「時の川に流されるように」(昔、寺から絵の依頼を受けた父)
皆さん、おはようございます。
ryukoです。
この前、住職の所に顔を出した時
妙なことを頼まれました。
お堂を一つ修繕するために
寄付をしてくださった方の
名前を記す「木札」を
作成してくれる人を
探してほしいとのことです。
頼める知り合いは、いない私…
そこで…一番最初に頭が浮かんだのが
帝王(父)でした。
…ご縁の流れか?…
「あ?! その住職はバカなんか?
あんたに頼んで
どーにかなるわけなかろーが」
…(;^ω^) その通りだけど言い方!
そんな職人との繋がりなんてない。
ましてや言い値が格安すぎる。
じゃけー、帝王に聞いたんじゃん!
今の住職とはあまり面識はない
帝王だし…。
ちょっぴりムッとして電話を切った。
そしたら30分もしないうちに
折り返し電話。
「ワシの知り合いに話したら
前向きに商談すると言ってくれたで!」
( ゚Д゚)? え…早い…。
すぐ知り合いに
交渉の電話をしてくれたらしい。
みるみるその日の午後に商談が決まった。
そして交渉成立。
帝王も一緒に行ったんだって。
私は頼まれなかったし…予定あったし
でしゃばる必要もないかと
行かなかった…。
(後で帝王に怒られた…笑)
その職人さん…最近寺社からの依頼が
多いんだって。
偏る時にはそんなもんだ。
ご縁がなきゃ出来ないことだから…。
そういって受けてくださったらしい。
(ありがとうございます)
私は少しだけ住職の役に
立てたことも嬉しかった。
…が、それよりも帝王の人脈の広さよ。
私には、あんな言い方したのに
「ご縁」は銭金じゃない
ぜひ、受けてほしいと帝王が
話したみたい。
…帝王は…
死んだら全て終わり。
「無」になるだけ…。
そう思っている人間だ。
だから、私もスピ系の話はしない。
でも、これが不思議なことに
過去に近所の寺から依頼されて
本堂の「天井画」を描いたことがある。
まだ30代、私も子どもだった。
格子に仕切った天井に100枚以上
「植物」の絵を数年かけて…。
一辺が1m弱の大きさだったかなあ。
まず板に「にかわ」を溶かし塗るのだが
これが子ども心に「臭かった」
神仏は信じていないのに
依頼があると引き受けたのだ。
ましてや、画家でもない。
素人に依頼する寺も寺…(笑)
だが、天井に絵が上がり
下から見た時…
「心が入ってるなあ…」と私は思った。
普通の人はなかなか…やれない仕事だ。
当時は地方公務員で働きながら
100枚以上も仕上げた帝王はすごい。
それから20年くらい後…
今度は菩提寺から天井画の依頼が…。
(…なぜ?)
しかし、その時は
少し名のある人が描いた天井画を
変更することに反対した帝王。
その人の絵を下ろし自分の絵に
変わることは、だいそれていると。
すると、寺の住職は
ならばと御本尊周囲の壁画(?)を
依頼したのだ。
断っても断っても住職は諦めなかった。
「これもご縁だから引き受けてほしい」
悩んだ挙句に了承した帝王。
これまた数年かかった。
今度は「天女」
帝王は歴史の勉強から始めて
構想を練り素材や絵の具にもこだわり
描き上げた。
この絵のことは
年末年始ごろにまた紹介しよう。
神仏は信じていない帝王に
これほどまでに寺からの依頼が来る。
不思議でたまらん…。(笑)
「寺の絵を描く時はの~」
心の乱れを無くし修行僧のように
仏に向き合うことが大事なんで…。
…う、うん…
なんだ、信じていないと言いながらも
その感情もゼロではないじゃんか…。
それに帝王の人生に2回も
寺の絵を描く機会を頂くのは
まさに「ご縁」
何度も言うが…素人だ!
これは本人の知らないところで
人生に組み込まれている図り事?
今回の木札依頼を受けた職人さんも
「ご縁」だと言ってくれた。
よくわからんが…
人生とか歴史とか
長く大きな「時の川」には
本人でも気が付かない流れに
導かれていることがあるのだろう。
帝王の人生もまた
珍しいご縁の繋がりや
神仕組み(仏?)が隠れているやもしれん。
知らずに大きな徳を積んでいる帝王。
歴史に残る偉業だとも思う。
私は、何かこれからも…
帝王の数奇なご縁を
目の当たりにするかもしれない。
(。´・ω・)
この男ほど「天邪鬼」な人間を
見たことがありません。(笑)
自分が生きた証を残したいという
思いもあるでしょうが
知らずと舞い込む寺からの依頼に
そりゃまあ、真摯に向き合っているんですよ。
そういう意味では
尊敬します。(/・ω・)/
私には到底できないことですから。
帝王のおかげで
友達の住職も助けられたし…
感謝ですね。
P.S
皆さんも
なぜか…そっちに人生が進む…
そう思ったことはありませんか?
( *´艸`)
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