難病になんてなりたくなかった
今日は月に1度の難病の定期通院だった。いつも通り診察時間に、病院へ足を運ぶ。家を出た途端、強い風が吹いた。冷え込んだ空気がやけに耳に刺さる。夏の暑さには耐えられない。でも、冬の寒さは服を着込めば対応できるから好きだ。
話を少しだけ過去に戻そう。
2019年9月にベーチェット病に、罹っていることが発覚した。はじめて聞く病名に戸惑いを隠せず、なんども医師に病名を確認した。なんど聞いても、どれだけ時間がたっても、まだじぶんが難病に罹っている事実を受け止められずにいる。いつになったら難病を、受け入れられるかはわからない。もしかしたら一生受け入れられないかもしれないし、明日には受け入れているかもしれない。
最初は1週間に1回の通院が、日がたつにつれて、月に1回まで回数が減った。病気の症状は、少しづつ良くなっている。でも、左目は見えないままだ。完全に目が見えないわけじゃない。左目に強い炎症が起きて、もやがかかってほとんど見えないのだ。でも、左目の視力は確実に落ちているし、もう2度と元には戻らない。
左目の視力を失って、はじめて目が見えるありがたさを知った。目が見えるという当たり前の事実は、失くしてからじゃないと気づけなかった。じぶんの振る舞いに、なんど後悔しただろうか。でも、後悔しても戻ってこないため、いまのじぶんの振る舞いを変えて、少しでもいい未来を実現できるようにする必要がある。
視力が元に戻らない事実が、ぼくをなんども苦しめる。絶望の淵に立って、出口のないトンネルを彷徨う。歩けど、歩けど、深淵はどんどん深くなっていく。元の場所に戻れるかどうかはわからないが、希望は捨てたくない。「当たり前はない」と頭でわかっていても、失くす体験をしなければ、事の重大さに気づけないのがじぶんの悪い癖だ。
ロードバイクを転がせて、病院に着いた。病院に入る前に消毒を行い、定例の検温チェック。「前髪でおでこが隠れているからもう1回チェックさせてください」と受け付けのお姉さんから声がかかる。外の空気を浴びて、冷え切った体に、検温チェックをしても、体温は低いままだ。冬の検温チェックほど当てにならないものはない。冬の検温チェックは、体裁を保つための様式だとしか思えないし、この様式が早く収束するよう心から祈っている。
検温をパスし、いつも通り受付機にて、受け付けを済ませた。眼科の診察が始まる。視力検査をへて、眼圧の検査をした。どうやら右目の眼圧が高いようだ。左目が見えない分、右目の負担が大きくなってしまっている。仕方ないけど、受け入れ難い事実だ。目薬を打っていいかどうかの確認を、担当医に行わなければいけないとのこと。担当医から無事にOKをもらい、瞳孔を開くための目薬を挿した。
両目に2回、目薬を挿すが、目薬が浸透するには時間がかかる。空き時間はいつも退屈で、Netflixでアニメを観るか、読書をするかの2択でいつもやり過ごしている。そして、2回目の目薬を挿したタイミングで、待合室に案内された。
いつもお世話になっている看護師さんだ。1年以上も同じ病院に通い続けているため、数名の看護師さんに顔と名前を覚えられている。元気いっぱいの看護師さん。目をいつも見て話してくれる看護師さん。いつも丁寧なお辞儀をしてくれる看護師さん。ぼくが通っている病院の看護師さんは、みんないつもとても温かい。
「佐藤さん、ちゃんとご飯食べてる?」、「無理したらあかんよ」「また会ったね。元気してんの?」と通う回数が増えるにつれて、看護師さんの対応が軽率になっていく。最初は敬語だった言葉遣いも慣れが生じて、敬語ではなくなっていく。目上の人に敬語で話されるのが苦手だから、そっちの方が助かるし、正直嬉しい。
看護師さんに認知されている事実が、ありがたいことなのかはわからない。看護師さんの対応の良さには無論感謝している。人の対応に慣れた看護師さんならではの距離の詰め方は、自身のコミュニケーションにもぜひ取り入れていきたいと思う。
でも、本音を言えば、病院に行かないで済むのが1番だ。そもそも病気にならなければ、病院に行く必要などなかった。変えられない事実に、ただ単に抗いたいだけなのかもしれない。これは難病を受け入れられないぼくの目一杯の強がりだ。そうだと思わなければ、やってられない。
病院になんて通いたくない。健康な体を手に入れて、いますぐに看護師さんと仲良くなる行為をやめてしまいたい。看護師さんと親しくなっていけばいくほど、看護師さんの温かさにまた出会いたいと思ってしまう。
難病になんてなりたくなかった。看護師さんにやさしさを施してもらいたくなかったし、看護師さんとも出会いたくなかった。
難病をいまだに受け入れられないぼくは、はたして弱いのだろうか。もし、難病になったら、みんなは簡単に受け入れられるのだろうか。1年半近くたっても、まだ難病を受け入れられていないからぼくは弱い。でも、受け入れることが強さならぼくは弱いままでいいのかもしれない。弱虫上等だ。
これから先も難病の治療は続くから、症状が抑えられるよう努力を努める。闘病がいつまで続くかはわからない。でも、希望は捨てないし、たとえ左目が失明したとしても、笑って生きてやるつもり。そう思ったきっかけは、大切にしたいと思える人が、周りにたくさんいるからだ。
看護師さんや担当医さんだけでなく、いつもお世話になっている人には、本当に感謝している。ぼくは心底運がいい人間で、いつも温かい人たちに囲まれている。
難病になったおかげで、もらった優しさがある。でも、その優しさは本来受け取りたくなかった優しさだ。難病にならなきゃもらえなかった優しさ。たくさんの人からもらった優しさを、今度はじぶんが誰かに還元していきたい。
これから先もまだまだ人生は続いていく。じぶんで終わらせるつもりは毛頭ない。寿命が尽きるまでは生きてやるつもりだ。
だから、これから先も仲良くしていただけたら嬉しいです。
愛を込めて、いつもありがとう。
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