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【小説】天国へのmail address 第一章・優君との出逢い

出逢い
 
お天道様がまどろみから覚めて伸びをする。東の空から薄明かりが浮かび上がると夜空で躍り廻っていた星達の輝きを、魔術のように消していく。
朝顔のつるに溜まった夜露が、ぽたりと地面に落ちる音が一日の始まりを告げる。
朝日ケ丘公園のベンチには老人がスマホを片手に座っていた。
橘克巳(たちばなかつみ)はこの夏で定年を迎えた。会社からは延長の話もあったが体調不良を理由に退職の道を選んだのだ。事実、橘の体調は決して良いと言える状態ではなくなっていのだ。
主治医からは健康維持のために散歩を薦められ、ただ歩く散歩にも直ぐに飽きてしまい架空の世界でモンスターを捕まえながら歩くスマホゲームを始めたばかりであった。
「おはよう!」
首からカードを下げた子ども達と保護者が少しずつ集まってラジオ体操が始まった。『朝日ヶ丘公園』のベンチに座っているのは橘一人だ。元気な子ども達を見ていた橘は「終活でも始めるか」とぽつりとつぶやいた。そして、再び手元に目を落とす。
ラジオ体操が終わると子ども達は首から下げたカードに参加印を押してもらい帰って行く、やがて公園は再び静けさを取り戻して朝顔が花を開く音さえも聞こえるようであった。
スマホゲームに夢中になっていた橘はひとりの少年が近寄って来るのにも気付かずに手元を見ていた。
「おじさん! モンゲーやってるの?」
突然の声に橘はびっくりして顔を上げた。
「モ・モンゲー?」
橘は少年の言葉をよく理解出来なかった。
「モンスターゲットだよ」
「あー、モンスターゲットを略してモンゲーか。ラジオ体操は終わったの?」
「とっくに終わったよ。ねえ! バードリー持ってる?」
「おじさんは始めたばかりだから、捕まえていないと思うよ。恥ずかしいけれどモンスターの名前もよく覚えられないのだよ」
「僕、二匹持ってるから一匹上げようか?」
「そんな事も出来るの?」
「出来るよ! 友達どうしならね」
「友達って?」
「フレンド登録するんだよ」
少年はそう言うと橘の隣にちょこんと座ると橘のスマホをのぞき込んだ。
「フレンド登録?」
「おじさん! 知らないの?」
「恥ずかしいけれど、さっぱり分からない」
橘は両腕を広げて手のひらを恥ずかしそうに空に向かって上げた。
「僕がやってあげるよ!」
少年は抱き着いて橘のスマホをせびった。
「それならお願いしようかな」
橘は少年に自分のスマホを渡した。
「おじさんは『龍馬ABC』がコードネームなの。僕は『健康優輔100%』と言うコードネーム」
「おじさんは幕末の英雄『坂本龍馬』が大好きなのでコードネームにしたんだ。ちょっと君には難しいかな?」
橘は正直に話した。
「じゃーあ、龍馬さんだね」
少年は無邪気に笑いながら言う。
「あ、ええ、そう呼んでくれると嬉しいな。『健康優輔100%』とはまた変わったコードネームだね?」
橘は自分が龍馬と呼ばれ嬉しくて早口になっていた。
「お父さんが健輔とお兄ちゃんが康輔、僕が優輔! 三人で健康優良100%! ママが考えてくれたの」
橘は楽しそうに頷いていた。
「なるほど。じゃあ、おじさんは君の事を優君と呼んで良いかな?」
橘はポケットから手帳を取り出して自分の住所と電話番号、メールアドレスを書いて優輔に渡した。
「優君メール友達になってくれないかな?」
「メール友達って?」
「メールアドレスを交換してやり取りする友達だよ」
「メールアドレスって?」
「Eメールのアドレスだけど」
「僕、分からないや、だって僕達LINEだから」
「そうか。メールは古いのか。LINEは、インストールしてあるのだけど、この歳になると新しいものに拒絶反応を起こしてしまって、恥ずかしいね」
橘は頭をかきながら言った。
「龍馬さんもLINEやろうよ」
優輔は橘のスマホを取り上げると無邪気に操作を始めた。橘は困り果てた。せっかく出来た小さな友達の好意を無下には出来ないし、そうかといって簡単に覚えられる歳でもないからだ。
「龍馬さんに出来るかな?」
困った顔の橘に優輔は笑顔でスマホを返して言った。
「簡単だよ! 僕教えてあげるよ」
「龍馬さん、相当勉強しないといけないね」
そう言った橘だったが、LINEを勉強するには十分すぎるほどの時間が彼にはあった。そんな二人のやり取りを遠くから見つめる女性がいた。自分の娘ほどの歳で、すらりと背が高くパッチリとした目の美しい女性だがなぜか寂しそうにじっと橘達を見ていた。
「あの人は優君のお母さん?」
「うん、僕のママ」
「じゃあご挨拶をしないとね」
ベンチから立ち上がろうとする橘に優輔は、
「ママは今、忙しいの。昨日学校でいろいろあって、ママPTAの役員だからこれから学校に行くの」
優輔の言葉を聞いて橘は黙礼だけにとどめた。その女性は首をかしげながら黙礼を返す。
「優君、宮山小学校で何かあったの」
橘は聞いてみた。
「そんな事よりバトルが始まるよ」
橘は慌ててスマホに目をやる。すでに誰も居なくなった公園のベンチで二人はスマホゲームをいそしんだ。
「優君! 明日もこの公園で会えますか?」
「うん! 良いよ。ゲームが出来ると良いね」
「そうだね。では優君行ってらっしゃい」
「龍馬さん! 今は夏休みだよ」
「あ! そっかー。ではまた明日」
橘は苦笑いをした。ただ気になったのは夏休みの学校でいったい何があったのか? であった。
                              つづく

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