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「人生は暇つぶし」理論を、RPGゲームのルール説明形式で考える

ルール説明のまとめ
「人生は死ぬまでの暇つぶし」
→ どう生きようが、社会に大きな影響はない。
→ 最低限やらないといけないことは、食事と睡眠。

「人間は、ご飯と寝床があれば生きていける?」
→ 親のすねをかじる(ニート)
→ 最も起業家に近い存在の可能性

我々は、このような世界にいきなり放り出される。

ゲームの始まり

「これから80年間の猶予を与えます。食事と睡眠を取らなければ早めの引退となってしまいますが、1日7時間の睡眠と食事があれば、とりあえずゲームを継続できます」

「あなたは非常に幸運なことに、あなたの周りには物が満たされており、食べ物に困ることもなく、職業も自由に選ぶことができます。別のゲームでは飢餓の克服こそが最大の主題だったのですが、それが克服された世界での暇つぶしに努めることになります。」

「生まれてくる環境では、職業選択の自由や基本的人権がつくられています。どのように生きていても批判されることはありませんが、大多数の人々は同じような生き方をしており、ルートに従って暇つぶしを行うことが良い事だとされています。」

「およそ1億2000万人の人々は、同様のゲームで暇つぶしを行っています。少し足を延ばしてみると、別のゲームに参入することもできます。およそ同様のシステムでゲームを行っている、80億5000万人の方々とも関わりを持つことが出来ます。」

「あらゆる暇つぶし情報は公開されておりますので、ルールに従って生きるのも結構ですし、その他の暇つぶしを行っても制限はありません。」

「小学校・中学校という形式の9年間のチューリアルが終わり次第、どのような暇つぶし方法で暇つぶしを行っても大丈夫です。このゲームは80年間絶え間なく継続されますので、飽きてしまったら途中で辞めてしまうことも可能です。」

「精一杯努力して何かを達成されたことで、暇つぶし方法のマニュアルを1つ作成することが出来ます。しかしながら、次回のゲームで資産や名声の持ち越しは出来ません。また記憶を消して、0からのスタートとなります。あらかじめご了承ください。」



このようなルール説明を受けて、僕のチュートリアルはとうの昔に終了している。特に資産や名声を得たいわけではないのだが、せめて自分が面白いと感じる暇つぶしをしていたい。

加えて、生活に不安を感じるような食料問題にはなりたくない。

つまり僕が一番に考えるべき問題は、「明日食べるご飯が無い、明日寝れる場所がない」というものである。

その不安さえ払しょくできていれば、どのような暇つぶしを行っても自由だと言える。

このように考えると、”ニート”という存在は、当RPGゲームにおいて最もリスクを負って生活をしている存在であり、ひいては会社員よりも起業家に近い存在なのかもしれない。


このように社会を改めて定義して、自分はどのような暇つぶしでこれからの80年間を過ごしていくかを考える。

80年を何もせずに過ごすことは、あまりにも退屈だから仕事を始めるだろう。

しかしながら、その仕事で気を病んでゲームを辞退してしまうようでは本末転倒である。会社は僕のゲームに対して、大きな関わりは無い。

最もゲームと親和性があるのは、”食料と住居”である。場合によっては”家族”も親和性がある場合もある。

「その食料と住居を何とかするために、必死に働いているのだ!」という考えを持つ僕は、バイトで生計を立てることには何となく引け目を感じるのである。

特にルールで定められている訳でもない、「何となくこうだから」という規範意識によって暇つぶし方法が制限されている。

多くの暇つぶし方法においては正社員という立場が基本のため、「多くの暇つぶし人がいる中で、自分が最底辺になるのだけはゴメンだ」という考え方を持ってしまうことがあるのかもしれない。


「最底辺」について考えてみるのだが、我々が人生をどのように生きても「暇つぶし」という枠からはどれだけ頑張ろうと抜け出せない。

動物には寿命があるし、努力して勝ち取った資産を次の人生に持ち越すことは不可能だからである。

暇つぶしの自己評価を「優意義な暇つぶしが出来たか、否か」という基準に合わせた場合はどうだろうか。案外バイト人生の方が満足度が高いかもしれない。

ここで言う評価は
”他己評価”ではなくで”自己評価”である。

自分の暇つぶしなのだから、自分でその価値判断をしないと理屈に合わない。他人に自分の暇つぶし評価をされたところで、暇つぶしの足しにもならないわけである。


このゲームで、どのようにより良い暇つぶしを行っていくか。食事と睡眠の安定供給を、どのようにして実現するのか。そもそも、この暇つぶしを継続していく意思はあるのか。

たかが暇つぶしなのに、僕はどうしてこんなに真剣に悩んでしまうのだろうか。暇つぶしとは、実に奥深いものである。


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