心の支えがほしい。きっと依存したい気持ちがあるんだと思う
依存心を認めることって結構難しいと感じているたつやです。
今回は、依存することについて、特に愛情依存についてお話させていただこうと思います。
『依存』、悪い意味で使われること多いですよね。
実際、依存心は自分の判断を狂わせてしまったり、場合によっては人生を狂わせてしまうこともあります。
よくあるのが、愛情依存。
常に愛に飢えていて、相手に無償の愛を求めてしまうやつです。
幼少期に正しく愛されていない人に多いみたいですね。
そして、僕もたぶん愛情依存です。。。
僕は母親を大切にしているし、自分が命を絶つ寸前の時に生きる目的になったのが母親への恩返しだったこともあって、依存度はかなり高いんですよね。
「大切にすることの何がいけないの?」と思ったあなた。
大切にすることは素晴らしいことです。
ただ、その「大切にしたい」という気持ちの裏側に「大切にされたい」という見返りを求める心があったのなら、それは依存だと思うんですよね。
愛情依存の人がケンカでよく言う言葉が、
「〇〇してあげたのに」
っていうのがありますが、これがまさに見返りを求めている心の表れなんです。
自分が何かをしてあげたから、相手にも求める。
自分がしてほしいことがあって、それをしてもらうために自分も何かをする。
こういうのって、愛情って言わないんですよね。
ただ相手に依存しているだけ。
僕が母親に対して献身的に尽くしているのに、実は兄の方が愛されていると悲しい気持ちになるのも、見返りを求めている心なんです。
つまり、依存しているだけ。。。
無償の愛って、無償、つまり見返りがないから無償なんです。
子供は親から無償の愛を受けて育ってきますが、その無償の愛が心が成長するほどもらえなかった人は、大人になっても愛に飢えることになるんですよね。
アダルトチルドレンって最近よく聞きますが、まさにこれです。
子供の頃の愛情飢餓感が、大人になってから拗れるんです。
(はい、僕のことですね、笑)
僕が母親を大切にしたいという気持ちは、愛情依存でもあるけれど、罪滅ぼしの気持ちもあるので少し毛色は違うかもしれませんけどね。
迷惑かけたと感じていることをずっと引きずっているのも、きっと心が依存するための口実を創り出しているだけな気もしているんです。
依存心について色々勉強している身なので、ずっと依存心に囚われているような状態ではないと思いたいですが、意識しないと根っこの部分の依存心がニョキっと出てきちゃうわけなんですよ(笑)
しっかり自分の心と向き合って、認めたくない部分もしっかり受け入れて、依存心を手放していきたいものですね。
認めるところがスタート地点、目を背けず受け入れる勇気が大事ってことです。
依存心に囚われている自覚がある人は、ぜひ一度意識してみてください。
ということで、本日のまとめです。
愛情に依存している人は、幼少期の愛情飢餓感が悪さをしている可能性が高いです。
他人に対して求めすぎてしまう心も、自分自身の心が育っていないからなんです。
自分が依存しているかもしれない、そういう弱い部分を認めるのはしんどいことですが、まずは自分をしっかり見つめることが大事です。
自分を知って、認めて、受け入れる。
少しずつ段階を踏んで進んでいくことで、自分の心も少しずつ育って依存心を手放しやすくなっていくんです。
大変だし一朝一夕でよくなることでもないですが、少しずつ自分が幸せを感じやすくなるように、依存心から卒業していきたいものですね。
そうやって初めて、自分の人生を生きていると言えると思うんです。
幸せは、自分の人生の上にあるものなので、幸せになるためにも自分と向き合っていきたいですね。
今回は、愛情依存についてアダルトチルドレンの特性も少し交えながらお話させていただきました。
ご拝読いただき、ありがとうございました。
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