです。
だから、今は投薬はSTOPしてます。
ありのままの自分で、そのとき感じたことを感じるままに生きようと決めました。
それでもやっぱり、希死念慮は在り続ける。
もはや友達をこえてマブダチです(笑)
ずっと一緒。
こればかりは、どうしようもないんです。
母親のことがあるので生きているようなものなんです。
自分ひとりだと、とっくに。。。
頭では分かってるんですよ。
それくらい死を望むんだったら、死んだつもりでやりたいことを遠慮なくやればいい。
それで、楽しい思い出増やせばいいって。
でも、それはそれなんですよ。
分かりますかね?いや、たぶん分かってくれる人は多いはず・・・
色んな人の話を聞いてきましたが、僕には共感しかなかったから。
だから、きっと僕のこの感覚にも共感してくれる人はたくさんいる。
僕はそう確信して、今日あえてこの話をしてみました。
・・・別に、明日どうこうするわけじゃないですよ(笑)
ただ、僕だって完璧超人じゃなくて、むしろ病んでて、それでも前を向くために努力している人なんです。
こんな僕だからこそ、話を聞いてあげられる人がいる、それも分かっているので、僕は活動してるんです。
あくまで、自分のために。
自分が存在してもいいんだって思えるために。
その結果、同じように苦しむ人の助けになるなら、こんな良いことはないかなって思って。
今の僕の正直な気持ち。
たとえ99人に罵られても、1人が救われるのなら僕は泥を被れる。
結局社会なんて、そういうことの繰り返しだと思ってるので(謎の達観)
色んな思惑だったり、感情があって当たり前なんです。
それでも支え合うように生きるしかないんだと思うんですよ。
ということで、本日のまとめです。
僕も実は希死念慮持ちです。
ずっといます。でもいいんです。
それが当たり前で、その中でどうするかを考えるようにしてるから。
どうせいつ死ぬか分からないんだから、僕は死にたい気持ちを持ちながらもやれることをやる。
そうもがくことが、自分にとっての「生」なんだろうなって思ってるので。
同じように悩んでる人、誰に何を言われても心が救われないかもしれません。
だったら、どこに自分が生きている「活力」を感じられるのかを探ってみてください。
もし見つかったなら、きっと人生苦しみながらも楽しいことも堪能できるはずなので。
応援してます。
今回は、僕の”闇”ならぬ”病み”をお話させていただきました。
(これで仲良くさせてもらってた人が去るなら、それはそれで諦めるしかないと覚悟を決めて笑)
ご拝読いただき、ありがとうございました!
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