りょうけん的 読書感想文の様なモノ 『破果』ク・ビョンモ 著(小山内園子 訳) 241217
<檄>
韓国女性作家の小説を読むのは我が人生で多分はじめてだと思う。(読んでいない証明もいわゆる不可能証明なので断言不能…)。で,いつも通り巻末の訳者あとがきから読み始めた。長い,なんと長い訳者あとがき なんだろうと驚いた。この訳者小山内の書いている内容で気になったのは一点。それは「理解しづらい小説です」ってところ。翻訳を担当した人がそんな事云うか!と思いつつ冷静に再度その説明を読む。ふむふむ理解しづらくなかなか物語が進まないのはどうやら原作がそういう意図を持って書かれているからみたいだな。
で,なるほどその通りだった。その「あとがき」や帯を先に読んだのでおおまかなストーリーは分かっているつもりだったが,のっけで そのメインストーリーはなかなか進まずその周辺(脇)の事柄が実に多く書かれているのだ。こののっけのメインストーリーとその周辺(脇)事は後々も多分何の関係も無いのだろう。では只ページ数を稼いでいるだけか,と云うとどうやらそうでも無い様子。何かがその「周辺事」にはある感じだ。うーむ韓国の女流作家って事だけで構えてしまうのにのっけから大変だりゃ!
ちょっとここでその訳者あとがき から仕入れて来た情報を書き置く。本書がク・ビョンモ女史によって書かれて発行されたのは2013年。当初はあまり話題にもならなかったらしい。その後数年経ってSNSでひょんなことから話題になって2018年に『破果(改訂版)』発行。そしてようやく2023年に小宮山の手で訳された日本語翻訳版が刊行された。つまり まあおよそ10年以上前に書かれた本が日本では今流行っているという事なのだ。
訳者あとがきを読むにあたって。 本編物語の最終ラスト場面は見開きの右ページで終わっていた。そしてそのすぐ左横のページから「訳者あとがき」が始まっていて僕はたじろいだ。先に「あとがき」を読もうとそのページに行ったら本編最後のシーンの記述が右横ページにチラチラと見えるではないか。これでは落ち着いて「あとあがき」(ん?「あ」が多いな。でもなんだか面白いからこのままにしとこうw)が読めないではないか。
で,とっさに僕は何をしたか,というと。慌てて一旦本を閉じ,そして他の薄めの本を持ってきて件の見開きの右ページ上にかぶせて本編物語のラストが見えない様にした。えっ,一体何が言いたいのか,って。そりゃあ あれですよ,ミステリー仕立ての雰囲気もあるこの手の小説作品において先に「あとがき」を読もうとしたらラストの結末ページを一緒に覗かされてしまう,ってどーよって事。こんなのには初めて出会った。
プロローグらしき話が本文のっけ10ページでようやく終わり 次のページから本文が始まる。と,これが実に変わっている。その始まる見開き左ページ(11ページ)はその半分くらいが白紙で本文はその後から始まっている。その半ページ程度の白紙部分には 表題や章のお題目が書いてあるわけでも無く,何も印刷されていない白紙がおよそ半ページ分そこにあるだけ。一体なんだこれは。韓国の小説本ってぇのは全部こういう具合の装丁になっているのか。分からない。狙いは一体が何処にあるのだろう。
そこまでのプロローグを読んでいて感じたのは,ほとんど改行も無く思い切り字を沢山詰め込んだ本だなぁ。紙を出来るだけ節約して本が分厚くならない様にしてるんだろうなぁ。それにしても改行無しで長く続く文章は読みづらいなぁ,という具合だった。なのに前述の急に無駄な半ページの白紙。何なのだ一体。いつもの疑問,なんで僕はこの本読んでるんだろう,が頭をよぎる。まあたぶん 本の雑誌 で紹介されていたのだろう。その解釈が正しいかどうかは面倒なので調べない。調べたところでこの本の面白さが変わるわけも無く。
そういえば本書の厚さはまあ普通なのだが値段はなんと2700円もする。欧米の翻訳本は往々にして高いが韓国の翻訳本も高かったか。まあ売れるか売れないか未知数なので出版社のリスクヘッジとしては仕方ないのだろう。あと本書の出版は『岩波書店』である。文庫で有名な出版社ではあるが本書の様な単行本には滅多にお目に掛からないなぁと僕は思った。値段。国産本だと,この厚みで売ろうかな!という意気込みが出版社側にあるなら まあ1800円 ってところだろう。
この本も先日読んだ 『富士山』 平野啓一郎:著 と同じく一枚の紙が厚い。本全体の厚みの割には総ページ数が少ないのだ。ちなみに274ページしかない。良い点はページがとてもめくり易い(あれ?『富士山』感想にはめくりづらい,と書いてある。どっちだぁw)のと,思いの他どんどん読んだページが進んでゆくのだ。なんだかめちゃ自分の読書速度が速くなった様な錯覚を覚える。
本書は韓国産なのにハングル文字は4文字しか出て来ない。表紙カバーに二文字 多分『破果』というハングル文字が載っているのと 物語中には,医者であるチェン博士とハン博士の診察室に掛かった表札(名札か?)のハングル2文字が出て来るのみ。この二人の名のハングル文字の形?がとても似ていて主人公 爪角(チョガク)は診察部屋を間違えてしまった,という件りなのである。
でも考えてみればそりゃそうだわな。普通の日本人は数字と漢字,ひらがな,カタカナそして少しのアルファベット以外の文字はそこに書かれてもサッパリ分からないのだから。その日本人には理解不能の代表文字がハングルとアラビア文字なのだろう。ちなみに二人の医者名チェン:장, ハン:강, の筈。なるほど,似てる形wだねぇ。笑う。
翻訳者小山内園子さんについて調べている最中に『破砕』という本書の 最近書かれた外伝が存在することを知った。面白そうだ。 読みたい 読むか。読もう。 そう云う事になった(夢枕獏R)
本作 章立て構成にはなっていないのだが,それでもその章らしきものの変わり目はあって,その最初は必ず見開きの左側ページから始まる。そして先にも書いたがなぜかそのページののっけの半分は白紙なのだ。だから多い場合は見開きの1ページ半が白紙となる。
主題『破果』の意味は件のあとがき で丁寧に解説されているので読まれたし。そして日本語で「はか」と云うとこっちの方が一発で漢字変換されてくる。それは『破瓜』。爪と云う文字が入っていて本作品にはこっちの題目の方が近しいだろうなぁと思えた。でもたぶんク・ビョンモは明確に『破果』と書いたのだとうから詮無きことなのだろう。本書,物語がなかなか進まなくて途中読み続けるのが辛くて挫けそうになるが、ラス前の格闘シーンは凄い迫力だ。読み応え有りの一冊。是非女性に読んで頂きたいのです!
エピローグの様な最終章に海兵隊上がりの人物が登場する。メインストーリーとは何の関係もない人物なのだが,僕はこの「海兵隊」に反応した。韓国にも米軍と同じ海兵隊があるんだな,と思った。僕の解釈では海兵隊とは自前の船で移動する特別な陸軍,って感じ。第二次世界大戦/太平洋戦争では米軍海兵隊は大活躍した。なぜならアメリカ陸軍は,もしかするとヨーロッパ戦線へは派遣されてナチ軍と戦ったのかもしれないが,太平洋戦争でアジア圏への陸軍の派兵は皆無だったと思う。陸上の作戦行動は全部「海兵隊」が実践したのだと思う。
日本の大東亜戦争は陸軍が中国大陸や南方諸国/島へ進撃して陸上戦を戦った。当然だが「海兵隊」という組織は日本には無い。飛行機は陸軍も海軍も航空隊として存在していた。 また二次大戦当時アメリカは空軍が無くて海軍と陸軍とそして加えて「海兵隊」だったのだと思う。素朴な疑問は米軍のほとんどの飛行機は海軍所属だったと思しいが陸軍は全く飛行機を持っていなかったのだろうか。アメリカ本土での戦闘は歴上無いのでそこが分からないのだ。アメリカに空軍が正式に出来たのは僕は別の本で読んだけど1947年だ。
ヨーロッパの英国とドイツは二次大戦当時 既に空軍を持っていた。まあそうだわな自国内の航空基地からスピットファイヤーやメッサーシュミット/フォッケウルフを相手国まで飛ばして戦闘して戻って来る軍は「空軍」以外に考えられないわな。まあ代わり という訳でもないが「海兵隊」は英独には無かったと思しい。つまりここまで書いてきて海兵隊があるのは米国と韓国軍だけなのだ。本当は他の国にもあるのだろうけど…笑う。もう一度書く「海兵隊」とは自前の船で移動し陸戦を主体に戦う軍隊!
ありゃ,最後は何故か戦争のウンチク話で僕は終わろうってのね。なんか変な感じ。番外新作『破砕』に期待してではサヨナラサヨナラサヨナラ(淀川長治R)。 すまぬすまぬ。