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精神科救急医療実録1 薬物依存の家族と救えなかった命

 今回は、私のなかで悔やみ続けている事例をお伝えしながら、薬物依存の危険性を感じていただけたらなと思います。

 この事例は選択を変えていたら、命だけは救えたかもしれないと悔いの残る、忘れられないケースの一つになります。
 ※個人や事例の特定ができない様に事実を一部改変しています

ある日の救急当番日

 あれは、ある日の救急当番日のことでした。

 夜間、救急隊から「過量服薬」の診察を依頼されたことから始まります。

 詳細を聞くと、胃洗浄など内科的な処置は必要はなく、薬物依存の治療としての診察依頼でした。

 当然ながら私は診察依頼を受け、診察の調整・準備を始めます。

受診者

 救急搬送で運ばれてきたのは20代前半の男性(Aさん)
 風俗店で飲酒しながら向精神病薬を服用し、泡を吹いて119番通報
 と言うケースでした。

 診察時の患者さんは状態も安定しており、
 「好青年」
 と、いう印象を受けました。

 容姿もよく、先生の問診も丁寧に回答している、そんな青年でした。

 Aさんは診察後、薬物依存の治療として入院適応となり、自傷・他害の恐れがないとして保護室ではなく、閉鎖病棟の男子急性期病棟で入院加療となりました。

家族の来院 

 診察後、家族に入院したことを電話で伝え、入院手続きのため来院して欲しいことを伝えます。

 家族は、すぐに来院してくれるとのことでした。

 来院したのは、Aさんの妹さんでした。

 妹さんが来院後、保険情報を確認し入院手続きと説明をし、アセスメントを実施しました。
 ※保険情報は生活保護を受給していたため、医療券を請求

 アセスメントでは、Aさんと取り巻く環境の情報を聴収します。
 Aさんの主訴、関係者の認識、主治医や社会資源の所見、成育歴や病歴などから多角的に受診時の状態を記録に残します。

過量服薬での自殺

 妹さんにアセスメントした結果、エコマップ(要援助者を取り巻く環境を可視化したもの)上、三人姉弟で、過去に長女が過量服薬で死亡していたことが分かりました。

 長女が、過量服薬で亡くなっているのを聞いて、危険だなと感じます。

 そこで、
 「どうして、過量服薬で亡くなったんですか?」
 と、尋ねました。

 色々な経緯はありましたが、
 ・生活保護を受給していて、母親が薬物依存。
 ・大量の向精神病薬を子ども達に受診させて処方して貰っていた。
 ・その薬が家に溢れている。
 ・婚約を破棄され、それを大量服薬して自殺を図った
 という状況でした。

 アセスメント中に妹さんが突然、
 「薬飲んでいいですか?不安で…」
 と微かに震えながら言います
 「どうぞ飲んで下さい」
 と対応しますが、気になって、なんの薬か尋ねると
 「デパス」
 「先生に処方してもらったの?」
 「家にあるやつ」
 「そうなんですね。家に沢山の薬があるんですか?」
 「うん」 
 デパスとは、精神依存の強いベンゾジアゼピン系の精神安定剤です。
 2.3時間おきに服用しないと不安で、どうしようもないとのことでした。

 この時点で、不安がよぎります。

 薬物に対する認知の歪みから、家族全員が薬物依存になっているのではないかと感じました。

 他に何か困っていることはないか尋ねると、
 「家を出たいんです。夢があって、ファッション関係の学校に行って仕事がしたいんです」
 と、妹さんは訴えました。

生活支援への介入

 私は主治医と相談して妹さんの生活支援にも介入することになりました。

 理由は、
 ・妹さんも精神科に通院しており、今回の件で転医してきたため、患者として支援対象になっているため
 ・Aさんの家族支援として支援対象であったため
 ・Aさんと妹さんの薬物依存が生活環境に起因する可能性が高く、家族の影響が大きいと考えられたため

 私は、それらの状況をまとめると、関係者会議を開きます。

 参加者は、妹さん、主治医、民生子ども課、保健所職員と私。

 会議の結果、妹さんの強い希望もあり、母親と子どもの生活を別けた方が良いと判断し、世帯分離をして支援することになりました。 

 その後、母親と何度か面談をして、
 ・服薬するなら自身で通院し処方してもらうこと
 ・医師の処方通りに服薬すること
 などを約束し、自立支援制度や福祉タクシーなどの調整を行い、最後に、母親に妹さんの気持ちを伝えて、世帯分離を促しました。

世帯分離

 今回、世帯分離を採用した経緯として、本ケースが生活保護の不正受給ケースになっていたことが挙げられます。

 世帯単位で支給された保護費を母親が一人で使っており、Aさんや妹さんが働いた収入を申告をしていませんでした。

 また、一般の企業では収入申告をせざるを得ないため、風俗店などで働いているという実態がありました。

 しかし、Aさんや妹さんは、一般企業で働いて自立したいという強い希望があります。

 そのため、母親と世帯が同一であることが、Aさんと妹さんの薬物依存や自立を妨げている要因の一つであると判断し、世帯分離を主軸に支援計画を立てることになりました。

面談

 その後、生活保護係と連携し、妹さんの新しい住居の確保と生活保護受給の手配をして、世帯分離を実施することになりました。

 これらの調整で2ヶ月程の時間を要しました。

 そして、この調整期間中、毎日のように妹さんがAさんのお見舞いに訪れ、主治医や私に面談を申し込んできました。

 妹さんも患者さんとして通院していたので、当然、面談を実施します。

 Aさんの病状の相談や、世帯分離で転居に伴う相談、医療・福祉制度の相談もあったので、多くの時間を要しました。

 次第に、妹さんの生活上のこと、進路や夢の話など精神科医療と関係のないことまで話題が及ぶようになります。

危険信号

 面談が長時間化することで、仕事に支障がありましたが、邪険にすることもできず、主治医と相談し継続的に面談を実施していました。

 しかし、私にも他に業務があり、面談を断ることも、たびたびありました。

 すると、妹さんは私が面談を実施するまで、外来受付で待っている様になりました。

 そして、業務が空いた時間帯に面談をすることになります。

 基本的に、病院の終了間際は入院依頼がなければ、救急当番日以外は比較的定時に終わることが多かったので、面談時間がその時間帯に偏っていきます。

 しかし、それも良くありませんでした。

 結果的に面談を切り上げる口実を作れなくなってしまったのです。

疑い

 次第に面談は長時間化し、とりとめのない話を数時間ほど聞いていたりすることもありました。

 主治医とも、転居すれば新しい環境になり、来院や面談頻度も減るだろうと楽観的に考えてました。

 しかし、転居後も回数や時間は減らず、面談ができるまで、外来受付で待っているという状況は変わりません。

 そして、とうとう事態が動き出します。

 Aさんが入院している男子急性期病棟に行くと病棟主任の看護師さんに呼ばれます。

 内容は病院内で私と妹さんがデキているんじゃないかと噂があるから気を付けなさいよ…と。

 なるほど、客観的にみたら、そう見えるのかっと、正直、私は焦りました。

 患者さん(妹さん)とその様な関係になるのは職業倫理上、当然してはいけないことですし、してなくても、その様に見えてしまうのは仕事がしにくくなるなと。

 そこで、主治医に相談をしました。

相談の結果

 主治医と相談の結果、主治医、私、妹さんの3人で面談を実施しました。内容は面談回数と時間に制限を設けることです。

 妹さんは内容を了承し、面談は特に問題なく終了しました。

 しかし、その後、数回の面談を実施してから、妹さんは、なぜかぱったりと来院しなくなりました。

 自分の通院も

 Aさんの面会も

 主治医や私への面談も

 まったく、なくなってしまいました。

 一抹の不安がよぎります。

 主治医や病棟主任は
 「そのうち、ひょっこり来るよ」
 「彼氏でもできたのかもね」
 「働きだしたのかな」
 などと話していました。

事態の急変

 しかし、事態は大きく急変します。

 妹さんが転居した部屋を仲介した不動産会社から突然、連絡があります。
 ↑生活保護の家賃上限の物件は少なく、住居を探すときに特定の不動産会社を使います。この時も私が不動産会社を紹介して、病院で物件案内などをしてもらっていました。

 「この前、紹介した物件の近所の人から異臭の苦情が来ているのですが、何かご存知ですか」

 悪い予感がしました。

 私は、直ぐに生活保護係に連絡をして、家庭訪問をしてもらう手配を整え、連絡を待ちました。

最悪の結果

 生活保護係の家庭訪問の結果、妹さんは自宅でお亡くなりになっていました。

 死後、かなりの日数が経過しており、遺体の損傷が激しく、周辺には向精神病薬の薬袋が散乱していたことから、警察は薬物の過量服薬による事故死と断定しました。

 何とも言えない無力感に襲われました。

 その後、不動産会社の人が私を訪ねてきます。

 そして、
 「主治医と私宛の手紙」
 「私宛の手紙」
 を渡されました。

 内容は、
 「面談が出来なくなって寂しいけど、前向きにいきていく、ありがとう」  
 と、いう内容でした。

 これまでの、私の支援内容は正しかったでしょうか。

 いえ、色々な意味で違う選択肢もあったのではないかと思います。

 そして、この話には続きがあります。

残された兄

 妹さんの死を知ったあと、入院しているAさんにも、このことを伝えなければいけません。

 主治医と相談し、主治医と病棟主任と私で、Aさんに妹さんが亡くなったことを伝えます。

 私達が想像していたより、Aさんは事態を冷静に受け止めていました。

 そして、それから程なくしてAさんは退院となります。Aさんは妹さんの死後も希死念慮や自殺企図も認められず、落ち着いて入院生活を送ってたのです。

退院後の結末

 Aさんが退院して数週間が経ちました。

 ある日、出勤すると、すぐに病棟主任に呼ばれました。

 そこには主治医もいました。

 そして、主治医からAさんがお亡くなりになったことを伝えられました。

 昨夜、自宅で飲酒しながら向精神病薬を服用し、心不全で亡くなったとのことでした。

 死後、警察から病院に受診履歴の問い合わせがあり、発覚したそうです。

 これで、姉弟3人全員が薬物にまつわる出来事で、最悪の結末を迎えることになってしまいました。

最後に

 このケースは、今でも本当に悔いの残るケースの一つです。

 防ぐことができなかったか。

 ベストな支援方法だったか。

 今でも、後悔と自責の念に捉われ続けています。

 この当時の私は経験も浅く、色々な面で未熟な部分が多かったと思います。

 そして、神経・精神科医療の薬物療法に課題を感じはじめました。

 精神科の薬物療法は作用機序も解明されてない部分も多く、安易な服用をすれば、精神依存の強い薬剤は特に薬物依存症という病気を内在させてしまいます。

 安定剤や抗不安薬は、その場の不快感を解消してくれるとともに、本来、備わっている自己治癒能力や対処能力を薬物に代替してしまう面もあります。

 薬物療法を否定しているわけではありませんが、薬剤への依存が悲劇を生んでしまうことも、また、事実です。

 この様な、悲しい事故が少しでもなくなる様に、このケースを知って頂くことで、ベストな支援に繋がることが増える様に、願っています。

 Aさん、妹さんのご冥福を心からお祈りいたします。

 最後まで読んで頂き、ありがとうございました。
 このコラムは私の個人的な知見に基づくものです。他で主張されている理論を批判するものではないことをご理解いただいたうえで、一考察として受け止めて頂き、生活に役立てて頂けたら幸いです。

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