「じいちゃんの名言」(笑いに変える遺伝)
皆さん、おはようございます。
ryukoです。
今日は阪神淡路大震災から
30年という日ですね。
私は当時高校生で岡山にいて
寮で震度5を経験しました。
寮生の中には家族などの被災で
大きな混乱が起きたことを覚えています。
改めて
追悼の意を表します。
m(__)m
震災とは関係がありませんが
私の父方の祖父は約20年前に
他界しました。
全身の痛みを訴え
病院受診するも原因が分からず
数か月自宅で、のた打ち回り
末期の「すい臓がん」だと
わかった時には余命1か月でした。
本人に余命は告げていませんでしたが
なんとなく死期を悟ったようで
心の焦りや恐怖もあったと思います。
今日はそんな祖父に思いを馳せてみます。
…じいちゃんの名言…
体を動かすのも触られるのも嫌。
大声で喚くじいちゃんに
出来ることは…
痛み止めの座薬を
挿入してあげることくらい。
なぜか、でんぐり返しの姿勢で
構えるじいちゃん…
…それ正解?
体、痛いのにそのときばかりは
なぜ…出来る?
病名が分かり即入院。
すぐに寝たきり状態になり
かろうじて会話が出来るレベル…。
家族は毎日のように見舞った。
私が行けなかったある日。
妹(下)が面会に・・・。
後日談でその様子を聞いた。
「姉ちゃん!じいちゃん…
私のことが分かったよ!」
あらあ、よかったじゃん(笑)
「どうやって私だってわかったと思う?」
( *´艸`)
え? 声とか? 目を開けたとか?
「チッチッチッ!
違うんだなあ…それが」
妹は興奮した様子で
笑いをこらえきれず漏らしながら
教えてくれた…。
ベッドサイドに立ち
「じいちゃん、私が分かる?」
そう声をかけたら…
目を閉じたまま手を伸ばし
妹の胸を手の甲でさすりながら…
「ここがあるから…
ryukoじゃない…」
・・・(-_-メ)
こら! じいちゃん!
妹と顔はそっくりだけど…
私は貧乳(ちっぱい)さ!
妹は巨乳(おっぱい)さ!
孫の選別を「胸サイズ」でするって
どーなんよ!
もっと他にあるじゃん!
ついでに孫の乳でも
触るんじゃねー!
生死を彷徨いつつも
笑いの提供するんかい!
(本人にそのつもりはない)
20年経つ今でも
「名言」として
家族の間で笑いの種になっている。
また、帝王(父)とは
生前喧嘩が多かった
じいちゃん。
帝王が最後に聞いた
じいちゃんの言葉は…
「帝王と親子になったのも…
因果なご縁よの…」
この言葉が刺さった帝王は
葬儀の挨拶で
言葉を詰まらせ、涙を人知れず流し
「縁」というものを
噛みしめて語った。
あれ以来…「縁」
バカにしなくなって敏感になった。
これも「名言」として
今でも語られているものだ。
じいちゃんは人当たりが良く
面倒見がいいから地域の人に
愛されていた。
ひょうきんで面白いところも満載。
でも家庭内では「水戸黄門」
(内弁慶ってやつ?)
常に偉そうだったし
ばあちゃんに優しくない(笑)
生のキャベツが好きで
「カンラン」と呼び
山盛り生キャベツをムシャムシャと
食べていた。
(ときには一玉…抱えて)
アユやサバの「うるか」も
好きだった。
そんなじいちゃん…
今でも話題として語る
私たち家族の中に
一緒にいるのかもしれない。
残念ながら…
幽霊じいちゃんを視たことはないが
そばにいるんだなと
思える瞬間は…
無きにしも非ず。
あ…じいちゃんとばあちゃんの
昔のエピソードも
短いけど今度紹介しよう。
2人の珍道中人生が
垣間見れるエピソード…(笑)
( *´艸`)
威張り散らすことも多く生前は
魔王(母)も、ばあちゃんも
嫌っている節は強かったです。
だけど言えることは…
悪い部分だけではなく
いい部分もちゃんと認めていて
懐かしい記憶とし
笑いを含めて語り合えている
家族だということです。
どんなエピソードも
笑いに変える力は…
遺伝でしょうね。
( *´艸`)
P.S
「ryukoは乳が、こまいよの~」
…そういえば
じいちゃんによく言われてた…。
巨乳好きだったのか…
(゚Д゚;)