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どうして学校って行かないといけないの?(4・完)

うひゃー、本当に前回書いた時から土下座じゃ済まないくらい時間が経ってしまいました。ごめんなさい!

そして、多分、この4回目が連載を読むのが初めてという人も多いと思うので、とりあえずこれまでのあらすじを説明します。

これまでのあらすじ

1回目では、社会環境が大きく変わってきていて、女性の社会進出や、賃金の停滞のせいで夫婦共働きが増えたり、価値観が変わってきていて、個々人の個性を重んじ、ダイバーシティを受容しようという社会になってきているのに対して、小学校の教育構成には若干の変更しかなく、かつては出来ていた教育ができないくらい、今の先生たちは多種多様な能力が必要とされる、つまり「無理ゲーやらされてるんじゃね?」という問題提起をしました。

で、2回目はそれに加えてデジタル教育や、英語、モンスターペアレンツの対応など、現場に全部押し付けているのは、教育なんとかにいらっしゃる方々による優越的権利の濫用、もっと言えばパワハラじゃん、という話をしました。それから、教育に対する価値観の劇的な変化についても話をしました。僕が見た我が子のクラスの状況は単なる学級崩壊にしか見えなかった、と。この辺から、話に毒がこもってきてます。はい。

それで3回目は、閑話休題、1回目と2回目の総まとめをした内容でした。だからからかも知れませんが、この3回目に限って、読んでいただける人の数が減ってた、という分かりやすい事実も公表しておきます。(爆)

で、続きです。

学校には、一人ひとりにパソコンやiPadなどが行き渡り、GIGAスクール構想が進んでいます。ですが、何をするにも形だけ、箱を作るだけが大好きな我々日本人はデカく重くなっている教科書やノートに加えて、これらをランドセルの中に詰め込むことで、子供たちの体力強化に励んでいます

クソか!? アホなのか? あんたらは?

僕はその「体力強化」の話を聞いた時、卒倒しそうになりました。おいおい、今やメタバースとか普通にサラリーマンとかだって聞いたことある時代だよ? なんで教科書とノートがデジタルに入ってないんだよ? っていうか、今なんて社会人だって、会議とかほとんどZoomとかでやってるのに、なんで一定時間物理的に同じところに集めて教育しとくことがいまだに美徳なんだよ?

いや、そもそも、少子化の時代です。その時代にこれまで以上に個性を重んじ、一人ひとりの(将来の)生産性を上げることを真剣にやらなければ、この国潰れるよ? 学校の統廃合が続いている中、人が余ることを懸念している場合じゃない。個性に対応できるよう、AIで先生と生徒の相性を弾き出し、いつでも、オンラインでもオフラインでもマンツーマンで教育できる、その子のペースで進めていく教育に、今から変えないでどうするんだ? とか思うわけです。

で、結論です。

これまでの「学校」というもののあり方を「踏襲」というきれいな言葉でごまかすの、やめませんか? PTAも踏襲、教育も踏襲…そうやって「踏襲」の名の下に、単なる思考停止と問題提起と議論ができない日本人と化している自分達を、アップデートしましょう。

今、必要なのは、スクラップ&ビルドです。これまでのやり方なんて関係ない。今の全ての環境に配慮した際に出来上がる新しい教育のあり方を考える。「昔はこうしていた」とか、そんな話はどうでもいい。

大切なのは今です。そんな御大層に「GIGAなんとか」でPCとかiPadとか渡さなくても、とっくに1、2歳くらいからiPad程度、みんな使えるようになってるし、音声入力や思考が読めるような時代が来るこれからは、タイピングとか、必要な人以外は要らない。

むしろ、画一的な教育によって型にはめ込まれて、型の中でしか生きられない我々、親の世代が、もがいて頑張って、変わっていく。その姿を見て、子供が育つ。個性を伸ばす。我々が日々勉強。親自身が、日々、喜怒哀楽やドラマに満ち溢れた生活を楽しむ。

教育は、親が結局やるものなんです。学校じゃない。学校は支援してくれるシステムとして機能するべき。

結果として、子供の好奇心を刺激し、興味のあるものに触れさせ、人との関わり方を現代風(ICT風。IとTの間にわざわざC、コミュニケーションを入れたんでしょ?)に適切化していく。ものすごく、一人一人が尖り、能力に秀でた鷹のような存在にしていく。今の学校で行われていることと正反対のことをしていく。

それがなければ、この国、潰れるよ? マジで。

まあ、こういうこと言うと、ギャーギャー反論する方々もいっぱい出てくるとは思うんですけどね。少なくとも、何も反論もなく、そのまま踏襲踏襲で一国が沈没していくよりはまだマシだと思うのです。

子供は未来です。そして、明るい将来像を見せてあげることで、子供は成長し、成長する意欲も起きます。

てことで、長々とかかったこの連載、最後の結論は、先ず隗より始めよ、ですね。大人である我々が意識を変えましょう。習慣を変えましょう。考え方を変えましょう。全てを変えましょう。

まあ、少しは議論のヒントにでもなるものがあったなら、これまでの連載の意味もあるというものです。ぜひ、何か、拾い取って、活用してください。

では、長い連載をお付き合い頂き、ありがとうございました! 明日も良い一日でありますように!

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